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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

「文明国」をめぐる齟齬


挑戦状!

聡明なるあなたへ。この問題、解けますか?

 まずはこちら↓をご清覧いただきたいのですが…

 

 お読み頂けたでしょうか?

 でしたら歴然たるところ、言うまでもないことではございますが、こちらのやりとりでは回答者のwiz0621さんと質問者のibldさん(以降、回答者様を「甲」、質問者様を「乙」とさせていただきます)との間に立論の齟齬が認められます。

 

 そこで問題です。なぜ齟齬をきたしているのでしょうか?その原因をお答えください。

 

 わたしはその道もどの道も、何とはなしにあらゆる道の専門家ではないばかりか、野矢茂樹さんの『論理トレーニング101題』の問いでさえことごとく間違えてしまうような素養なき者で、今回は単なる通りすがりの出題者にすぎません。ですから到底みなさまに答を提示することなどできません。

論理トレーニング101題

論理トレーニング101題

 

 ですがわたしなりの解答を見出しましたので、以下【続きを読む】以降に、わたしの独善的な解答を提示しております。

 そこのところ、つまり正答ではないということを何卒お含みおきください。

 

と前置きいたしましたところで…

 

 いかがでしょうか?

 あなたの回答は見つかりましたか?

 

 そうですか…

 それでは続きをどうぞ。

 

はじまりはいつも問



踊る!ことば御殿!!

 『英雄たちの選択』「明治トップレディーたちの華麗なる変身~条約改正に挑んだ女たち」を見ておりましたら、そこで「文明国」という言葉が発せられ、そのとき頭の中の暗やみの中、遠くの方から、まるで水底から1包の泡が浮かび上がって輪郭線をはっきりとさせながら近づいてくるかのように、徐々に姿を現したものが「文明国とはなんだったのか?」という呼び声でした。

 

 前回はこれを、端的に言って「文明国とは詭弁であった」とくくってみました。

 

 それで今回も前回に引き続き「文明国」に関するおはなしなのですが、今回は「文明国」についてのおはなしというよりも「文明国」をめぐるおはなしです。

 

発端はこちら

 「文明国とはなんだったのか?」これを改めて考えるために調べていましたら、冒頭にあげさせて頂きましたサイトに出会いました。

 一読して甲乙間で意見の食い違いがあることは読み取れましたが、ただその原因が低速回転思考標準装備のわたくしには一読では掴めず、もう一度読み返してみたところでやっとそのポイントがわかりました。

 こちらのやりとりは1年半前と過ぎし日のことで興も冷め、みなさまの興も冷ましてしまうことになるやもしれませんが、ここからがわたしの解答です。

 

それは問いからはじまった

齟齬をきたした「文明」をめぐる争い

 結論から申しますれば、齟齬の原因は乙の問いの立て方にあります。

 まず乙は表題にて

文明国の定義は、これで間違いないですよね?

と、質問していながらその質問文本文最後で

この程度も出来ていない国は、「文明国」とは言わないですよね?

と問うています。つまり質問・問い立てが2つ。

 

 ただし後段の問いは、前段の問いである「文明国の定義」が確立されていなければ答えられない、前段の問いに依存した問いとなっておりますので、前段の問い、すなわち「文明国」とはなにかということを定義付けられなかった場合には自然と立ち消えます。

 

 ですから甲は

『文明』という言葉は…(略)…使う人間によって、その定義は様々です。 【No.3での回答】

と答えておられます。ですから本来、はなしはここでおわっているのです。

 

 ですがこれに対し乙は

あなたは「文明」と「文明国」の違いも理解していないようだ。 【No.3でのお礼】

と糾弾されておられます。

 

 これに対し甲は「文明」は定義付けられないのであるから「文明」という語に内包された「文明国」も定義付けることはできない。ゆえに説明の必要はないと判断されたのだとおもわれます。

 

「文明」も「文明国」も定義しがたし。なれど…

 この点、乙も質問文本文冒頭で「文明国」ではなく「文明」という語を使用しており、甲同様の認識をもっているとおもわれるところがあります。にも関わらず「理解していない」発言。

 

 仮にこれがタイプミスで「国」が落ちてしまい、本来は「文明」ではなく「文明国」のつもりだったのだとしましても、(ここ、煩雑な言い方になってしまいますが…)仮に「文明」の文明と「文明国」の文明とは互いに異なる意味を有する同時別心・同音異義語の如き文明だったとしても、先ほどの乙の発言の前段でみずから引き合いに出されておられますWikipediaの「文明国」の項に

現代国際社会においては基本的にはこうした考え方は否定されている

とありまして、やはり「文明国」を定義付けることには無理があるのです。

 

 これに対し乙は、それは「基本的」には否定されているのであって、実質的には有効であると断定するのですが、それは独断ですので意見の一致をみないのです。

 これも度々乙自身が引かれるWikipediaの「定義」に、いみじくも

人々の間で共通認識を抱くために行われる作業 Wikipedia「定義」

とあるのですが、そこを見落として独断専行されておられるようです。

 

 甲だけに限らず、No.1、No.2のお二方の回答者におかれましても、前段の問いである「文明国の定義」を取りあげておられるのですが、乙は「文明国とはすでに定義付けられたものである」ことを自明の前提として後段の「文明国と言いうるか」を問うておられるので、No.1、No.2をはじめとした「この回答へのお礼」となっています。

 

 これに関して甲は後に

共通理解の前提となる"定義"という言葉には、こういった個性や感性が入り込む余地を排除しなければならないので、他の回答者のみなさんも慎重になるんじゃないでしょうか。 【No.4での回答】

と触れられております。

 

正誤を要求する「定義」をめぐる争い

 甲は前段の問いをもって、乙は後段の問いをもって対話をつづけます。

 そして「文明」あるいは「文明国」をめぐるはなしは「定義」をめぐるはなしへと遷移します。

 

 乙は【No.3でのお礼】で「文明国=国家主権が存在する国」であると定義されておりますが、甲はそれに先回りしていたかのように【No.3での回答】で、「すでに今日につながる『国家主権』の概念はウェストファリア条約の解説本の『万国公法』によって定義されてはいるのだけれども、現代では適用できない」と棄却されております。

 

 その後、乙は【No.4でのお礼】で「文明国=近代国家」と言った方がより正確であったとおっしゃっていますが、「文明国」をどのように言ったところで、それが「定義」の正誤をめぐるものであるのなら決着はつきません。

 これは前回記事の冒頭にもあげましたように「言葉は観念の産物」でもあり、先にあげましたWikipediaの「定義」にもありますように、共通認識によるものですから、意見の一致をみない定義は定義の体をなしません。

 

保留しつつの配慮をみせる

 甲は乙の前段の問いに対して定義付けできないと回答されておられますが、その上で、乙の後段の問いにも配慮して前段の問いを留保しつつ、「このような場合には文明国とは言えないのかもしれませんね」と答えられています。

 

  •  甲は終始「文明国」の定義は成り立たない。「文明国」を定義することはできない。あるいは「文明国」とは主観であると説いております。
  •  対して乙は、「文明国の定義は主権国家あるいは近代国家であるということの正誤」を問いつつ、それには「文明国とはウェストファリア体制あるいは主権国家あるいは近代国家である」と定義付けてみずからの問いにみずから答えを下すという自問自答を経たところを前提とした上で、「文明国と言えるか」どうかを問うています。

 ですから話が噛み合うはずはないのです。

 

「はじまり」の修正

 ではどうすればここでの会話が平行線を生み出さずにおけたのか?どうすれば生じた平行線を交わらせることができたのでしょうか?

 その答えは「はじまり」にあるとおもわれます。

 

 表題の「文明国の定義は、これで間違いないですよね?」の1文。これが元凶です。ですから表題を削ってしまうか…

ウェストファリア体制以後の国家主権の存在する国、あるいは近代国家を文明国の定義とすると、終わった戦争、講和条約が締結されて外交問題のすべての処理がついた過去の戦いに関して、とやかく言う国のことを文明国とは言わないですよね?

といったように、事前に文明国を定義・定立すればよかったのです。そうしておけば「定義」をめぐる争いはおきず、また争いがおきたとしてもその事前に定立しておいた天下御免の「定義」をもって正誤判定可能なものとすることができたのです。

 

 思いまするに乙は端から質問したかったのではなく意見を言いたかったのではないかというきらいがあります。それが気負いにも似たものとなってしまったのでしょうか?みずから孤軍奮闘を余儀なくされる状況に追い込んでしまったように見受けられます。

 これもわたしの勝手な推測で申しわけありませんが、乙はよい人、よい本、よい知識に出会い、その感動の現れとして質問という体の意見を提示されたのではないかとおもわれます。そう考えると乙は少々表現方法がやんちゃではありますが、チャーミングな方なのではないかとおもいました。

 

慧眼のお戯れ

 【No.4での回答】をみますと、はじめのやりとりの後、はやくも甲は二者間の齟齬を見抜いておられます。

 そう考える根拠は冒頭で「誤解がある」ようだとおっしゃっているところ…ではありません。

 乙もこの時点ですでに「誤解がある」ことを認識されておられますから。ただし乙の方はどこに誤解が生じているかを誤解されてはいますが…。

 

 では齟齬を見抜いていたとみる根拠はどこにあるのか?

 それは【No.4での回答】本文中盤あたりにある「この定義の上で」というところです。

 

何事も、原理原則を忘れては成らない。繰り返し言いますが、ウェストファリア体制とは文明国を定義したものである。ウェストファリア体制では、文明国と言う「国家主権のある国」の定義、原理原則を確立した。原理原則を、忘れては成らないと言う意味で、「しかし、この程度も出来ていない国は、「文明国」とは言わないですよね?」という事です。 【No.3でのお礼】

と頑なに乙が主張される定義、自明のものと措定されている「この定義」に今一度着目されてはいかがでしょうか?と、「定義」をめぐる齟齬を認識した上で、おそらくはそのような意図を込めた

もし、この定義の上で、でさらにウエストファリア条約が、非文明国の参加除外を定義している、というのであれば第何条に記載されているのか、書いていただけないでしょうか。 【No.4での回答】

という甲の発言だったのですが、乙はこれを

「条文」「条文」って、なんかうるさい奴だなと思ったが・・・。なるほど・・・。あなたは、「ウェストファリア条約」と、「ウェストファリア体制」の違いも分っていないようだ。…(略)…質問を見直して欲しい。 【No.4でのお礼】

と「みずからの定義」を省みることなく「条文」という言葉に目を奪われて一蹴してしまわれました。

 みずから「質問を見直して欲しい」と発する前、あるいはそう発したとき、ご自身でもそうなさっておられれば

おそらく質問者さんが誤解しているこの点についても予想できますので、
それを詳らかにした上でもう一度だけ改めてサービスで解説します。 【No.4での回答】

と甲があらかじめ言い添えていた経過、甲の予言をなぞる事態にはならなかったことでしょう。

 

予言の種

 このように、甲に予言の余地を与え、そればかりかそれを的中させるもととなった要因は、乙の2つの発言によるものと考えられます。

  1. 乙が「終わった戦争、講和条約が締結されて外交問題のすべての処理がついた過去の戦いに関して、とやかく言うのは文明国ではない」と質問文にあげていること。
  2. 乙が「文明」と「文明国」について指摘されたこと。

 

罠にかかる

 まずは「2.」から。

 乙は「文明」と「文明国」との違いの認識を要求されるほど「定義」にキビシイ方です。であればこそ、「この定義の上で、…(略)…第何条に記載されているのか」と問えば「定義」ではなく「条約」に喰いつくだろうことが予測されます。

 

 案の定、乙は【No.4でのお礼】で「条約」と「体制」の違いの認識を要求され、「この定義」の根拠である「体制」のはなしをされておられます。

 

 この点、意図してか罠(?)をしかける甲に対して、ほんのちょっとだけいじわるだなあとおもう反面、多分におちゃめで遊び心のある方だなあとおもいました。

 

予想される当初の目論見

 次に「1.」について。

 「1.」であげている文言から察するに、乙はこの場において近年日本を取り巻く諸外国の姿勢、あるいはそこに諸外国に相対する日本も含まれているのかもしれませんが、そういったものを批判し風刺するような話の展開を想定されていたのではないかとおもわれます。

 この質問があげられたのが戦争について考えさせられる8月だということ、それに加えて

ただし、ウェストファリア体制で確立した「内政に対する、不介入の原則」がある。これらを採用している国に対して、「野蛮」と内政干渉する事は、「ウェストファリア体制で定義された文明国」として矛盾する行いだと言えるだろう。…(略)…それに付け加えて、「終わった戦争、講和条約が締結されて外交問題のすべての処理がついた過去の戦いに関して、とやかく言うのは文明国(国家主権のある国)ではない」というのも確立しました。だから、ドイツの周辺のヨーロッパ諸国が、「ナチの謝罪と賠償が~」と叫ぶ、非文明人の政治家もいないし、「当時の我が国、ドイツが行なった蛮行の、謝罪と賠償をしなければ・・・」と言う非文明人のドイツ人政治家もいない。 【No.3でのお礼】

と、「内政干渉する国」や「大戦後のドイツの内外」について触れられていることなども、この予測を補強するところとなっております。

 

 さらに、まさにその8月だということから、乙が事前に仮想していた話の展開は「定義」ではなく「体制」…でもなく、(「体制」のはなしがこれほどまでのトレンドとなったのはややイレギュラーだったのではないかとおもいます)「体制」よりも(その「体制」の契機となった)「戦争」周辺(とくに戦後処理・戦後の各国の姿勢あたり)のことなのだろうということが推測されます。

 そうであれば、目論見(?)からはややはずれ「体制」(の話題)へと傾いてしまったものの、遅かれ早かれいずれ「戦争」(の話題)へと傾くだろう。

 そしてこの「体制」の話から舵を切って進路をもどすとき、そのとき「正戦論」を持ち出すだろうことを甲に予見され

予想通りというか、やはり、正戦論に対しての誤解があるようですね。 【No.7での回答】

と甲に言わしめ、その結果、甲を予言者にしてしまう事態を招いてしまったのでしょう。

 

糾弾が目的ではありません

 甲が、体制は変質するもので主観がつよくはたらくものであるからそれをもって定義とすること、それによって定義すること、またそれを定義とすることは難しいのではないかと答えておられるのですが、乙が体制を根拠に定義としてはなしを進めるものですからはなしが噛み合いませんでした。

 これは「歴史認識の違い」ではなく「立論の立脚地の齟齬」「問いの齟齬」にあります。と、なんどもなんどもあげつらい、乙を追い詰め糾弾しているようにみなさまには映っているかもしれませんが、わたしにはそのつもりは微塵もありません。

 

 回答者の方々が前段の問いにお答えになられているところのあの無体な仕打ち、攻撃的な語り口。極め付きは

なるほど、なるほど。まぁ私は本の受け売りなので反論しません。ウェストファリア体制の解釈も受け売りです。…(略)…(No3の返答は、私独自のただの暴論。No4の返答は他人の褌。)…(略)…なので「私が書いた文章=著者の主張」ではありません。そのため、もしよろしければ、実際に本を読んでみて下さい。そして、異論があるようでしたら、著者に対し反論してみて下さい。きっと私なんかより、まともな回答が得られると思います。この著者って面白い方で、ニコ 生で討論バトルとかの挑戦状(ブログのコメントなどに書けばよい)も受けるような人です。(ニコ生は素顔を出すので、素性を公開する必要はあります。と言 うか素性を公開できない人の意見は、「便所の落書き」レベルなので当然です。)…(略)…反論本を書くのもいいですね。『倉山満は、ウェストファリア体制を分っていない!』 【No.7でのお礼】

と、お世辞にも美しいとは言えない退き口。旗色の悪さを明らかに感得した後の逃げ口上と他者への丸投げ。

 この引用の最後『倉山満は、ウェストファリア体制を分かっていない!』にもあらわれているように、さいごまで乙は「歴史認識」にかかずらってしまわれました。

 

でもここにはつっかかっておきます。

 付言いたしますが、【No.8でのお礼】においてこれはコンセンサスの得られない、つまり定義とはならないわたしの独見にすぎないのかもしれませんが、「事実」と「真実」とを混同されているようですし

私の見えている歴史や現実と、貴方が見えている歴史や現実は違うのかもしれない。これぞ、哲学だね。 【No.8でのお礼】

と、これはわたしの単なる偏見なのかもしれませんが、乙はまるで哲学が無際限無節操に多元的見方を許容するがために不要無用な混乱を招く棄却すべきものであるかのように、やや侮蔑的な意味合いを込めて哲学という語を使われているように感じます。

 

 これまで不当に哲学の信憑性を損なってきたのは、まさしくこのような見解であるとわたしはみておりますので、もしわたし感じているような意味で乙が哲学という言葉を使っているのだとしたら、負け戦になろうとも一矢報いたいと望むところです。…

 …嘘です。おそらくノリで使われているとおもわれますし、わたしは哲学徒でも信者でもありませんから、別段なんともおもいません。

 とは言っても、さすがにここまで批難と受けとられるようなことを申しますと…「よく言うわっ!ここまで執拗悪辣に検証されてはたまったものじゃあない。どうせあんた実社会では独習独身独居独歩…(もう独はいいですか?孤独でかなしくなってきますので…)な状態で、うさでも晴らしているのでしょう?」とおもわれるでしょう。またそうおもわれても仕方のない醜態を晒していることは自覚しておりますが、それでもやはり蔑みの情は一片もないのです。

 

すぐれた教材

 はじめ・問いが定まっていないとあっちへいったりこっちへいったり右往左往、千鳥足の紆余曲折な立論となり混乱を招き結論に至らないという好例なのではないかとおもいます。

 

 披瀝されているすばらしい歴史的経緯をはじめとする知識に惑わされずに、二者の齟齬は

  • 体制を定義とするのであれば、その妥当性を検証してみませんか?だから本件の発端となるウェストファリア条約からみていきましょう、まずは定義を確立しましょうというのが甲、あるいは他の回答者のスタンス。
  • ウェストファリア体制を定義とし、それを軸にしてまわりをみまわすと、あの国やこの国は文明国と言えるのか?定義は定まっているというのになぜそんなに執拗にくり返す?わからないやつだなあというのが乙のスタンス。

という立ち位置の違いにより生じる国語の問題であるということを見抜くための恰好の教材になるとおもわれましたので、おのれの醜態を晒してまでもとりあげさせていただきました。

 

 すぐれた教材と賞しますのはなにも国語教育や論理学、弁論に限定したものではありません。いたるところで見られる「はなしの食い違い」全般に広く適用しうるものだと評しているのでございます。

 

「歴史認識の違い」ではありません

 乙は甲とは「歴史認識の違い」がある、またはそう指摘されたとおっしゃり、さいごまで誤解されたままですが、おそらくこちらのやりとりを見た方の多くが乙同様、一見それらしく見える「歴史認識の違い」に拘泥することでしょう。

 

 お二方の足元にも及ばないこの老梅が、今回このように検証できたのは、まさしく国語の問題だったからでございます。

 その証左ということではございませんが、こちらであげられております『ウェストファリア条約』も『万国公法』も『歴史問題は解決しない』も、どの1冊として読んでおらず、またかるく振り返ってみていただいてもわかることですが、乙が【No.4でのお礼】であげておられる歴史にも甲が【No.7での回答】で述べられている歴史にも、その他どのような歴史的な経緯についても、ここではわたしは一切触れていないのです。

 ねっ?「歴史認識」ではなく「問い」の齟齬になっているでしょっ?

 

ステキな食違い

ステキな金縛り

ステキな金縛り

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2012/05/25
  • メディア: DVD
 

 はなしの食い違いというものは歓迎されるものではありません。

 しかしもし今回とりあげさせていただきましたこちらの甲乙のやりとりにおいて、乙がはじめの甲との対話だけで齟齬の原因に気づかれ、それを修正されていたらその後のはなしはどうなっていたことでしょう?

 そこで話が打ち切られていたら、後に双方から供覧せられる卓抜なる【No.4のお礼】や【No.7での回答】でみられるような意義深い見識をご拝聴することかなわなかったでしょう。

 ですから有意義な食違いというのもあるのですねえと感じ入りました。

 

ステキな食込み

 皮肉でも厭味でもなく、掛け値なしに乙は優れた知性の持ち主なのだとおもいます。しかしそれがために、ここではみずからの独断独走に気づけずに自縄自縛に陥ってしまたのでしょう。

 後半、乙は受け売りだとか他人の褌だと謙遜されておられますが、たとえそうだとしましても、受け売りでもあれほどの見識なのだとしたらどれほど優れた理解力でありましょうや。わたしにはこの言論空間に立ち入ることはできません。

 

 弘法にも筆の誤り。慧眼にも思い込みの罠が忍び寄ることがあります。であるのなら、凡人にも満たないわたしはもっと謙虚であらねばなりませんねえとおもいました。

 そうおもいつつも、あとからやってきて傍から眺めて裁定者かの如き振る舞い。わたしはなんと卑小なことでしょう。これこそ下衆の極み。

 

 しかしそれにしましても甲。

しかし私がwikiに記事を書くときに、基本的に、という言葉を使う場合は
原理原則のことを指していたんですが、… 【No.4での回答】

という文言から、Wikipediaの「定義」か、あるいは”基本的”という語が使われている「文明国」か「万国公法」か「国家主権」か、そのいずれかの記事の投稿者なのではないかと推測されます。

 わたしは「文明国」の寄稿者なのではないかと睨んでおります。次いで「万国公法」の編者のひとりの可能性もあるのではないかと勝手に想像しております。

 

 Wikipediaの記事を書いているからどうだということではありませんが、甲の「教えて!goo」での他の質問に対する回答をすこし拝見させて頂きましたが、なんと広範にして達見な智見であることか!

 プロフィールから推測されるお年よりもずっとお若い方なのではないかと勝手な印象をもっておりますが、知性に年齢は関係ありません。これほどおそろしい知性に出会いますとゾクゾクしてきて、わけもなく多幸感を覚えてしまいます。

 

 「なにをいまさら」というところなのでしょうね?有名な方なのでしょう?なぜってこれほどの達眼が人知れず埋もれているはずありませんもの。もうwizerd級!そうで…しょっ?もしそうでなかったとしたら…わたしこの世界ちょっと蔑みます。

 

問イ・ストーリー

 緊張と緩和から生まれる笑い。

 おもうようにいかない怒り。

 価格差が利益を生む資本主義。

 笑いも怒りも資本主義も、また世界でさえも差異で生じます。ギャップは世界をなす運動です。

 

 齟齬というのもギャップから生まれます。

 話の食い違いの場面はそこここでみられますが、そのうちのひとつに「核保有と核使用」があります。

 対立が生じ齟齬が生まれたときには話合われているその問題の解決や、それでも強行に話を進めることよりも、その立論の立脚地、お互いの問いはなんなのかを今一度問い直すことが肝要なのではないかとおもいます。

 でなければいつまでも平行線を辿ることになるでしょう。場合によっては、というより往々にしてこのような状態に落ち込みますと、平行線に辟易して罵り合いの様相を呈してきます。

 

 『万国公法』(そのものではありませんが『万国海律全書』の要約)といえば榎本武揚さんと黒田清隆さんとの間の逸話を思い浮かべる方が多いのではないかと思いますが、たとえ敵であろうとも、知性を真当に評価し、その人物を敬う姿勢を保ちたいものですね。