ニヒルなアイツ
バランスよし
『新世代が解く!ニッポンのジレンマ』「競争と共生のジレンマ~反響編~」で先崎彰容さんが「ニヒリズムっていうのはある人が言ってる事だけど…」と、前置きされておられましたが、そのときはただ思い出せなかっただけなのかもしれませんが、著名な先人の名を挙げることで権威づけして説得力をもたせたくはないという誠実さからなのか、あるいはその言葉をを解釈した方の語法・ニュアンスを挙げたかったのかな?と、個人的にはおもいました。
番組終盤でみずからを(小池さんや堀江さんと比して)俗物と称し、なにかかっこうをつけないかっこよさのような、あるいは知への真摯な態度のようなものを感じたこともありまして、こちらがかってに深読みしてしまう、そうさせてしまう力のあるとてもバランス感覚のよい方だなぁとおもいました。
先に挙げた言葉につづけて先崎さんは共演者の小池龍之介さんを
否定的なニヒリズムと能動的なニヒリズムっていうのがあって小池さんのニヒリズムって能動的なんですよ。
と表しておられました。
ニヒルな見方と態度
ニーチェさんの用語では能動的と積極的、受動的と消極的は同じもの(だとおもうの)ですが、わたしは(これをわざわざ、わざわざ細分化しまして)仏教を消極的ニヒリズムとみているのですが、言葉づかいやカテゴライズの齟齬のようにみえる先崎さんとのこの違いは、「能動的・受動的(否定的)」が対象としているのは「世界の見方」で、「積極的・消極的」が対象としているのは「(能動的・受動的な世界を受容した上での)世界での生き方・態度」であるという、見方と態度の違いなのだとおもいます。(←見方と態度は一致するものではないでしょ?)
態度表明
能動的な態度というのは「世界はどこもかしこも無(意味)だなぁ~…だからどうした!」と、意に介さない見方。
受動的な態度というのは「あぁ~どうしよう…なんて世界は無(意味)なんだろう。」と、嘆く見方。
そこで…
積極的な態度というのは「無(意味)であることも含めて、ぜんぶまとめてかかってこぉい!すべて肯定してやる!あれもこれもある。それもありあり。」と、底抜けの度量(衡)をみせる態度。
消極的な態度というのは「すべて無に喫し、すべて否定します。なんなら否定すら否定しますよ。」と、底なしの浸潤力をみせる態度。
ここでの「見方」と「態度」はおなじようなものになってしまっていますが、なんとなく異なるところを察して頂けると幸いです。
トラブルラベリングトラベリング
ですからわたしが小池さんをカテゴライズするのであれば、能動的消極的ニヒリズムとみるでしょう。
そして堀江さんをカテゴライズするのであれば、能動的積極的ニヒリズムの枠に無理矢理押し込めてしまいましょうか?(←この造語っぷりが我ながらおぞましく嫌気がさしてくるわぁ~。)
小池さんと堀江さんの対談に意見の衝突を期待していた方が多いのではないかとおもいます。しかし思惑とは裏腹にお二方には共通点が多く、「もうすこし白熱するかと思ったのに、思いの外なごやかな回になるなんて…」と残念におもった方はすくなくないでしょう。
この意外な共通点は「能動的」なところにあり、それでも微妙な、でも乗り越えがたい差異は「積極的」と「消極的」なところにあるのではないかとおもいます。
以上、わたしのただの決めつけレッテル貼りの回でした。
こちらもいかが?