あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

労働力の供出を迫る現代の交換社会

労働と人間性のトレードオフ

 重さと長さのように単位の違うものや次元の異なるものを比較しているようなものなのに、このような学とは言えないものを持ちだしてさも経済学に基いているかのように装っています。

 

院外の社会生活習慣病

 病院等の公共施設には今日もたくさんの交通誘導の高齢者。

 雇用を増やす一助となっておりますがあんなにはいらない。

 働いておられる方々もただそこにいるというだけの方が多く、みずからの役割の不必要性を自覚していながらも今日もそこに立つという風な方が大半。でなければ食べていけないから。

 

 食べていくために人間性を切り売りして人間性の放棄の代償としてわずかばかりの賃金を得る。これがまともな社会の姿なの?生殺与奪を抑えられて権利も憲法もやり込められています。

 

無言で供出を迫る交換

 労使関係において、賃金を払う者と受け取る側とではどうしても立場のつよさに差が生じてしまいます。「労使関係は対等」はお題目でしかありません。

 このような関係が店と客の関係にも持ち込まれてお金を払う者がある種「えらい」強者になっています。

 対価としてサービスを得る。サービスを得られて当然だ。その権利がある。と。

 

 貨幣社会では、貨幣が物の仲立ちをして物の移動を円滑にして交換を成立させていますが、それが現代ではやや行きすぎて「交換の強制」に至っているところもあるように感じます。「命が惜しくば労働商品を出せっ!」「契約不履行の場合には違約金を払えっ!」「納期に間に合わなければ次はないと思えっ!」などなど交換が供出を迫っている場面ってありませんか?ホンネとタテマエを都合よく使い分けて無言の圧力をかけてくるというようなことがやや多くありませんかね?

 

既存の経済学の丈に合わせた道徳教育

 そんななか道徳教育よりも社会に出てから役に立つ実学、この社会で生きる力となる経済学の早期教育を行うべきだという考えがあります。この考えは実に合理的です。その考え通り道徳よりも生きるための強力な武器となるでしょう。

 こうしてまた道徳は二の次に留め置かれるのでした。あるいは道徳に適った社会建設ではなく既存社会に合う道徳に型抜きされるのでした。

 

 不定時法やゴミの分別などはじめは定着しないとおもわれていたことも案外容易に血肉化して、一度そうなるとそれが自然自明のものとなります。

 

 教育にはフィルタ機能があります。しかもそのフィルタは大人が決めます。これではシステム変革は困難。少子高齢化社会で年寄りが政権を握って居座っているような社会では若者の声が反映されづらいことのように。

 「教育が大事」の前にその中身、それを言う人・決める人、アウトラインなんかを決めないと思想教育が含まれて軋轢生んで破壊を助長しかねませんねっ。

 

 労働のすべてを忌避すべきものだとはおもいませんよ。生きがいやlifeworkとなるそれ自体を目的とする労働・活動というものもありますから。