あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

護憲と改憲を問いなおす

大きな問題

 「憲法記念日」には「改憲派」「護憲派」という単語をよく耳にしましたが…くくりがイカイ(大きい)わっ!

 103の条項すべてに賛成するのでも、またすべてに反対するのでもないでしょうに護憲改憲て。

 

 なかには憲法をもとにつくられた法律の改廃を望み、遡って憲法の改廃に言及しているということもあって、103どころから108または六法六界(←六法全書のある六凡の世界的な意味の造語です。密教を意識しているわけではございません)の玉石混交を十把一絡げに賛否を主張しておられる方もちらほらと…。

 

 そこまで「おっかしぃ~」とはおもいませんが、なんにしろ問が荒いっ!

 

平和の方法

 ある1条を守りたいがために「護憲」かつ話し合わないでは民主的ではないですし、ある1条を変えたいがために「改憲」かつ強行でもやはり民主的ではないでしょう?

 

 護憲派も改憲派も目的は「平和」。

 「平和」にもいろいろありましょうが、ここでいわれる平和は「戦争をなくする(←起こさないとも起こさせないともいってませんよぉ。)」ことでしょう?

 目的は同じでも主張する方法論が異なるから2つの運動のベクトルが真逆を向いちゃう。

 

理念の盾

 (9条)護憲派は戦闘力を放棄して戦争回避を望む、現実味にやや乏しい理想主義でまくしたてます。理想主義 - Wikipedia

 

 こちらの意図とは関係なしに攻めこまれた時にはどうするの?

 話合おうと言うの?

 それで犬養さんどうなりましたっけ?

擦れて色落ちしたところが黄色くなっている赤い布

 

 現在の東シナ海の中国進出を目の当たりにしても「そんなことは起きないっ!仮定の話だっ!」って言うの?

 周辺国の抗議に聞く耳を持たないという構図で話し合えないというのに?

 

 このように現実味がなく「仮に攻めこまれてしまったらどうするのか?」という事態への実効的な対案なしに、理想を盾に迫り来るところが一般的に赤みを帯びてみられるところです。

 

 社会主義の失敗数あれど、そのうちのひとつは「理想に現実が追いつかなかった」というところもあったでしょ?

 

※この項のタイトルを「理想の盾」としなかったのは、理念とリネン(リンネル)をちょっとかけたかったから。その方が赤みが増す感じしない?

 

実相の槍

 (9条)改憲派は戦闘力を整備して戦争回避を望む、理想論や未来展望にやや乏しいいつまでも「その場」でありつづける現実主義でまくしたてます。現実主義 - Wikipedia

 

 「侵略は行わないけれども防衛のためには、こちらは望まなくともあちらが攻め入ってくる可能性があるのだから、それを(事前にも事後にも)制するだけの実力は整えておこう」という現実的な考えではありますが、防衛のためには最低でも相手と拮抗するぐらいの力はほしいところで、そうなると今度は相手国がさらに軍拡に向かい、それでは、と、こちらもさらにさらに軍備を整え、そして…といったように、際限のない軍拡競争がつづきます。鷹の横顔

 

 つまり、防衛力の強化はたしかに現在においては現実味のある戦争回避策・戦争抑止力ではあります、その出口、軍拡競争の先になにを見ているのでしょうか?

 そもそも見えているのでしょうか?

 

 理想像もなにもなくいつまでもドンパチするつもり?

 それがないのなら戦争はいつまでもおこりえるものとして残り、いつまでも武器と共に生きなければなりません。

 このような諦め少々、意気発憤の矛先を向けながら槍で攻撃を防いでいるようなところが一般的に鷹の眼差しで世界を睨み鳥瞰しているのではないかと目されるところです。

 

 いまなお戦火が止まない要因のうちのひとつは「現実の資源や情報を奪い合うばかりで、お互い大人のフリして理想を語ってことなかった」というところもあるでしょ?

 

※この項のタイトルを「現実の槍」としなかったのは、実相と実装をちょっとかけたかったから。その方がタカぶりが増す感じしない?

※※現実と拳○。信念から「ん」を除いて○○とかけようかともよぎりましたがやめておきます。

 

それぞれの「答え」の衝突

 護憲派も改憲派もどちらも目的は一緒。

 「どうしたら平和になるのか?」「なにをしたら戦争をなくせるのか?」

 

 その方法を話合うところから話始めた方がいいと思うのですが、お互いすでに護憲・改憲を答えとしちゃってない?

 「これが正しいのだから従え!わからんやつだなぁ!!」って。

 お互いがお互いに問題ではなく答えを持ち寄ってるからいつも堂々巡りして罵りあっているのに、またそこから、またお互いの「答え」から始めるの?

 

解けない問いに答える

 そうして何十年もやってきたのですから今日明日「答え」が出ることもないでしょう。これからも「答え」の突きつけ合いをつづけるのも百歩譲って静観します。

 

 けれど、最低どちらもこの問題に答えてほしいのです。

 護憲派は「侵攻されたときどうするのか?」という現在の国防について。

 改憲派は「如何なる暴力にもよらない恒久的な国家間紛争の抑止」という未来の国防について。

 今、それぞれ、この現実と理想を説けるひといらっしゃいますか?

 

 そんな問いは現実味がないだとか理想論にすぎないだとか、難しいだとか不可能だとか言って誤魔化さないでよねっ!

 そう言うのなら「答え」の応酬をやめなさい。今やっていることは解けない問題の答えの突きつけ合いでしかないのだから。

 

 それに…「解けない問題」だというのに「答え」は出ているのですか?

 それなら答えて。

 

問いと答えのはざま

 夢しか語らない大人はこまりものです。

 かといって現実しか語らない大人にもこまります。

 

 9条に限らず1条も25条も、あちらこちらで103あるうちのひとつに着目して護憲・改憲を画した運動が展開されておりますが、どうも護憲派は憲法改正されたら悪くなるとしか考えていないのではないかという方が多く見受けられます。

 なぜ、今よりもっとよくなるかもしれない、もっとよくしようとは思わないのでしょう?

 

 改憲派の方のなかには「今そこにある危機」「現実は悠長に待ってはくれない」「理想論だけでは政治はできない」とおっしゃり、護憲派の言動を「認識不足」「平和ボケ」「甘い」と批難される方があります。たしかにその通り、至極真っ当で正当な意見だと思います。

 

 ただしかし、そう言って「改憲」という答えは主張するのに「今はまだ有効な打開策は見いだせない」「それは人類永遠の課題だ」と問題を先延ばしにしつづけてきませんでしたか?

 これまで一度として「正答」を提出したことがありましたか?

 

 問い間違えたままではいつまでたっても答えはでません。

 あまりにひどい齟齬ではいつまでたっても、いくら歯列矯正施しても間に合いません。

 

 戦には出口政策が重要です。このことは護憲派よりも改憲派の方のほうが詳しいのではないでしょうか?なのに出口なし?

 護憲派を罵るのであれば、それをご都合主義と言い返されても致し方ないところがあるのではないかとおもわれます。

 

瞳の噛み合わせ

 護憲派と改憲派とで意見が分かれてしまうのは、平和への方法論。これが異なるからです。

 

 ではこの違いはなぜ生じているのか?

 これはおそらく視線の違いにあるのではないかとおもいます。

 

 これまでも何度か触れてきましたが、改憲派は足下の現実を、護憲派は頭上の未来を見つめています。これでは視線が合うはずもなく、意見も合うわけがないのです。

 

 まったく合うことがないというわけではありません。視界には相手の姿が映っています。

 またガッチリ目線も意思も合うことがあります。それは地盤が歪んだとき。

 災害や戦闘により改憲派の立つ地が隆起して未来に目配せし、護憲派の立つ地が沈降して現在を目の当たりにするような、そんな不慮不幸な出来事が起きたときには視線も意見も合致します。

 

 外圧により内乱が(一時)鎮まり結束力を固めるということにも、このようなことがすこしは関与しているのではないかとおもうのです。

目を合わせる

 護憲派と改憲派の視線の射程範囲から考えますと、意見や議論が高まることはあっても、それで事態が動くということは内側からはなく、当分このままなのでしょうね。

1本足で立てた1本の薪の上にとまる赤い鷹のイラスト

 

 でも"現実が迫りいつ現実となってもおかしくはない"ので、そうのんびりとはしていられませんから、改憲派にはもう少し未来に、護憲派にはもう少し現在に目をうつして頂いて、視線の交わるところをみつけ、視線を交えた議論をしていただきたいものです。

 

 いつまでもお互い視線固定病を患ったままではいつまでも問いに行き当たらず、ゆえにいつまでも答えが出ず、お互いに不安を煽り合うこととなり、結果みんなして不安の舎弟になってしまいますよ。

 

ラスト・オーダー

 「答えるなっ!問えっ!!」

 解けない問題に対する誠実な姿勢は問い続けることしかない。

 「答えるよりも問えっ!!!」

 答えるなばかもの。

 答えを知っているなんて問いにも気づかず奢ることなかれ。

 

 口が過ぎました。

 

 今回はどちらにも偏らないようにしたつもりですがうまくいったかな?

 

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