あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

生産性を高めるには追加報酬をお金ではなくプレゼントにした方がいいよ。と言われても素直には信じられないもの

お金とプレゼント、どっちがいい?

 『オイコノミア いくらで働く?賃金の経済学』で、交換贈与についての実験が紹介されていましたが、プレゼントでも何でも他人からなにかをもらうということが苦手なわたしには、生産効率に有意な差は認められないのではないか?いや、でもこう考えたら上がるのかな?などなど、いろいろ思うところがありました。

 

プレゼントのお霊:その気持ちはどんな気持ち?

 番組内での解説や紹介されていた実験では、「プレゼント感が生産性を上げる」「気持ちがアガるから生産性が上がる」という風に説明されていました。

 

 でもわたしには、それはプレゼントをもらってうれしいから、気分が高揚して効用があがったからというよりも、交換の霊のようなもの、いただいたプレゼントが有用なものであればまだしも、たとえまったくいらないものであったとしても、贈られてしまったから仕方なしになにかお返しをしなければならない、お返しの責任というのか無作法者と思われたくないという負い目のようなものを感じるからなのか、そのような心の澱を払うため、忘恩の霊を祓い清めるため、心情の檻からぬけ出そうともがくために、意識的にか無意識下にか、いずれにせよすこし追い込まれたような、なにかにせき立てられせっつかれているような、そんな圧力のために生産性が上がっているのではないの?というように疑問を抱かせるものでした。

 

 それで、これについてはもうすこし長期的な実験が必要なのではないかとおもいました。。

 対価・賃金に加えてお金とプレゼントではどちらの方が生産性が上がるのかという実験は、同一人物で1度限りのことで、毎度毎度長期にわたってプレゼントをもらってもその効果は逓減していくのではないかとおもいます。

 

 仮に低下しなかったとしても、後に大きな問題が出てくるのではないかと考えます。

 

 それはストレス。

 

贈与の澱

 贈与には菓子折りではなくありがたくない澱がついてくるとしたら、複数回の贈与、または定期的な贈与の折というのは度重なる"澱贈り"でもあり、それをなんでもないこと、まったく気にすることでもないし気にもならないというのであればいいのですが、それをお見送りしてスルーできないひとにとっては、浄化が追いつかず澱が積もって追い込まれていくばかり。

 日々追い詰められているような心持ちとなり、とても窮屈に感じ、四季折々澱を抱えながら生活しなければならなくなることでしょう。

 

 これきつくない?

 それで病んでいってしまうのではないかな?と睨んでいるのですが…どうでしょう?

 なので時々ならまだしも常態化させて運用するとしたらそれは健全ではなく、とっても安直で危ういことなのではないかと思うのです。

 

プレゼントは贈る側の自己満足

 たとえば、毎年、創業周年を祝って記念品をつくり、それを年に1回従業員に贈る(?)配る企業があったとして(というよりありますよね?)、それでその企業の従業員の生産性が上がるだとか、連帯感が高まるだとか、なにかそのような正の効果をもたらしているでしょうか?

 

 (それを刻むことでプレミアム上がるっていうなら別だけど)たいていそのような記念品には企業名やらロゴやらメッセージやらをご丁寧にも刻んでくれていやがりますから転売もできない。

 

 そんな下らないことにお金を使うのなら現金の方がいいわ!

 

 普段から口を開けばやれコストカットだ、そら効率化だとのたまっておいでになられていてこれかい!こんなんいらんわ!余計な費用かけんなや。

 

 利益を上げても経営者がこんなことにお金をかけるマヌケならがんばっても仕方ないし、言われたことだけ最低限こなせばいいや。

 

となりませんかねぇ?

 

 

 すこし話はそれますが、プレゼントを贈るひとの心理ということでおもしろい話を見つけましたので、こちらにリンク張っておきま~す。

 

結論を出すにはまだはやい

 いろいろひっかかるところがありましたので、もう少しこの交換贈与の実験について知りたかったものですから、番組で紹介されていた

Sebastion Kube, Michel André Maréchal, and Clemens Puppe(2012)

The Currency of Reciprocity:Gift Exchange in the Workplace

American Economic Review 2012

について調べてみました。

【PDF】The currency of reciprocity gift-exchange in the workplace

【PDF】何を与えれば,人はより働くのか?-フィールド実験による検証|大阪大学大学院:森 知晴

 

 この実験結果は実社会を正確には反映しないということはこちらの小冊子でも触れられているところですが、こちらの実験をそのまま企業活動に持ち込もうとするには注意が必要だと思われるところは、たとえば作業前に報酬が提示されていることは一般企業と変わらないことでしょうが、その報酬が賃金とは別の追加報酬であること。

 

 追加報酬は1パターンしか提示されず、他に追加報酬の種類があるということを知らないこと。

 だから追加報酬を比較できないこと。

 比較できないって大きいでしょぉ。

 

 他には被験者の抽出方法に見過ごせないバイアスがかかっていて偏りがあると思われるところ。

 というのは、通常のアルバイト募集と同じようにポスター提示にて行ったとありますが、そのポスターが張り出されていたのはキャンパス内であり、データベースへの打ち込みという多少なりともスキルを要する仕事であり、なおかつその仕事は1回限りの仕事で1度きりの作業でしかないことから、それなりの教育を受けた必至に職探しをしているわけではない、能力や経済状況の比較的似通った学生ばかりだったのではないかと考えられるからです。

 

 そうであるから世代や収入別に分けられたデータが提示されていないのではないでしょうか。

 

それは"気持ち"のなすわざ?

 実験ではそのままお金を渡されるよりも折り紙にして、金額は同じでもただ折ってあるという一手間が加わっているだけで生産性が高まったという結果が得られ、その要因を感謝の念や思い、気持ちがそこに加味されるからなのではないかと考察されています。

 

 しかし被験者が心理実験に協力しようとわりに軽い気持ちでやってきた人と生活のために真剣な面持ちでやってきた人とではまったく異なる結果が出のではないでしょうか?

 

 生活に追われている人であったなら、追加報酬として魔法瓶を示されたなら「魔法瓶の代わりにその分の現金を頂けないでしょうか?換金するとなると魔法瓶の価格よりすこし金額が下がってしまってもかまいません。お願いします」とならないでしょうかねぇ?

 

所得エレメント

 ここのところをもうすこし探りたかったので、他に参考になりそうな資料がないかなぁと検索しましたところ、世界銀行が発行し一灯舎が訳しているこちらの資料にあいました。

【PDF】世界開発報告2015 心・社会・行動

 

 この報告書のPart1-Chapter2「社会的選好とそのことに含まれる意味」(p.50)に、スイスでの実験とザンビアでの実験が簡単に紹介されています。

 

 スイスでの実験は先ほどのドイツでの実験と同様、一度限りの実験において生産性の上昇が認められたというものです。

 

 そしてこちらの実験がもうすこし探りたかったところに答えてくれそうにみえたものなのですが、こちらのザンビアの実験は1年という期間おこなわれたもので、やはり追加報酬は現金ではない方が成績がよかったというものでした。

No margin, no mission? Motivating agents in the social sector

 

 はじめ追加報酬が現金でないグループ、ポスターに売上げた個数分の星のスタンプを打ってもらえるというグループのひとたちが1年の間に「あっちのやつらは追加報酬現金なんだってよぉ。おれたちとなにが違うんだ?がんばれば追加報酬現金にしてくれんのけ?それじゃあここはいっちょ…」と根拠のない思い込みから奮起して成績をあげたのではないかと疑ったのですが、そこはちゃんと設計されていて、そういうことのないように設計されていました。(p.10、p.37)

【PDF】No margin, no mission? A field experiment on incentives for public service delivery

 

ひねくれものはまだ疑う

 ザンビアは世界平和度指数がアフリカでは最も高い平和な国ではありますが最貧国でもあります。

 2011年に頭を打った銅と為替レートは急落し、ますます生活は苦しくなったことでしょうし、この実験ではターゲットが学生ではなくすでに働いているひとたち。

 

 ジニ係数は50を越える格差社会ではありますが、一人あたりGDPは日本と比べると桁が1つ異なり、経済規模が島根県なみ。平均寿命が38歳という低さなど、金銭への執着を薄める要因がそこかしこにあるのではなかろうかともよぎりましたが、こうなると実験結果とその考察を素直に受け入れて、追加報酬は"気持ち"の方が、気持ちでいいのだと思いました。…と、まともな方なら思うところなのでしょうが、まだまだ受け入れられないこのひねくれよう。

 

もうひとひねり

 まだどこにひっかかるかというと、ターゲットがおそらく店舗をもつ理美容室の経営者や就労している理美容師の方々だということ。

 国は貧困に喘いでいるとしても、店主や手に職をもつスタイリストであるということは、周りと比べれば経済的に恵まれた所得階層に属し、ある程度収入を確保できているのではないかと考えられるところです。

 

 ある程度の収入が得られていればそれ以上の収入はあまり望まないでしょう。

 所得が高いほどインセンティブとしてのお金の効果は低いですし、こちらのデータでも所得階層と限界効用の相関は示されていないことですし。

 

 ザンビアの実験では「Figure 2: Average yearly sales by treatment group」(p.38)のグラフがよく取り上げられ、「Stars group」の成績が最もよいと示されますが、わたしにはその下にある「Figure 3: Distribution of packs sold by treatment」のグラフの方により興味が惹かれます。

 

 

 もう神頼みぐらいしか手がないというほどに追い込まれた現在の国家財政の状況で、同じ実験をしたらどうなるのか?まったく異なる結果が得られるのではないかな?と思うのです。

 

目的をお金にすり替えられるとやる気を失う

 自発的に行われることは自発的であるからこそ熱心に取り組まれ、金銭に関わらず上達が早く生産性が高いということはよく知られていることです。

 

 子どもが興味を持って自発的に楽しんで行っていたことに、大人が、それがよくできたからといって子どもに報酬を与えると、子どもはそれを続ける気力を失うといわれています。

 これは子どもが"楽しい"を目的として自発的に行っていたものが、報酬を与えられることで途端にその行為が報酬目的になってしまう、というより報酬目的にされてしまい、やる気を失うからです。

 

 このことと同じで、お金を報酬とするとお金が目的とされてしまい気分を高揚させることには寄与しないのかもしれませんね。

 金銭供与ですと仕事になってしまいますものね。

 

 そういえば…親族間であっても、ただのお手伝いのつもりで誰に言われるでもなくすすんでやったことなのに、最後にお金を渡されてしまうと、最後の最後になんだか仕事にさせられてしまったような感じがすることがありますものね。ありませんか?

 

 追加報酬が金銭でもプレゼントでも、あるいはそのいずれでもない承認欲求を満たすものであっても、その上昇率に差はあれど、いずれも効用が上がり生産性が高まりますから、プレゼント等が生産性をあげるというより、お金は上昇方向に向かうと同時に抑制する方にもはたらき、思うほどの伸びを見せないということなのかもしれませんね。

 

設計が難しい

 このようなこともわかってはいるのですが、それでもやっぱりねぇ…どうしてもなにかしっくりこない収まりの悪い感じがねぇ〜残るんですよぉ〜。

 それも結局は生活に追われていない、生活に追われない程度の余裕があって成り立つものではないのかなぁ?と。

 さすがにすべてが収入と紐付けられるとは思っていませんよ。いませんが、けっこうなウエイトを占めるところなのではないかと思うのです。

 

 ですから生活レベルと限界効用、収入階層と贈与交換をそれぞれ縦軸・横軸にとったデータを見てみたいのです。

 収入というエレメント、収入階層というファクターは贈与交換にはあまり関係ないのでしょうかねぇ?

 

 贈与交換についての実験を設計される方々はこの点(貧困・格差・収入階層など)を見落としているのではないかとほんのすこし感じるところがある一方、多分にこれはわたしが過敏に反応してしまっているだけなんだろうなぁ〜と思うところです。

 

これからは贈りモノにしようと思うの

 これを国に当てはめるのは正しくないとはいえ、単純に、プレゼントが金銭よりも生産性を高める、効用を上げるというのなら、諸外国への支援は金銭より物資をメインにしたらいいのにと思ってしまいます。

 

 とくに対外的に都合のよい「発展途上国」といつまでも称し、(一人あたりGDPは低いにしても)GDP世界第2位でありながらODAで資金援助を引き出しておいてアジア・アフリカ各国へと資金援助をして影響力と発言力を高めるというようなところに対してはね。

 

プレゼントのゆくえ

 贈与交換についての実験結果から、「大事なのは気持ち」だとまとめられることが現在のところ一般的であり本流なようです。

 

 ですが、その"気持ち"は感謝、承認欲求を満たすことに寄与したことへの見返りなのではなく、重しというのか忘恩の霊というのか、「わたしが手間を掛けたことを忘れるな」「これだけのことをしてあげていることをわかっているよね?よもや忘れてないよね?」という無言の圧力のような、責任の贈与のような、なにかそのような窮屈ななにかなのではないかと感じたことから、今回のこの考察へと至りました。

 

 

 番組では昼食代として500円もらうのと、豪華な(手作りの)お弁当ではお弁当の方が気分が高揚するとお三方なっとくされているようでしたが、わたしは豪華なお弁当しんどいです。

 

 小食で食べるのが遅いので残してしまうでしょうけれど、古い人間なので"残す"ことに強い抵抗感があり、食べ切らないとならないという義務感のようなものを常につきしたがえてきたものですから。

 

 対して500円頂ければ、食への関心が低いものですから、300円をその日の昼食代に使って200円を得るだとか、昼食をとらずに500円を得るなど、日によって自分のお腹と相談して選択することができるので、わたしにはこちらの方がいいです。

 

 こうすれば、たとえば2日で新書1冊、1週間もすればハードカバー1冊買えますからねぇ。

 ただこれで生産性が上がるかと言われると…。

 お弁当でも500円でも、どちらにしてもわたしの場合は生産性に影響しなそうです。

 

 こんなひともいるでしょ?

 

気持ち測定

 それで結局、実際のところ、生産性を上げるには追加報酬をお金にした方がよいのか?プレゼントにした方がよいのか?というところですが…わかりません。

 

 実験ではプレゼントにすると生産性が高まるという結果が出ておりますが…どうなんでしょう?疑わしくない?納得できる?ということを、この手の実験の被験者となったら外れ値たたき出して、データからたたき出されてなかったことにされるであろうひねた者が、ここでは延々長々と申してきたのでありました。

 

 贈与交換についての実験の結果はいくつも揃ってはおりますが、それをどのように解釈し、実社会にも当てはまるのか?という結論はまだ出ていません。

 これは私個人の見立てではありません。

 "気持ち"を推し量ることは難しく、"気持ち"は測りがたいものでなんとも言えないというのが学者や専門家の間でも一般的な見解なようで、まだ仮説にとどめているというのが現状のようですから。

 

 『オイコノミア』のこの回を見て直感的に「これだっ!こんどのボーナス払えそうにないけれど、かといってそれでやる気を失われては困るから、お金のかからないプレゼントにしよう!」とほぼ決定しかけている経営者の方、贈与交換についての結論はまだ出ていないことですし、これは追加報酬の話であって給与水準に不満をもたれている場合にはあてはまらないと考えられますし、打つ手を間違えるとえらいことになりますから、安易に飛びついて総スカンくらわないようにご注意ください。

 

 メディアの情報を鵜呑みにしてろくに自分の頭では考えず、勢いだけで断行してただただ掻き乱すだけのしょうもない上司をお持ちの方、お察しします。お可哀想に。

能力と階級にきれいな相関は見いだせない。

 お大事に。

 

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