あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

事の始まり・傷心

ひとの生涯は生まれることで始まるが、物語はひとが害されることで始まる。

 

映画や小説、アニメ、その多くはひとの死を中心として、またはそれを発端として物語が動き出す。昨今隆盛を極めている異世界ものなどその最たるもので、主人公が死ぬところから話が始まる。主人公が死ななければお話にならないのである。

 

こんなことをふと思ったのは、ここのところあまり読んでこなかった小説(物語)をいくつか読んでいて、たまたまなのか必然に突き当たったのか「しょっちゅうひとが死ぬなぁ…あっほらまた死んだ」「また殺し屋が出てきたよ。殺し屋ってそんな一般的なものなの?市民権得てるんだねぇ」なものが続き、振り返ってみると火サス(火曜サスペンス劇場)・2時間ドラマ、名探偵ポアロにコナン、極道・任侠、時代劇に大河ドラマ、ウルトラマンもゴジラも平家物語も古事記も、死ぬわ死ぬわまた死ぬわ。ばったばったとひとが死んでゆく。どれもこれもひとの死を巡ってお話が展開されてゆく、死にまでは至らなくとも”傷心”が物語のはじまりなのだということに今更ながら遅咲きながら気がついた。

ひとはひとの「死」が好きなんだ。ひとはひとの「死」に関心が高い、実は無自覚不覚にも興味津々なのだ老若男女問わず。

 

死を巡るというのは生を巡るということと同義、というか表裏一体。だからひとはひとの「生」にも関心があるのだ。ひとはひとの「生死」に惹かれている生き物なのだ。