あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

汚金と落言葉

 今回の銃撃事件を皮切りに、日本における宗教と政治の関わりの問題が一挙に表面化し、連日、特に旧統一教会と一部の自民党議員との関わりや二世信者の苦悩、勧誘や金銭問題が報道されるようになり、あの日を境に状況が急変の様相を呈しています。

 こうなると後付的ではありますが、とても不謹慎でまったく正しくなく不誠実ではありますが、あえて言ってしまうと、こうなってはあれはある種、必要悪になってしまいました。

 

 本来はそうしてはいけなかったのです。こうなる前になんとかしなければならなかったのです。事が起こる前に想像力をはたらかせて被害者のことを思い、実態を調査して事前に手を打たなければならなかったのです。

 

事実の一面だけが遺産となる

 それを大前提として…今更ながら国葬には反対でした。

 なぜならば、現在においては党費節約、未来においては国葬者を輩出したというレガシー構築、過去においては森・加計問題や統計データ・方法改変による印象操作、報道機関への圧力などなどグレー&ブラックな事柄への追及を(主に心理的に)牽制するといった党利第一主義が目に余ったからです。

 そのとき賛否両論あったことでも時が経てば非難の声は色あせて、その事実だけが、ここで言えば国葬が執り行われたという事実だけが色鮮やかに、活字にも鮮やかに残り、後世の者には(現在から時を隔てれば隔てるほどに)好印象を残すこととなるでしょう。

 強かというよりもはっきりと言って汚い手腕を駆使するものだと思います。

 こうしてまた政治不信は助長されるのでした。

 

諫鼓鶏の逆説

 優れた君主の治世下では為政者は何もしていないと陰口を叩かれることがありますが、その実、平穏無事を維持する政権運営の妙で問題が顕在化しない・しづらいために怠け者でお気楽だと思われてしまうことがあります。

 

 すると真に優れた治世下では問題が起きないため問題解決もされず、その手腕が現世でも後世においても認識されずらいのです。

 

 次善の治世下では問題が起きてもうまく対処され、鮮やかに処理され、善処されるために大衆にも認知されて未来においても称賛されることでしょう。

 

 問題が起きる前に手を打つことが最善ではありますが、そうすると評価されずひとに知られることもないでしょう。これが真に優れた治世の孕む難点です。

 

 強かな為政者であれば事前に解決までの筋道を考案しておいて問題が起きた後に絶妙なタイミングで回答を提示して称賛を得ることでしょう。

 こうなると民主政下においては「最善の治世」よりも「次善の治世」の方が選ばれることでしょう。というのも有権者は「最善の治世」を認識することがないでしょうから。

 

鳴かぬなら 鳴かせてみせよう 閑古鳥

 

 

 ここでは自民党は最善の治世を行っているからその優れた手腕が認識されないのだとか、いい意味でも悪い意味でも「もっとうまいことやりましょう」と言いたいのでもありません。

 ただ、言い方やそれを言うタイミング、そしてまた言葉を弄んでばかりいないで動かせることがあるでしょうということを言いたいのです。

 

 「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」なんていうのは最低な例のひとつです。

 こんなのに対しては「ジジイの関わる企画では不要なお金がかかりすぎます」とでも返しましょう。

 

 このような失言等々に対し、火消しを図って「説明を尽くす」などと言われますが、説明すればいいという問題ではありません。説明の有無なんか問題ではないのです。それ以前の問題です。

 

内容を伴わない慣用句を発明する

 10年ほど前からでしょうか、「説明責任」という言葉が多用されるようになったのは。その派生語といいましょうか、その流れで「説明を尽くす」という言葉が台頭してきました。

 「説明責任」は「任命責任」という語の後、連想ゲームで発明されたものではないかとおもいます。時系列を整理しますと… 任命責任 → 説明責任 → 説明を尽くす …という継投。

 この系統に共通するのは語感の重厚感に比してその実態が軽薄であることです。「責任は私にあるけれど辞任はしないよ」「説明はするけれどなにも変えないよ。なんならその説明といわれるものでさえ単なる時間稼ぎの無内容な代物ですけどね」といった具合です。

 それでも「任命責任は私にあります」や「丁寧に説明をしていきたいとおもいます」と言われると「なにか変わるかもしれない」「進展があるかもしれない」と錯覚してしまうひとが多いのですから言葉の力、新しい成句の発明というのはなかなか侮れないものです。

 

誰の安定?

 小選挙区制は二大政党制となりやすく、よって政局が安定するという長所をもつと説明されます。

 しかしこれは多党制と比べて政権交代が円滑に進められることが利点であって、より正確には政局の安定というのはメリットなのではなくその特徴なのではないかとおもいます。

 また「政局の安定」は「政治の安定」「国民(生活)の安定」を意味するわけではないのです。

とはいえ3以上より2の方が安定がよいのは確かですけれども

 

 ひとは「安定」と聞くと心理的に「よいもの」、無意識の内にポジティブに受容してしまいがちです。

 政治や経済の事柄において耳心地・耳触りのよい言葉に触れたときは、その主語に注意しましょう。

 主語は誰なのか、主語は何なのか。

 誰にとっての安定、誰が安定、何が安定といったことに。

 

 ポジティブな単語の主語にはご注意を。

 

 それにいたしましても目に余るは昨今の自民党のお金への執着と汚さ。そして実態の伴わない主語を濁した空虚な言葉の垂れ流し。