NO!ポイ捨て
現代ではどこもかしこも所有権のついた所有物で溢れかえり、乳母捨て山に捨てに行っても費用がかかります。
権利とマナーをポイ捨て
所有権は権利のうちでも第一義を占めるようなたいへん重要なものです。ですから所有権を侵害するというのは大きな問題です。
そこでわからないのがゴミや産業廃棄物のポイ捨て・不法投棄。
他者が所有している土地を侵害している、つまりは所有権を毀損しているとおもわれるのですが、すこし軽視されていやしませんか?
禁煙を推進する者ではなく、おおいに喫煙されたがよろしいとおもいますが、マナーのよろしくない方がおおいがために禁煙派に肩入れしたくなってしまいます。
タバコのポイ捨てをされる方はそれが習慣となっているようで、決まった捨て場があるように見受けられます。それももみ消しもしないで。
常習者の理屈の通らない自己弁護
「これまで失火はなかったからこれからもない」と都合よくおもっているのでしょう。
実際に失火による火災がおきたとしても個人を特定されることがほとんどないために自分のせいではないと、これまた都合よく解釈。
防犯カメラかなにかに映って特定されたとしても過失ですんでしまう、常習者でも。
これはもう放火ではないの?
「火をつけようなんて意思はこれっぽっちもなかったんですぅ(いつも捨ててはいましたけれど…)今までこんなことはありませんでしたし、はじめてのことですから(…火はついたままでしたけれど)」。
身近にあるもののおおくは発火点が300℃前後だとおもいます。
火のついた紙タバコの先端の温度もこれぐらいだそうです(タバコを吸っているときは800℃ほど)。
これで燃えないと思える感覚がすでに罪つくり。
ポイ捨て侮ってない?
世相もあり、喫煙者の数が減ってきています。
ポイ捨てが慢性化してなにも考えずに習慣でおこなっているひとは年長者の方により多いとおもいます。
公共空間であればいいということでもないでしょ?公共空間でも所有権侵しているでしょう。
ポイ捨てへの規制が強まりこれまではマナーにゆだねられていたものが法制化されると、ある意味、自由が制限されることなのではないかとおもいます。
するとポイ捨てというのは所有権や財産権ばかりか自由権をも侵食する、もっと重大に扱われていいものだとおもうのですよ。
シンガポールほど徹底すべきだとはおもっていませんが、権利という側面から見ると、むしろシンガポールの態度が妥当で、他国が異常なのではないか考えさせられます。
風にまって意図せず結果的に捨ててしまったというのは仕方ないこととして、意図して捨てる行為にはもうすこし厳しくてもいいのではないかとおもいます。
これに反対するひとってどんなひと?
所有権とは、物の全面的な支配すなわち自由に使用・収益・処分する権利。 所有権 - Wikipedia
とありますが、「処分する権利」って「そこここご自由にお捨てになってもいいんですよ~それは権利ですからねー」ってことではないでしょうに、ここのところを誤解されているのかな?
物の支配における処分の権利を「処分権」と表現されることがありますが、一般的に「処分権」と言うと民事訴訟手続きで言われるものを指し、「ご自由にお捨てください」のタグのついた言葉はないんですけれどもねぇ。