宣言することで深増しする作品
『TED』ウェイン・マクレガーさんのプレゼンテーション「ダンス創作プロセスの実演」の見方がまったくわかりませんでした…。
コンテンポラリーの咀嚼にはそうとう時間がかかりそうです。
おむすび、それも海苔を巻いたおむすびひとつ食べるのに20分ほどかかってしまうほどよく噛みますので、どうやら食べながら眠ってしまうことの方が先にきてしまいそうです。
作品の額縁
未消化でまだ受け付けない芸術や日用品のなかに美をみいだす民芸といったものに思い致しますと、作品に必要なのは作品という枠組み。
作品という名付け。
作品と名付けること。
作品と名付けられること。なのではないかとおもいます。
またそんなふうに斜に見てしまうものですから「作品」という語を聞くとピクッとひっかかってしまいます。
深い疑念
みずから言明する場合は「作品」と言ってしまいたいだけなのではないか?
他者が発するときは自分が認める価値観を「作品」としてみてもらいたい、価値を認めるわたしの目を認めてくれませんか?と言っているようで。
「深い」を多用する哲学者と「作品」を連呼する芸術家には懐疑の念を抱いてしまいます。
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