あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

波乱を巻き起こす2016年選挙の源流の一滴

波乱な選挙の源流

 何年かして2016年の選挙の"大波乱"を考察したとき、その兆候となった出来事としてあのことを挙げるのではないかと思うのです。

 

 れいのショッキングな出来事。

 

 9.11…と言うと思ってるでしょ?

 ちがいます。

 9.11は"選挙の大波乱"ということには直接関わることではありませんものね。それに…

 

予期せぬことだった?

 後世の、といっても40年から70年ぐらい後の人たちのことになるでしょうけれど、国籍や思想に関わらず後世の人が9.11を再考証したら、それは(不幸なことではあるかもしれないけれど)起こるべくして起こった、事件が起こるまでの経緯に別段不思議も驚きもないと断定するのではないかと思うからです。

 

 なぜ40〜70年という微妙なタイムスケールの後なのかといえば、アメリカの機密文書が公開されるのが50年後とされているからです。

 

 一般に50年後とされているのに40〜70と幅のある言い方をしているのは、すべてが情報公開法の適用内にあるとはいえず、破棄・抹消されるデータや今後修正条項加えられるとかなんとかして延期または封印されてしまい日の目を見ない情報があるかもしれないからです。

 

 現にケネディ大統領暗殺事件についてのFBI捜査ファイル等は事件後50年をゆうに過ぎた現在、まだ公開されていません。ただし件の機密文書は2039年に公開されるそうです。ということですが、さて、どうなることでしょう。

 

極東の震源地

 9.11でないとすると、なんのことでしょう?

 

 それはバブル崩壊ほど派手なものではなく、世界的に見れば些細なことと見過ごされてしまいそうなこと。

 2009年の日本。政権交代。

 

 与野党交代劇はそれよりも前の1993年にもおきましたが、いずれも野党支持というより与党への不信感、奢れる与党を戒めるつもりの反対票、いわば懲戒選挙における懲戒投票、多くの人が「自分一人が野党に投じたところで自民政治が続くだろう」と考えての行動が個々の予測以上に票を集めてしまいなされたものでした。

 ですから心の底から望まれて生まれたものではなかったこと、「次善の策ではあるけれど次善ではないんだよなぁ~ほんとは」な策がとられてしまったというところも共通するところです。

 

 ですが細川連立内閣誕生は鳩山内閣誕生の経緯とは毛色が少々異なります。

 93年の政権交代は衆院選挙で自民が過半数の議席を取りながらも起きた、09年政権交代とくらべてより政治的にテクニカルなものでした。

 ですから93年は09年ほど有権者の感情を映すものでも揺さぶるものでもありませんでした。

 

 そうそう、09年ほどの落胆?肩の力の抜ける思い?のようなものがなかったわぁ〜と思われる方は少なくはないのではないでしょうか?

 

 大っきなものから小さなものまで自民党関連の不祥事あいつぐなかでの「ガス抜き」だとか、そんななか小選挙区制にもっていこうとすると時間がかかりそうだから、すみやかにかつできるだけ反発を招かないように実現するためには自民以外の政権でやってしまった方がよさそうだという打算があっただとか、いろいろ言われてもいますものね。

 

 細川内閣の大臣や事務方の面子をみると非自民~って感じするけれど、全体的というのかムードとしてはそれほど非自民~感なかったでしょぉ?国会での議席数とかからして。

 

 ただ政治からの疎外感?蔑ろにされて勝手に進んでいるような気がする感は93年の方が断然強かった気がします。どうかな?昔のことで記憶や感触あいまいだけど、そんな気しない?

 

 09年選挙では480議席中の過半数240を軽々と超え、総議席数の3分の2に肉薄する308議席を得ての民主圧勝をもたらしたほどの(民主党への期待のあらわれ…ではなく)自民への(予想外とはいえ)不信・不満・呆れを表すほど感情の高まった選挙でした。

 

 選挙前のあの禍々しい雰囲気の高まり、政権交代が決まったときのあの落胆や悲壮感のようなもの、票を投じはしたものの味わった敗北感のような感覚、「あぁ~やっちまったぁ~」感。

 このからだにまつわりつくようなヤな感じ。

 この感じ2009年の政権交代のときのものと今年の各国での選挙とで共通しているように感じませんか?

 

 

 細かいことを言うと、93年も09年も衆院選の数年前あるいは直前までねじれ(国会)を見せており、09年では衆参で民主が第一党となり政権与党になってねじれが解消したという、より真性(?)に近い政権交代劇でした。

ねじれ国会 - Wikipedia

 諸外国を見るとねじれ・逆転国会はそれほど珍しくないようなので勘案しないとして、55年体制といわれるように比較的安定(とういのか膠着というのか癒着というのか)した政権でねじれの起きづらい日本においてねじれてしまったという希有な事態・状況が2016年の出来事をにおわせる兆しの表出点、不満が閾値を超えて議席や政治に反映されるようになったという分水嶺だったのではないかなぁ~と、後世の者が振り返ってするズルイ後付けで思います。

 

奇々怪々な懲戒選挙

 それまでにアッパークラスと中・低階層との間に意識格差がなかったわけではありません。

 ありませんが、おおむね利害調整する方向というのか、全体が利すれば個も利するという見方は妥当に思われるものであり、またそのように認識されていました。

 

 それが格差拡大となが〜〜〜い閉塞感と停滞感の続くなかでじっくり、じ〜っくり醸成されて、希望が絶望へと酵素分解されてしまったようで、全体が利しても個も利するとは限らない、個が利するとしてもそこに"私"は含まれていない、私の生活が変わらないのならこの国がどうなろうとかまやぁしない死なばもろともスクラップ・アンド・スクラップ、と思うようになったひとが増えたのではないでしょうか。

 

 賢人がいくら正しいことを言っても聞く耳をもたれないのは、相手が(仮想的に)対立するクラスに属していると認識されるからでしょう。その話の延長上に"変革"が見えないからでしょう。

 困苦を生きるひとに"安定"は響かない。維持や安定といったにおいがすこしでもするものはそれだけで避けるに足る動機として十分なものとなってしまうのでしょう。

 

タイムパラドクスはおきない?地震多発国

 仮に2009年の日本の政権交代が2016年の波乱の選挙の兆候、表出した不満の現れその源流の一滴だとしたら、その一滴を堰き止められていれば、つまり2009年に政権交代が起きなかったとしたら、2016年には波乱の選挙結果とはならなかっただろうか?と言われると、そんなことないですよね。きっと。

 

 ということは…09年政権交代を源流と言うには無理がありますよね。

 だから兆候の先駆け、不満表出のモニュメントのはしりといったところでしょうかね。

 

 バブル崩壊も、またそこからの這い上がり策も、日本て技術や文化の先進性もさることながら、好ましくない政経状況を世界に先んじてどこよりもはやく迎えるというありがたくない先進性も有しているような気がします。

 

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