あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

すべてが推しになる

○○女子や○○系男子

これまである種のひとびとをくくる言葉が数限りなく生み出されてきましたが”推し”ほどその適用範囲の広いものはなかったのではないでしょうか

 

はじめはアイドルやアニメのキャラクターなどを対象として使われていたのが今や人工物や食べ物などもせっそうなく推し領域に取り込まれて一般語化して平準化されつつあります

 

つまりは”推し”という言葉が推している主体やその対象の深度や濃度に関わりなくすべからく”推し”の一語に押し込められてすでに陳腐の影が迫り始めています

(あるいはそうなるのはおよそ7年半後かもしれない)

そのときにはまたあらたな語が発明されてあてがわれるだけのことなのですが今のところもうしばらくはアニメもアイドルも政治でも宗教でさえもみんなみんなすべて推し活

 

なんの意味もない

有名人や偉人などあるひとを推すというのは人格もあり姿形もあって目に見えるので最もわかりやすくいうなれば推しの第一形態

 

キャラクターのように疑似的な人格(想像上であったり妄想の中であったり設定であったり)を持ち2次元ではあれ(人間も3次元ではないかもしれないし人間の生きている次元は二桁かもしれないのだけれど)姿形をとるものは推しの第二形態ないし第二・五形態

 

食べ物や建造物や施設なんかは実体はあるけれど人格はなく

企業やサービスなんかは実像を結ぶことはないけれど疑似的にではあれ法人格や理念の投影や理想の投射物としての人格をもっているとみなされることがあります

どちらが三でどちらが四でもいいですがこれらがいわば推しの第三形態であり第四形態

 

この流れで推しの第五形態というものがあるとしたらそれは人格も実体もともなわない政治や宗教といったところでしょうか

 

……

ここまでくるともう苦しい

分類するのが苦しく振り分けることじたい無理がある

人格や実体がなくとも勝手にキャラクター化してしまえばすべて第二形態に収束つまりなんの意味もないどころかただの誤りたんなる過ち

 

推しと自由

推しという言葉が汎用性をもっているのはそもそも推しというのは好むということだから

好むだけでは言葉が弱いと思うのであれば熱愛や偏愛の同義語や言い換えといってもよいでしょう

 

推し活がやや過剰になるとマニアや信奉者となり

さらに進むとオタクや原理主義者はたまた狂信者となります

いくところまでいくとみずからを神格化したり教えや組織を興したりなんかして神や指導者と呼ばれたり過激派となることもあるでしょう

 

あるものが偏愛を生み

その偏愛が新たな世界を創造して

そしてまた異なる偏愛が生まれる

こうして推し活が世界を巡り世界となってゆく

 

政治や宗教も極論なにを好むかということ

それに推しを神と呼んだり「尊い」と発してみたり結婚式を挙げてみたり投げ銭したり祈ったり投票したりと推し活と政経にさほどちがいはない

 

ひとは誰しもなにかしらの推し活をしている

無自覚にも推し活に巻き込まれているとも無意識にも推し活に組み込まれているともいえる

ひとはみな推し活の刑に処されているのだ

こういうと推し活は自由とつながる

推し活は自由だ

作者:加藤タカシ  引用:キリヌケ成層圏

日本のデフレは財務省の緊縮増税教理と共にある

 近頃日本の政経関連の新書をいくつか読んでいて大変なやましいこととなっています。というのも著者によって評価が大きくわかれる事柄があるからです。それは安倍内閣というよりは安倍晋三元首相の政治的姿勢・思考と民主党政権についてです。

 

日本デフレ期概略

 安倍政権と民主党政権はときに対比されて取り上げられていますが、その評価は著者によってまちまちではあるものの、その可否ははっきりと表明されています。「安倍政権はよかった・民主党政権はわるかった」「安倍政権はわるかった・民主党政権はわるかった」「安倍政権も民主党政権もわるかった」と各著者三様の見解がみられますが「安倍政権も民主党政権もよかった」という意見だけはありません。

 こうなってくると政治経済にうといものには混乱をきたすばかりで評価のしようも意見の持ちようも難しくなり、猜疑心ばかりが強まります。

 

 意見の食い違いとともに際立ってくるのが、論拠資料の質量や論証の程度に差はあれど、共通項・共通認識となっているところです。要は各論者の主張の違いにではなく同内容を抽出してみれば、事実とまではいかないまでも的を外しはしないのではないかと思ったのです。

 

 早速、各著者の主張で共通しているところを大まかに抽出してみると…

  • バブルがはじける
  • 橋本龍太郎政権下の緊縮財政政策より健全財政主義と呼ばれた財政均衡主義が始まり日本の長いデフレ期がスタートする。消費税率を5%へと引き上げる。
  • 小泉純一郎内閣の竹中平蔵大臣により基礎的財政収支の健全化(PB黒字化)という思想が持ち込まれる
  • 野田佳彦政権下において任期中に首相の財政政策についての思考が突如転向する
  • 種々の発言、歳入庁を創設しようとしたり内閣人事局を設置する等々により財務省への抵抗姿勢を見せた安倍晋三政権ではあったけれど第二次安倍内閣において消費税率が8%、後に10%へと引上げられる
  • 岸田文雄内閣は安倍さんが矯正しようと試みた財政至上主義からの脱却という路線から脱却して元の歪んだ道へと舗装し直している

…といったところです。

 

 これをさらにざっくり言うと…『緊縮増税路線からデフレ爆誕。PB黒字化思想で拍車をかける。これに並走してきたのが消費税増税』。

 

財務省+経済学=緊縮増税教→デフレーション

 野田さんの思想転向は財務省の洗脳によるもので安倍さんの消費税増税は財務省に抗しきれなかったためだといった主張もちらほらみられました。このようなちらほらのなかでさえ常に現れる「財務省」の三文字。

 どうも諸悪の根源は財政均衡主義を信奉しPB黒字化目標を打ち立てて邁進してきた財務省のようです。

 本のタイトルでも財務省を批判するものが割と目につきます。

 

 時期や状況におかまいなしに緊縮増税インフレ怖い一辺倒の弾力性のない不気味で独特な経済理論を構築しているようです。

 理論や数字を至上として実情や実社会を論拠や根拠薄弱な曖昧で不確かなものだと軽視する本末転倒をみせる頭のよい愚か者となっているようです。

 純粋な理論を全うするために現実は外れ値程度に捉えて実験結果を理論に沿うように歪曲または改ざん・捏造しているようなもので、純粋も度が過ぎれば気色悪く純真も行き過ぎれば甚だ迷惑なものです。

 日清・日露戦争時の脚気対応のように東大閥のエリート官僚は同じ轍を踏むつもりなのでしょうか。

 

 自国通貨建て国債において(中央銀行に買い取らせればいいだけなので)デフォルトはありえない。これは財務省も海外の格付け会社宛書面においても主張していることで、わかっていてなおPB黒字化を主張するのではただの盲信者なのか工作員なのかわからない。

 

 財務省といっても省内勢力は東京大学法学部卒が握るもので、知縁や学閥で後進を取り立てて盤石の権勢を築いているようです。また緊縮や増税、たとえ世論や国益などに反してはいても省益に適った行いをした者は出世するという歪んだ省内文化があります。

 

 経済学部出身だからといって経済通であるとは限らず、また反対に専門教育を受けていなくとも経済感覚の鋭敏であった先人もいたのですから「法学部卒の経済素人」という誹りは一概には言えないと思います。

 

 しかし、財務省批判や糾弾する声を天下りや財務省外局の国税庁、そしてまたその管轄下にある国税局、税務署を通してメディア等に婉曲な圧力をかけて思想統制に及ぶのであれば単なる狂信者にすぎないでしょう。

 

 新自由主義やPB黒字化などの理論や思想を至上のものとして盲信する姿勢はもはや狂信者。しかしていくつかの経済理論・思想は確立された学問や科学でも対応策や処方箋を示すことがないばかりか毒となり、反面、信者にだけは救いの光とみえる宗教となっています。この点が宗教なのです。もはや経済学ではありません。

 

 過度な円安では日本企業が安く買い叩かれてしまいます。安く買い叩かれることも問題ですが買い尽されてしまうことが問題の本質です。安く買い取らせて国力の低下を図る行いは売国に等しい。自分たちだけがよければよいというのは行き過ぎた個人主義ですし、新自由主義の教理に任せているというのでは責任転嫁した放任主義か一周回って思考停止した教条主義といったところでしょう。

 

 自分たちの生活には変わりがない(ばかりかむしろ地位がやや下がるため)から単に想像できない・しないためにわからないのか、新自由主義や財政均衡主義の熱烈信奉者なのか、徴税を国民支配の道具とするために意図的にPB黒字化を唱道しているのか、純朴無関心なclownなのか純真狂信クラウンなのか権謀術数crownなのか、はたまたその複雑複合共存組織なのか、極めてかしこ集団であるがゆえに真相は闇の中。

 

 道路族や自民一党優位も財務省一強に比べれば多少はましなのではないかと思わされました。もうこうなると誰の発言も鵜呑みにはできなくなってきます。「財政の健全化」という言葉も素直に聞けば今はPB黒字化のことを言っているのですが、穿ってみれば「PB黒字化なんてものはある程度無視して実社会の状況を鑑みて健常な経済政策を行う」と明言してしまっては財務省に目をつけられて危ういので首相就任までは濁した言い方をしているのかもしれないと考えてしまいます。

 

 強権盤石な財務省一強体制に対して国民ができることは財務省を不人気職へと世の雰囲気なんかで貶めてその力を削いでゆくぐらいのものではないでしょうか。そのためにはまずは”知る”ことなのでしょうが、それがまたむずかしい。

 

 論拠も筋も資料もみやすかったのがこちらです。

日本経済 失敗の本質

財務省が日本を滅ぼす

 本書では他にもこのような興味深いこともいわれています。

  • 少子高齢化社会において若者四人で一人の高齢者を支えるというのは介護費用の負担といったお金の問題ではなく実際にケアする、介護にかかわる人員の問題なのだ。
  • 消費税は間接税ではなく第二の法人税ないし付加価値税であるがゆえに直接税である。
  • 国債(国庫債券)の償還ルールを設けているのは日本ぐらいのものだ。

メイジーニアス:2024年搾取問題

人口ボーナスの惰性が法や慣習の硬直化をみせ搾取構造を保存してきました。

超少子高齢化社会の到来により人口ボーナスが人口オーナスへと転調して久しくも有効な手段を効することができず旧態依然とした方法を進めてきたゆがみが矯正されることを示す1つのランドマーク、エポックメイキング的な出来事が2024年問題。

 

すべてではないにしろ大きく寄与した人口ボーナスによる成功体験に取りつかれて、経済の不調も賃金を抑えて労働時間を延ばすことで乗り切ろうとし、それがいつしか、それも間もなく手段から目的化して搾取構造が黙認されてきました。

 

企業も政府も仕方がない、それが当然だと問題視することも少なく常態化し、それを変革しようとの兆しがみえると抑圧さえしてきました。

労働者の時間やお金を奪うことを搾取と言わずしてなんというでしょう。

 

この剛情な搾取体制がゆらぎ始めたのは企業や政府がこれまでの行いを反省して改革に一歩踏み出したからではなく、これまでの体制を維持することができないほどに人口オーナス圧力が高まったからに過ぎません。

 

事務職もそうですがドライバー職というのはただ座っているだけの単調作業とまではいわないまでも座ってばかりいるラクで創造性のない仕事だとあなどられているフシがあるようにおもわれます。だから低賃金長時間労働がながらく放置されてきたのでしょう。

反対に建設業や医師は座ってばかりはいられない高度で創造性の求められる仕事ではあるけれどそれに見合った対価が得られているとの偏見をもたれている節があるようにおもわれます。インフラや疾病など命や生活に関わる職にあるのだから使命感を持って長時間労働を厭うなとながらく放置されてきたのでしょう。

 

しかしそうもいっていられないほどに生産年齢人口が減ってしまってにっちもさっちもいかず法施行までに5年の猶予があったにも関わらず2024年問題が急に降って湧いたかのようなここ数か月の狂奔。

 

想像してみてください。もし仮に今、これほどまでに少子高齢化も人口減少化も進んでいなかったとしたら、果たしてこれほどまでに変革の兆しが見られたでしょうか。きっとこれまでの日本のやり方は間違っていなかったのだ、日本はこの体制・慣習があったがためにうまくやってこれたのだと未だに過去の幻想的な成功体験の亡霊に取りつかれていたことでしょう。

少子高齢化と人口減少が起きなかった日本において、それでも変わらない日本とそれでも変わる日本、どちらの日本が想像されますか。

 

昭和の種々の争議や闘争の失敗が現在にまで続く体制・慣習の硬直化に大きく影響している出来事のひとつでしょう。

あれほどの大きなうねりであっても変わらなかったという諦観と厭世観。状況によっては不条理も不合理も黙して飲み込む忍従姿勢とそれを当然視することを暗に強要する社会圧力。

 

日本には「察する」「忖度」といった「一事が万事」的な風潮がありますが、経緯や思惑がどうあろうといったん決まってしまうと慣習も法律も憲法でさえ時代にそぐわなくなろうと欠陥が見つかろうと堅持されてしまうという「一時が万時」な風潮も根強く残っています。

冤罪事件の結審もあることながら再審に至るまでが法外に長いこともそのひとつです。なかでも袴田事件については当事者および関係者が亡くなるのを待っているかのような不誠実極まりない所業。

それに対して大川原化工機の提訴は勝訴と結審し画期となってほしいところです。その余波は企業事件にとどまらないはずだから。そう願いたい。

 

国内に改善基調が生じるのはたいてい決まって外圧によるものです。自浄作用をもつ組織は国内には実に少ない。

 

日本が世界的にも(領土の広さではなく)軍事や経済において大国であった頃を振り返ってみると、(縄文、)戦国、高度経済成長期(団塊の世代)と人口の多かった時期と符合します。人口だけが成長因子ではありませんが大きな要因のひとつです。

 

政治家のいう単なる建前の「抜本的改革」ではなく真の意味での抜本的な改革が起きるのは想定されていようといまいと外圧の訪れた後です。

オイルショックにコロナショック、定住革命からAI革命。黒船が来ることは一部のひとには予期されていましたし機械に既存の仕事が奪われる(というよりも代替される)ことも時間の問題というだけで明らかなことでした。超少子高齢化社会の到来や先端技術分野から離されてゆくことも何十年も前から自明の理でした。生産性の低さも過労死がkaroshiになる前からわかっていたことです。台風などの災害発生時に日常を送る必要はなく出勤などしない方がよいことはコロナ蔓延前から明白であり可能でもあるのにまだそうはなっていない。

日本が動くのは事故の後。事後の後にもうどうにもならないと追い込まれて手遅れとなった後に自発的にではなくやむなく動かされるという特徴をもっています。

 

失言迷言オンパレードの静岡県知事川勝平太さんが数十年前にひとつだけいいことを唱えています。それが「富国有徳」。徳をもって国を富ますという意味なのでしょうが、さすがというのかその筋道、有徳がいかにして富国につながるのかは一切説明されていない、ただ字面だけ。そのせいか富国が徳をもたらすといった金持ち喧嘩せず的な解釈を呼び込んでしまうし、実社会もその傾向をみせています。そのことはおいておいて、字面ではない「富国有徳」の道筋を見出すことは有益であり今の日本に必要な最善手なのではないかとおもいます。

 

2024年問題とは生産年齢人口の減少により起こる問題でも、ましてや労働時間に上限が設けられることでもなく、搾取構造の是正にともなう日本社会の甦生にあてられるべき言葉であるとおもいます。

メディアで「搾取」と公言されないことが不可解でならない。