あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

仕事の定義の変革のとき

仕事の公式

 AIによりヒトの仕事が縮小していくことが予測されている昨今。

 そしてその実感も徐々に生活の中でも見られるようになってきた直近。

 仕事を定義づける。

 または仕事の定義を変えるときがきたのではなかろうか?

 

時給換算される仕事

 現代では仕事は生活の糧を得るための労働のこと。

 もっと端的に言ってお金のことであり、仕事の大きさは概ね、特にパートタイムやアルバイト、サラリーマンにおいては「時間×お金(時給)」、要は時給のことになっていることでしょう。

 そうでなくとも(年俸制や月給制のひとであっても)誰しも一度は計算したことがあるのではないでしょうか?

 「わたしの一時間あたりの給料は何円なのだろう?」

 「あたいの1時間はいったいいくらなの?」

と。

 

 わたしはこの公式を変えたいのです。

 あるいはせめて古典式にしたいとおもうのです。

 

 中学校の理科において仕事(の大きさ)は「仕事(J)=力(N)×力の向きに動いた距離(m)」で表されます。

 この公式をちょっと変えて、いい感じの労働という意味での仕事の公式を打ち立てられないものでしょうかねぇ?

 

…などと大層なことを申しておりますが、特におもいつかない…

 

「存在×仕掛かり」?創造?手技?手業(わざ)?人数?関係者?影響力?(社会)変革?

 

 …うん、やっぱりさっぱりおもいつかない…

 

労働のくりこみ理論

 「8時間労働」の8時間というのは特に理由があったわけではなく、いわばノリで決まったもの。

 したがってその妥当性は甚だあやしいのですが、今日では一般化した、一般化してしまった8時間労働ということで話をすすめますが…

 

 家事も隠れた労働、賃労から疎外された家事労働であるのですから、その労働時間も8時間の内に繰り込んで労働時間を定めるのが尋常でしょう。

 統計をとると主婦の家事時間は1日およそ4時間ほどだそうですから、これを繰り込んで、1日の労働時間を4時間とする

…というのでは急にこれまでの半分。

 これでははじめ抵抗が大きすぎてしまうでしょうから、その半分の2時間を繰り込んで、1日の労働時間を6時間とするのはいかがでしょうか?

 というより向こう3年1日6時間労働とする!

 

 1日6時間

 週30時間

 残業なんてもってのほか!

 残業ありきの給与体系なんて適正価格じゃないことの証左。

 

 そして4年目より1日4時間労働とするのだ!!

 

 これを労働時間の"くりこみ理論"と名付く。

 

…なんてね。

 

強制労働

 年を取ると1日が短く感じられるもので、8時間なんてあっという間なんて日もありますが(例のジャネーの法則ね)、それでも8時間は疲れること、しんどいこと。

 年を取るほどに体力が衰えて大変になってゆくということも加わって、あぁ~しんど。

 

 60歳や65歳をこえて定年を迎えても生活のために仕事をしなければならないひとも多いことでしょう。

 結局お墓に入るまで働き通しで悠々自適なんて夢のまた夢…どころか夢でさえ見られないのが現実。

 

強制変更

 コロナ禍で否が応でも働き方が変わってきました。

 仕事の定義・公式はいまだ確立してはおらず、それゆえ仕事の定義が働き方を変えたこともないわけですが、その反対に、働き方が変わることで仕事の価値観や常識が変わってきました。(あっ!そうか!定義や公式と言わずに価値観と言えばいいのか!)

 

 アフターコロナで働き方ばかりか仕事の価値観が激変することでしょう。

 というよりそうでなければならない。

 ここで変わらなければいつ変わるのか。

 

 そしてそれとともにお金の価値観にも変化が生じるでしょう。

 大半のひとにとっては「仕事≒生活≒お金」という公式が成り立っていることでしょう。

 仕事とお金はほぼシームレスに繋がっています。繋がってしまっています。

 

貨幣の変革のとき

 簿記・会計制度・会計技術の発達・確立が信用貨幣を定立し、ひいては(不換)紙幣・信用貨幣・現代のお金を成り立たせ、資本主義を生みました。

 キャッシュレス社会が浸透しつつある現代、ますますお金とは会計・帳簿技術・記号となってきました。

 資本主義とキャッシュレスは相性のよいものでしょう(少なくとも物々交換よりは)。

 

 筆記・書記・記述術はお金を、経済を、人心をも操ることができるのですから――

「書記長」とはなんとも的を射たネーミングであることでしょうか――高度にして最重要事である公的文書の改竄とは蛮行にも等しいものでしょう。

 また帳簿の改竄はニセ金をつくるがごとき奇術にして重罪ともなろうものでしょう。

 にも関わらずそれを行うとは、書記術の力の大きさ・影響力を理解していないか、後ろ暗い度を越した狡猾さの証。

 

 コロナ禍のここへきてMMTベーシックインカムという考えが見え隠れする度合いが増してきました。これまでそれらの考えに反対していたひとたちでさえ宗旨変えしたかのように、また以前までの態度表明をなかったことにするかのように、好意的かつ得意げに語るようになってきました。

 

 商業活動とは一線を画す、あるいはむしろときにそれとは対立する政治。

 政治献金の仕組みがある以上、特定企業、支援企業とのつながり、ときに主従・上下関係が築かれることは避けられないことでしょう。

 そうならないようにたとえば政府紙幣を発行して直接市中に流すのではなく、公務員や政治家、政党助成金などを政府紙幣でまかなうことで腐敗の防止と貨幣流通量の調整機能をもたせればよいのではないでしょうか。

 

 懸念されるのはギリシャのような状態に陥ること。

 人口に占める公務員数が増加して不安定で依存的な生産態勢となり脆い経済体質となること。

 問題はまだ多々あれども動きのおそろしく遅い現状現行と比べればMMTベーシックインカムなどの新たな取組みや仕組みについて検討することは有意義であり、仮に実施するということになるのであればこのときしかないのではないかとおもいます。

 こうして新たなお金の価値観が新たな働き方、仕事の定義に変革をもたらすことでしょう。

 

 新型コロナウイルスという天災に見舞われているなかにあっても、利益誘導、予算確保、儲けよう、大金を得たいといった画策・権謀術数が今国会においてもみられることが非常に残念であり不快。

 経済が、生活が立ち行かなくなるから全体にお金を行き渡らせようという政策を隠れ蓑にして、自らの資金を確保ばかりかこれ幸いとばかりに増やそうとさえしている政権運営側。あまりにおぞましくあさましい。

 

 資本主義が倒れてもひとは死なない。

 そこにはただ(資本主義が倒れると)ひとが死んでしまう資本主義があるだけ。

 そのような仕組みにしているだけ。

 そんな考えがよぎります。

 

国会中継を見ていておもったこと

 実務に限らず能力で官僚に勝る者は実に少ない。というのもそれだけ官僚の能力というのは高いから。

 対して能力で政治家に劣る者もまた少ない。というのはまったく言いすぎだけれども、国会答弁を聞いているとそうおもわざるをえないほど官僚の用意した原稿を何度も何度も何度も何度も繰り返し繰り返すだけで返答になっておらず、国語力が皆無なのか?とおもわせるほど会話が成立していないから。

 そうすると国務は官僚が担う方が話がはやいし通じるのでより最適解に近いのではないかとおもわされます。

 

 しかし、そうはなってはいないし、そうすべきでもないともおもいます。

 また、それではなぜ政治家がいるのか?

 なぜ能力に劣る政治家が必要とされるのか?

 

 それは官僚が個々の信念に基づいて国政を担えば必ず混乱をもたらすから。

 賢者同士の諍いであるから熾烈で収集がつかなくなること必定。

 だからというのか、そこで政治家の登場です。

 政治家は民衆の信念を、大勢の価値観を示します(本来ならば)。

 政治家は大衆の意見を集約し、意思決定をし、ゴールを示します。

 そしてまたその軌道がそれていないか、歪められていないかを監視・監督します。

 政治家が方向を示し、官僚がそこまでの道をつくる。

 実現するのは官僚。

 この形がよい形なのではないかとおもいます。

 

 しかしこれが逆転していることがあっておかしなことになっています。

 また官僚の方が能力が高いので(官僚の価値観に沿って)誘導されてしまうことも多々あって道のりが長くなったり歪んでいたり脱線して他のところへとつながっていたりします。

 そうなると政治家の、民衆の価値観・信念ではなく官僚の信念へと誘導されて民衆と政治とが隔絶してゆきます。

 それを防ぐには元官僚の政治家がよいようにおもうのですが、元官僚総理の政権運営をふりかえってみても、元官僚でも官僚を御することは難しいのだなあとおもう。

 

 ではどうしたらいいのか?それはまったくわからず、おもいつきはしませんが、現代資本主義社会において政治家と官僚の分業体制やその意識が他の業種と比べてもっとも進んでおらず曖昧なままであるようにおもいます。

 

 暇といっては語弊が多分にありますが、望むと望まぬに限らず時間のある今このとき学び変革していかなければ、今このときできないのであれば、この先も変革のときはこず、状況に隷従することから脱することはできないだろうなあという予感がはたらきます。

 

※ただの雑感なので話にまとまりがないのはご容赦ください。ではでは。