1歳と3歳のお子をもつ親戚たちとお食事をしたある日のこと…
お子様ランチがあるとおもったのですが、おとな向けのおとなのボリュームのランチしかなく、お子たちは食べきれないでしょうし、わたしもそれほど食べる方ではないので(昔から喉が渇くだとかお腹が空くという感覚に乏しく、いまだにその感覚がよくわかっておらず、冬場は末端冷え性がひどいのでなにかを口にするといった具合です(このときは水の暖かさを実感します。水は食べ物をとったときよりも持続性はないですが、からだを温めてくれます。飲み物は常温でお願いします)。)、わたしはお子たちが食べ残したものをいただくということにして、3歳の子のものは頼みませんでした。
お料理が運ばれてきて、わたしの前に配膳されておらず、なおかつ3歳のお子の両脇はすでに配膳されていてスペースがなかったということもあり、わたしが「そちらへ」と促したのですが、周りの親戚たちはこの重要さがわからずに「いいよいいよ」と、わたしの前に配膳を促しました。
案の定、お子は、泣きわめきはしませんでしたが、ちんぶりかえってしまいました。(まちがいなく方言だとおもうのですが、おばあさんがわたしの小さい頃に「ちんぶりかえる」とか「ちんぶってる」と、スネている様子を形容して言っていたので…もちろんわたしも若い頃は使いませんでしたよ。言えませんでしたよぉ~それが今では…いまでは方言の保存の意味も含めまして、積極的に使うようにしていますので、ここでも「ちんぶる」と言いますが。)
そうよね。一旦あなたのものにしないとね。
あなたが生まれてまもないころにお目にかかってはいるけれど、あなたにはわたしはまだよくわからないひとですもの。警戒しているひとのものを食べるなんて、わたしでもイヤですもの。
おかあさんも怒らず食べるように促しましたが、30分から1時間ぐらいちんぶり続いたでしょうか。わたしが手をつける前に取り分けておいたお蕎麦やおかあさんのとっておいたご飯などを食べ始めました。
ここにあなたのおじいさんがいなくてよかった〜逆鱗に触れて泣かされていたでしょうからね。
10年ほどしてあなたが少女になるころ、あなたはじぶんの高潔さに苦しめられることとおもいます。この文章をあなたに見せることはありませんし、見ることはないでしょうけれど、なにかしらの痕跡は消えずに残るものとおもいます。
いまのあなたにも、そして10年後のあたにも届かないタイムカプセルを埋めてみます。
「ちゃんとじぶんをあまやかしなさい。それでいいんだから。」
苦しいとき、そこにある梯子をのぼって白い天井に書かれた文字を読んでみて。
きっとあなたを受け入れてくれるから…。
妹は愛嬌があって自然とまわりから手を差し伸べられてうまくやっていくでしょう。あなたももうすこし愛嬌よくしたらとすでにいわれてるでしょ。
そういわれてもあなたはそうしないとおもうの。
そういわれるほどますますちんぶってしまうでしょうね。
そうしてうまく生きていけない自分に苦しむとおもう。
10年後、わたしはそんなあなたの代弁者になれるとおもう。
あなた以上にうまく伝えられるとおもう。
でも10年後にはわたしはもういないでしょうし距離も離れているから、せめてそのときは楽天的なちんぶり者であってほしいとねがっています。
1時間ほど延々と休みなくトランポリンでぴょんぴょん飛び跳ね続けたり、おかあさんに「よ〜いドン言ってー。」と息切れ一つせずせがんで走り続けたあなたの姿をみて、楽天家の気質ありっ!と、すこし安心もしてますけれどね。
それにしても無尽蔵なとてつもない持久力ね。