期間限定!今ならなんと民主主義成分8%offの大特価
旧三本の矢のうち二本がそこそこ当たり、一時数字上では景気が上向いたようにみえましたが、消費税増税で失速。
株価が上がり平均値は上がっても中・下流層の生活に変化が見られないのなら格差が広がっただけではないでしょうか。
増税しなければ、あるいは間違いに気づき過ちを認めてすぐに修整していれば、不安定な世界経済の中でよくぞ長く続くデフレから脱却させられたものだと、難局を乗り切った優れた手腕を見せた指導者・首相であったとして後世に名を残せたかもしれませんが、今となっては遅きに失する感があり、残念ながら史上に美名は残らないことでしょう。
神話溶融:神話とはよう言うた
原発も再稼働するのか廃炉にするのか煮え切りません。
政府の立場は明らかで、再稼働の姿勢をとっていますが、にも関わらず「煮え切らない」と評するのはおかしなことと感じられるでしょう。
なにが煮え切らないのか。再稼働で方針が固まっているというのにどこが煮え切らないのか。
煮え切らないのは方針ではなく態度のこと。
再稼働というのなら、それならそれでスピード感をもって安全性を確立して喧伝し、国民が安心・納得するような説明をすればよいというのに、その手の説明が出てきやしない。
そのような声がまったくないというわけではありませんが、納得させて説得できるまでのまともなプランが一向にあがってこない。
時間をかけるほどに安全神話とはなんだったのか?神なき物語か神々不在の虚言だったのではないか?提出される資料はどれもこれもグレーを超えた黒塗りでブラックな紙々ばかりで、不信感の厚みを増すばかり。
実態の見えない紙々に横たわっていたのは神を騙るインチキ傲慢チキな予言者たちの言だったと勘ぐられてしまっても仕方のないこと。
いずれにせよ時間かけすぎ。
時をかけるほどに強化されるのは不信。
こうして時間が神話をめっためたに打ち砕くのでした。
選択肢不在
喫緊の脅威は中国。
経済政策にしても防衛構想にしても奇抜な策を求めているわけではないのです。
おもしろいことしなくていいです。
ねらう必要ありません。
ねらうとハズしたときに立ち直れないほどスベって大ケガしますから。
だから奇をてらわず普通のことを、ただただ地味でまともなことをしていただければそれで十分おつりがくるぐらいです。
なのにそれをしようという政党がない。
あぁ無慈悲かな、その選択肢だけがない。
Stop!モーション
防衛関係費はここ数年増加傾向にあります。
争いは望みませんしドンパチなんてもってのほか!"防衛費"なんてものはない方がいいし、そんなものは概念ごとこの世から消えてしまえばいい!と思っていますが、そうはいかないのが人間社会。
皆とは言わないまでも多くの人は怠け者で利己的で威張りん坊で楽をしたがるものです。そうでしょ?
こちらには干渉する気がなくても、相手方はこちらにある資源やサーバントを獲得してもっと楽な暮らしをしたい、人を傅かせたいと不敵な笑みを浮かべて脅威片手にやってくるということがあります。
ですから、いつかは「サヨナラ防衛費」というのが理想ではありますが、それは今ではない。想いと行動がチグハグの言行不一致のような状態で、矛盾に苦しめられるのですが、脅威を回避する別の有効な手段が見つかるまでは仕方ありません。
軍事には一切関わりのない科学技術研究開発費全般も防衛関係費として、防衛関係費名目で予算計上して、このたびのアメリカ大統領選挙の結果、雲行きあやしく視界の悪くなった日米安保に頼らず、いよいよ日本が自主防衛に本腰入れ始めたのか?と思わせるような姿勢だけでも、ただ数字をいじくっただけのハリボテってだけでもかまわないから、なにかそのような姿勢を見せたらいいのに。
マジメな日本のブラフなら、きっとみんな信じるよ。とっても格安な国防策じゃない?
仕上げはお年金さん
先の政権交代は増税による生活圧迫がじわじわボディーブローのように蓄積して、そのとどめが年金問題だったという肌感覚があります。
年金を消し、溶かし、横領し、と、思いつく限りの侵食手段を打ちつくし、やりたい放題のダークさ、ブラックさを見せつけてくれました。
景気はだれにも読めないところのある人知・人力の及ばない複雑さを内包しています。だから多少の景気停滞や後退は仕方ないと幾分か諦観の持ち合わせがあるという方は多いのではないでしょうか?
ゆえに苦境にあっても耐えられるし、耐えてみせようと踏ん張れるというところがあると思います。
年金問題がトドメだと思われる点
景気低迷が政治不信を招くのだとしたら、増税後に明らかな失速と低迷とを見せた今、政権交代に向けた動きが高騰していてもよさそうですが、そのような表だった動きはみられません。
政権に止めを刺すのは年金問題だと思われるのは、それが明らかに人知をもって悪意のもとに行われた人災だからです。これには耐えられないし耐えなければならない謂われもありません。
暴動が起きたとしてもだれも不思議には思わないでしょう。
むしろこれで大事には至らない日本というのは諸外国からみたら不思議で仕方のない国なのではないでしょうか。
このように、年金問題がときの政権のトドメとなるのは、それが不可避な天災や不運なのではなく、しりぞけることのできる狡猾だからなのではないでしょうか?
なにも年金問題一つに絞ることはなく、いかなるものであっても"不正"がとどめとなると思うのですが、直近で思い当たるものが年金問題だったので、ここでは年金問題を代表させて取りあげました。
ほらまた与党議員の不正が発覚したようですよ。
今度の不正はどんなんかな?
敵は日の本にあり!
そんなことを考えていたところにやってきた知らせが、隣国をはじめとした世界各国の大波乱に乗じたどさくさ紛れの年金カット&公務員給与up法案の衆院通過というふざけた所行。
公務員給与の0.17%賃上げは政府の目指す市中給与2%賃上げ目標に比べれば(絶対値や分母、総額などなど異なるところが多々ありますが)およそ10分の1ではありますが、そもそも年金溶かした穴埋めしてないし、2%以上賃上げしたら法人税20%超減税って、それじゃあ企業が賃上げしているように見えて間接的にいくらか国税から流れているってだけなんじゃあないのかい?それにちょこちょこ税制変えてたんじゃあ人手や手間がかかってコスト割増だしっ!
国民の神経を逆撫でして「暴動はこちらですよ~」と誘導して蜂起させようとしているのでしょうかねぇ?
それともこれは日本人がどこまで沈黙しているのかそのボーダーラインを探る壮大な実験なのでしょうか?
だとしたら尖閣諸島周辺にやってくる中国船籍やスクランブルかけさせるロシア軍機とやってることはそうたいして変わらないじゃない。
マスコミのDeDaDaDa
マスコミは支持率60%だとかいっちゃって、次の衆院選では自民優位と騒ぐことでしょう。
でも結果は、大きく議席数を減らす"大敗"となるのではないでしょうかねえ。
(今年は予想ことごとくハズしているので自信はないですけど、来年の話だからアタリそうじゃない?)
そしてこの結果を受けて、予想外だー波乱だー隠れ反自民だー、だーだーだーYAHYAHYAHとかいっちゃうんでしょ?
これでマスコミが如何に民意と乖離しているかが露わとなり、決定的なまでにどれだけ市井の声に疎いかを晒すこととなるでしょうね。
不足しがちな民主主義成分を補いましょう
こうしてまた民主政治は愚かな決定を下す衆愚政治だと罵るのでしょう。
これを衆愚政治と呼びたければそう呼べばいい。
ただその愚かな選択、衆愚政治を選ばせているのは、みずからは賢いとうぬぼれている衆愚(政治)からも愛想を尽かされ見放されたおそろしく愚かで救いようのないまぬけです。
営養失調な内剛外柔外交
賢さを政治に限定して考えると、一番に求められるのは外交能力でしょう。"外"の思考、"ソト"の価値観は"内・ウチ"を揺さぶり、ときにシンコウしてきますから。
ですから内のことは地方分権で、外のこと、外交にこそ国は注力するものであると考えます。しかしその外務省がなんとも頼りない。
ソトの大国の顔色ばかりをうかがって、ウチの国民には強気な、内弁慶の内柔外剛ではなく内剛外柔外交を展開しているように感じます。
哲人の奴隷制擁護政治
哲人政治・賢人政治は政局を動かす者が賢く決定から行動までがはやいので一見うまくまわりそうですが、その"うまさ"は哲人・賢人にとってよいことであって、大勢の人権を無視するものとなるでしょう。
たとえばアリストテレスさんが哲人政治を敷いたとしましょう。
すると国力や軍事力、経済力や文化力が飛躍的に向上するかもしれません。
しかしそれは愚か者とみなされた人々の人権を生贄とし、その犠牲の上に構築されるものでしょう。
端的にいってそれは奴隷を擁する社会であるということです。
男性社会はなにを守る社会か?
(クレオパトラや卑弥呼、推古天皇や持統天皇、北条政子や日野富子、ジャンヌ・ダルクやエリザベス1世、マリア・テレジアやエカチェリーナ2世など大きな影響力をもった女性や権勢をふるった女性もおりますし、実際は見かけと違って女性が手綱を引いていたりもするのですが)男性(優位)社会が根強く根深くとくに人類史上ここ3,000年間ほど続いてきたのは、戦地に赴き命をかけて国を守るのは男であったからでも男性の方が女性よりも賢いからでもなく、男性が言葉が通じる程度でそこそこ使えるものがいないかと辺りをみまわしてみたとき、そこに女性がいたからというだけのことでしょう。
要は男性が奴隷を求めたからではないでしょうか。
女性を戦地に送り戦闘に参加させたり教育を施して男性と対等か幾人かは男性よりも賢くなられてしまっては、女性を男性に隷属させる方便を失ってしまうため、女性に鍛錬を積ませないようにするために外出を禁じて家に閉じ込めたということもあるのではないでしょうか。
人は自らの日常生活を快適にするためには同族であろうと利用します。
おそらくこのとき同族感情といったものは持ち合わせていないのでしょう。
戦時中、敵国人に蔑称を与えるのもそのひとつの現れではないでしょうか。
また別称にすることで子どもたちに同族感情が芽ばえないようにして、体制維持をはかる用意周到さをみせているのではないでしょうか。
中国では漢民族が他の少数民族を弾圧しています。漢民族間であっても都市住民であるか農村住民であるかによってだいぶ意識が異なります。都市住民は同じ漢民族であっても農村住民をヨソモノとみなして嫌悪しています。
優生学、選民思想、白豪主義、カーストしかり。
イスラム教の女性を守るために家に閉じ込めておくことも、原理主義がいきすぎて過度に至ると異端者として女性を傷つけ殺害しているため言行不一致の矛盾した行動になっています。
「守るため」といわれて「守られている」のははたして女性でしょうか?
強い陽射しや紫外線から肌を守るため、男性の視線から守るため、男性の欲望を刺激して男性に過ちを犯すことのないようにして信仰心を保つためといったことがはじまりだったのでしょうが、それが時を経て「女性を守るため」といって「男性優位の生活を守るため」「女性の奴隷化を正当化する教理を守るため」と変質してしまっているということがないでしょうか?
ムハンマドさんが女性であったなら、はたして家に閉じ込められていたのは女性だったでしょうか?
髪や肉体があまりにも美しく人心を魅了してしまうため外出時にはヴェール(ヒジャブ)を着なければならないとされたのは男性の方だったかもしれませんよね。
「男はソト、女はウチ」形態の継承と理屈の変節
「男性社会は女性奴隷化の方便だった!」みたいなことを申しましたが、自分でいっておいてなんですが、自分でもこの意見それほど支持していません。
なぜなら、内実はひとの女性には長い妊娠期間があり、その間、駆け回って食べものを得る狩猟に参加することが難しく、そのためにいつしか「男はソト、女はウチ」という効率のよさげな役割分担がされるようになり、その後、人類が狩猟採集生活から定住生活へと移行して、定住が汎化して貧富の差が生まれクニをなしていきましたが、形態は、つまり「男はウチ、女はソト」という意識は綿々と継承され、その過程で宗教教理に取り入れられたり、奴隷化を正当化する方便を加えられたりと理屈が変節していったのではないかと思うからです。
妊娠だけではなく争いも「男はソト、女はウチ」意識を強化するための一翼をになったことでしょう。戦中女性が前線に出て命を落としてしまうと、その部族の人口は減り、増加も見込めなくなるため消滅してしまいますからね。だから後方へ置こう、男たちで守ろうということになったのでしょう。
「男はウチ、女はソト」形態、あるいはこの意識は人口問題というより国防問題ですね。
※「形態」を「構造」と記すと構造主義っぽくなるかなとよぎりましたが、やめておきました。
おバカと割り切ることの弊害
社会に出ますと「そんなこと割り切ればいい」「多少ずるいことでもあっても、ちょっとだけひとを謀ることになっても、仕事だと割り切りなさい」「生きていくために、生活のために割り切りなさい」と言われることがあるでしょう。
また、あまり好きな言葉ではないので使いたくはないのですが、他に言葉が見つからないので使わせていただきますが…「おバカ」。
おバカさんはあまり「割り切る」ということがないのではないかと思うのですが、それは無知であるために疑問をもつことがなく、考えるにも考えるための土台・比較対象もないために判断するということが少なく、言われたことを言われた通りにできないことが多いのですが、それでも人から言われたことはほとんど鵜呑み、受容するばかりで納得・説得させられることの方が多いのではないでしょうか。
割り切ること、またおバカさんが増えることには大変な弊害があります。それは不正や不公平を正すこと、変革することができないということです。
あまりにもひどい不正や不公平についてはその限りではありませんが、個々がそこそこ耐えられる不正であれば「割り切って」しまったりおバカさんであるから気づかなかったりします。
そうして小さな不正が蓄積していくと、気づけば悪臭ただよう悪習が形成され、その意識がこびりつき、汚れが目立ってきていよいよ落とさなければならないな、禊ぎ時だなとの意見が多くわきあがってきても、その汚れはもう常識・慣習・慣例・お約束化して社会にも組み込まれてしまっているのでなかなか落とせません。
社会システムに巣くったこのびっちりこびりついた汚れを落とそうかという段になっても、そのときにはもう既得権益が生じているので、このヨゴレを必死に守ろうとさえする受益者ががっちりガードしてくることでしょう。
くよくよしない「割り切り」のよさや、今を楽しみ将来を憂うことのないおバカな楽天さは、幸福な人生を送るには必須な栄養素で、すばらしい才能であるとも思います。
しかしそれがいきすぎれば、みんなして「割り切って」、町中にはおバカさんが溢れかえっているというのでは、不正がはびこる社会になってしまうと思います。
みんなして割り切ってくれておバカさんがたくさんいますと、自称"賢い"扇動家にとってはこれほど使い勝手のいい、簡単になびいて票を入れてくれる、自分たちの思い通りになるちょろい社会はないでしょうからね。
インセンティブの学校
勤労意欲や就労意志のインセンティブはお金や報酬で醸成するものではなく、教育によって啓発するものではないでしょうか。
生きるためには嫌でも我慢して従事しなければならないものではなく、社会に貢献したいとみずからその道に進むように、人生を豊かにするために働きたいとすすんでその道を選べるように啓蒙するのが教育の勘所ではないでしょうか。
しかし現代の教育はどうでしょう。進学することだけが目的かのように、文字通り勉学を強いてはいないでしょうか。
「やりたいことが見つからない」「将来の夢はない」という若者に「とりあえず進学してその3年間のうちに見つければいいじゃない」「なにをするにも学力は必要なんだから学校は出ておきなさい」などと言い続け、進学に次ぐ進学でいよいよもう進学先がなくなると、学生時代の卒業どきが近づくと、これまでだれも言わなかった、だれも教えも見せもしなかった働くことを迫る。
そうして就職面接では急ごしらえの"夢"があちらこちらで語られる上辺だけのうそ臭く居た堪れない三文芝居が催されます。
学校で教えることは国語・算数・理科・社会の勉強よりも、たとえばどんな職業があるのかとか、どうしたら社会に貢献できるのかとか、ひとはなぜ働くのかとか、そういったことをこそ優先して、より力を入れて教示したいところなのではないのかな〜?
生涯一度たりとも使やあしない知識も「将来役に立つから」とかなんとか言っちゃって覚えることを強要する。どうしたっても勉強に向かないという人もいるのではないかと思うのですが、そのような場合、それでも勉強させることは教える方も教わる方も双方イヤな思いをするだけです。
だったら「とりあえず進学」「とりあえず勉強」ではなく「とりあえず興味のあることをしてみる」ができたらいいのに。そうできるようにしたらいいのに。
その結果、勉学の道にもどってくる人もあるでしょうし、そのままその道にすすんで働くという人もあるでしょう。
繊細で精緻な技術技工というのも脳活動のなせる技。頭のよさによるものでしょう。勉強がよくできるというだけが賢いということではないでしょう?職人さんというのもとっても頭のよい賢いひとでしょ?熟練工ともなるともう仙人のようだと感じることない?平安期なんかは土木はエリートの携わるものだったでしょう?
勉強は不要だと言っているのではなく、(読み書き計算はきっちりやるとして)勉強よりも生きること、働くことを教えることの方がよっぽど重要で、もっとも学校で時間を割いて注力して教え諭さないといけないのはこれなんじゃあないの?ということです。
教育や学校がこんなだったらと想像するだけでも、なにかちょっとわくわくしてこない?
BI導入したらこういうこともできるようになるんじゃあないのかなあ?
鶏と卵は同時に産まれない
BIは勤労意欲を削ぎ経済力を落とし国力が低下するとの反対の声もありますが、それは勤労意欲のインセンティブをお金でしか測れない、「インセンティブ=お金」という思考に囚われているからなのではないかと思います。
勤労意欲はお金の問題ではなく教育とか生き方とか思想だとか意識だとか、そういったものの問題なんじゃあないのかねえ?
生産性や役に立つということばかりを気にしていては老人や障害者の人権を侵します。
老後自立自存できるだけの蓄えがなければ、それだけの蓄えを築けなければ切り捨てられ、邪魔者となり不要物と化します。
インセンティブのメインがお金では相模原の事件はいつかまたくり返されるのではないでしょうか?
長年連れ添ったパートナーを手にかける老人が増えてきて、物語の域にとどまっていた姥捨て山が姿を現すのではないかとも思われる、あのお話は未来の話だったのではないかと思わせるようなこの苛烈な競争社会で、なおかつ自己責任感情の強いこの国で、情に訴えますか?
何もしなくても生きられるようになると一番の問題が国防でしょう。というのは命を賭して国を守ろうという人が減少すると考えられるからです。
でもこれも意識の問題だと思います。お金ではないインセンティブの教育で克服できるものだと思います。あるいは無人化技術やAI開発に期待しましょうか。
でもでも、いま実現させるとなると領土拡大や資源奪取を目論む諸外国のない、戦争のない社会でないと侵略されて隷属させられて立ち消えてしまいそうでちょっとこわいなあとも思います。
平穏・平和・安寧を想うことは容易くとも、それを実現しようとなるとちっとも容易くない。
賢人失墜
これまで世に賢人と呼ばれしもの数あれど、およそ愚行に及ばなかった賢人はなし。
如何に知性・知略に優れようとも予測を外し、戦に破れ、理を違え、自然には敵わないということがあるのです。それほどに"賢さ"は測りがたきもの。
コンピュータ技術が進展して昔と比べて圧倒的にシミュレーション能力もあがっており、過去の知識にもアクセスでき、情報量は多くなって知識も経験も豊富な賢いひとたちがたくさん生まれ集まってはいても未だにどちらが当選するかという二択でさえ"想定外"だといってハズしているという程度のものなのですから、ひとの賢さなんて私たち宇宙人からしたら(←嘘よ)大したことないっないっ。
そもそも"人間の理想"、"理想の生き方"などといったものはありません。それは社会で生きている中でなんとな〜く形成される…こともあるものです。
だいたいはそんなものは見つかりませんし、これだっ!と思ったとしても実現はできないものです。たとえ大富豪であってもね。
ひとは生きるに値するか?という問題もありますし。意味はつくられるもので意味そのものなんてないわけですし。
ジンルイハドコニイマスカ?
賢い人の中には非常に効率的に考えるためにその思考に情が入り込むことがなく、非情な判断を下すかもしれません。
「無駄な人員は消してしまった方がよい!」というおよそ倫理に反することをわけもなく実行してしまうかもしれません。
人を活かすことを考えた賢人の導き出した答えが、賢人が愚か者と見なす者の排斥、人を生かさないということでは"人とはなにか?"という問いを揺さぶることでしょう。
効率的な判断だけでは機械や法則と変わらず、人が不在となります。
人類の消滅はあるいは賢く正しい判断なのかもしれません。しかし人類自身がそれを受け入れることはできないでしょう。その受容は人類の消滅を意味し、人がいなくなるのですから。
だいぶ話がそれてしまいましたが、"賢さ"は曖昧です。
対して奴隷を擁する社会は明らかに倫理に反します。
すくなくとも他者を奴隷とすることは道徳に反するということを共通認識としてもつに至る歴史を歩んできました、人類は。まだまだ不完全で道半ばではありますが。
民主主義1,000mg配合!
こちらのサイトでは、衆愚政治は民主主義の成れの果てではなく、民主主義が足りないからだとおっしゃっています。
ビット数と賢さを併置するところはすこしあれですけれども、でもおもしろいですよね。
民主主義成分が足りないという視点はこれまで持ち合わせていなかったのでとても興味深いです。この発想好きです。
それでお言葉を拝借いたしまして…民主政治が衆愚政治へと向かいやすいと見られるのは、民衆が愚かであるからではなく、判断基準となるような、選択決定要因となる情報が隠されているからであって、ではなぜ情報がつまびらかにされないかというと、それは民主主義が足りないからなのではないのかな?
民主主義は曖昧な賢さを基準にすることなく確実な倫理を担保できるのではないかと思います。この点が、民主主義が他に比して優れている(?なにをもって優れていると評するのか、賢さの基準と同根の問題が横たわっていますが…)ところなのではないかと思います。
とっても既得な資本主義と危篤の民主主義
『ガイアの夜明け 巨大"規制"に挑む!〜明かされる「バター不足」の闇〜』を見ていて思うところが多々ありました。
北海道の酪農家が今後生乳を農協ではなく株式会社MMJ(Milk Market Japan)に卸そうと思うとの旨を農協の組合長へとお話に行かれたとき、組合長さんはそれなりのリスクを負ってもらうだとか家畜の飼料代金の値上げをちらつかせる(とはいっても飼料は農協で販売されているものではなくよその株式会社で販売されているものなのですが)など、うわ~とってもヤクザ経営体質ぅ~高齢者の既得権益保護っぷりがエグイわぁ~と思いました。
後日エサ代を変更するという話は取り下げられましたが、これは「今回はテレビ取材が入っていたからでしょ~」と思わせる(というか実際にそうなのでしょうけれども)態度変更でした。
他にもMMJへと切り替えたために指定団体から圧力をかけられて事業を妨害されたという話もありました。
番組のはじめとおわりにはごく短時間ではありましたが、農業改革を含む5月19日の規制改革会議の一場面が映し出されました。
この規制改革会議における記者会見の席上で、総理は次のように述べられました。
生乳については指定団体に出荷する酪農家のみを補助対象とする仕組みをやめ酪農家が販路を自由に選べ、流通コストの削減と所得の向上が図れる公平な事業環境に変えます。
これが第一次内閣のときの言であればまだしも(第二次内閣はTPP交渉参加反対の姿勢をみせて農協の推薦もらい衆院で大勝し、政権を奪い返して発足されました)政権を民主党に奪われ、その後とりかえしてからのものですから、それって先の政権交代劇でJAの組織票を見限って、農業関係者の生活や健全な競争を保障しましょうという姿勢をみせることで新たな販路、農協に不信感を抱く農家からの新規の票を取りまとめよう、その方がどうやら票は集まりそうだという打算をはたらかせた結果なのではないかと、だれしもが思う感想を抱きました。
- 農協がTPPに反対する本当の理由 農業人口250万人なのに異様な政治力 WEDGE
- 【衆院選2014】農協票 TPPと組織改革、不満呑み込み自民推薦 - 産経ニュース
- 安倍首相の農協改革を過小評価するな | 東洋経済
だから胡散臭くて国には任せられない、公共機関はだめなんだというよりも、だから資本主義が足りない、民主主義が足りない、情報秘匿がひどいんだとおもったしだいです。
コウレイの弁明
今回のお話は先日お話した『お金はだれのもの?ポケットの中の信用は文化が担保している 』と双子の関係にあります。というのも、これはもともと一続きに書いていたもので、あまりに長く錯綜してしまったので二つにわけたものだからです。
二つに分けてもこの迷走っぷりなのですから元の文章のひどさがうかがいしれますでしょう?
以前『作文の書き方知ってますか? 』なんてものも書いていて、なぜお粗末な文章が出来上がってしまうのか?その要因はわかっているのです。
簡単に一言で申しますと…「ゴールを定めていないから」。
だからぶくぶく太った駄文になっているのです。
文章が長く読みにくいものができあがると、最後に言い訳めいたことを書いて釈明せずにはいられない気の弱い者です。
読みづらいってわかっているのなら「読みやすくなるまで推敲を重ねろっ!」とか「これほどころころ話題が変わるのなら1トピックを1記事とすればいいだろっ!」というところなのですが、めんどくさいのです。思いついたらいっぺんに書いて、トピック間にまったく関係がないということでないのならすぐに吐き出してその話題から離れたいのです。飽きちゃうのです。
また語尾は言い切ってしまったほうが説得力が増してスパっとさっぱりキッパリしていて恰好がいいのですが、気が弱いので「である」調がなかなか使えません。
読むぶんにはなんとも思わないのですが、書くとなると「〜である」ドーン!という語気語調の強さがねえ〜なんともね〜…。
それにしましても今回のものは章ごとに話題が変わったり飛躍したりまた話が戻ってきたりと、まるで目が覚める直前に思い返してつなげた夢のよう。レム睡眠中に見た夢をひとつなぎにした悪夢のようね。
目的はさまざまなれど、文章を練りに練ってちゃんと仕上げて投稿されている方があるかとおもうと、幾分かうしろめたさや申し訳無さを感じます。
そして必死に仕上げている方々がおられる一方でこのようにいいかげんなことを書いているわたしがいて、そのどちらが書くものも「記事」という言葉によって同じ土俵に立ってしまうというのはあまりにも心苦しいので、それゆえ軽々に「記事」という単語を使えません。
なのでこのブログで「記事」って言葉あまり見かけないでしょ?こういうことなの。