幼い頃より目の見えない方に対して畏怖と畏敬の念を抱いてきました。
ここから広がって障害者を蔑んだり哀れんだりする視線というものは養われず、やはり畏怖の眼差しを向けることの方が多いのです。
健常者と障害者とを二分する気はありませんが、畏怖の念に包まれることを否定できません。
これも差別的な見方になってしまうのかもしれませんけれども、そうだとしてもこれはネガティブなものではなくポジティブなものであると弁解させていただきたいのです。
このわたしの視線は、たとえるなら天才をみつめる視線に近いのです。「あの人はIQ200なんですって」と聞かされてその方と接する時、見方や接し方が普段とはすこし異なりますでしょう?このような感覚です。
あれはまだわたしが五つぐらいのときだったとおもいますが、父がときおり安間さんを呼んで体をもみほぐしていただいていたのですが、その安間さんという方は全盲の方でした。
わたしはこの方がこわかった。
こわいといっても怖かったわけではありません。
物腰柔らかで誰に対しても丁寧な言葉遣いでとてもやさしい方でした。
ときどき音を探るように上を向くクセ(?)がありましたが、話しかけるとちゃんと目が合うのです。瞳の黒目はほぼ失われていましたけれど。
大きなお家に住んだことはありませんが、当時のお家はさらに小さく、細々とした段差も多くてたいへん歩きづらい間取りでしたが、安間さんは一度としてつっかかることもよろめくこともなく、杖を置いてあがったあとも手で壁を探りながら歩くということもあまりせず、そればかりかまったくそれをしないこともあり、こどもながらにず~っと「このひとはほんとうは見えているんだ。ねえ見えているんでしょ?はっきりとは見えていないのかもしれないけれども、ちょっとは見えているんでしょ?だまされないわよ」と心のどこかで常に疑っていました。
マッサージが終わると家の端のはじめの曲がり角までわたしがひとりでお見送りするのがいつのまにか自然と決まりになっていました。
このときもわたしの警戒心を見抜いてか、手を繋ごうとしたり肩に手をのせようとすることもなく、杖をつきながらわたしのすこし後をまっすぐ歩いていました。
安間さんはとてもやさしいのにやっぱりこわい。
こわいからあまり話せないのにすべて見透かされているような感じ。
すでにお気づきのこととおもいますが、安間さんは按摩さんのことです。
まだ幼く按摩師というのが今で言うマッサージ師さんのことだとは知らず「アンマさん」は名前だと思っていたのです。
もしかしたら按摩師さんの安間さんなのかもしれませんけれども、今となっては確かめようもありません。
昔は目の不自由な方の職業と言えば三味弾きか按摩師さんか、でなければ奥間にかくまわれるかしていたようにおもいます。
すこし前まではもっとテレビなどで盲目の三味弾きさんのお姿を目にすることができたとおもうのですが、最近はめっきりお見かけしなくなったように感じます。
三味弾きが減少しているのでしょう。また医療の発達で全盲となる方も減少しているのではないでしょうか。さらには技術の発達などにより盲目の方のできることが増えて職業の幅も多少は増えたのでしょう。それで目にする機会が減ったのだとおもうのです。
弦がピリリンピンピンジャンジャンビィンビェン、撥が腹に当たってチャチャカカ。ステレオ音声もいいですが、モノラルはモノラルで音が平べったくなり、それが簡素で質素で楚々とした郷愁を呼び覚ますようで弾き・惹き込まれました。
今回はただの昔話ですので、言いたいことやまとめのようなものはありません。