あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

全知全能の存在はひとの願望が投影されたもの

 全知全能というけれど、それが人格をもつものであるのなら、それは全知全能の存在を信じるひとの願望が投影されたものではないでしょうか。

 

 全知全能の存在を語る前に、まず前知とはなにか、全能とはなにか、ほかの言い方をすると「知る」とはなにか、"知"や知性といったものはなにか、どういうものか、知そのものとは、能力とは、力とはなにかを解明しなければなりません。少なくとも、それを定義づけなければなりません。

 

叡智な子の親は全知か?

 わたしたちは「全知(の存在)」を過大評価してはいないでしょうか。『オーバーロード』のアインズとデミウルゴスアルベドらの関係のように。創造主・造物主にまさる被創造物がいるかもしれないし、いてもおかしくはないでしょう。創造主であるから全知であるはずだとか、造物主であるから全能でなければならないということはないでしょう。

 創造主=全知、造物主=全能といった根拠のない等号関係、そんなバイアスが無意識のうちにかかってはいないでしょうか。だって…卑近な例になるけど…親が全知で祖父母が全能、曽祖父母に至っては造物主なんだぜ!…ってことはないでしょう。鳶が鷹を生むってこともあるし、蛙の子は蛙ってこともあるし…。

 

至高の御方を疑う不敬

 どっかの神様は、その信仰心を試すために息子を殺すように要求したんだってさ。そしたらその親父さんほんとに息子を殺そうとしたんだよ。

 もしその神様が全知全能だとしたらさ、自分がそんなこと要求したらどうなるかなんて言わなくても、また、実際に行動させなくてもすでにまるっとまるごとすべてお見通しだよね。それをわかった上で要求するってお戯れが過ぎます至高の御方。

 実際にはどうなるかはわからないということならあやしい全知、範囲限定的な全知…って、それ全知?

 知るということと心のありようは別物で、そこまではわからないということなら話はまた振り出しで、じゃあ"知(そのもの)"ってなぁに?

 

 それに…全知全能だと万能であるためになにごとにも興味をもてないのではないかとおもう。はじめのうちは万能感に満たされておもしろかったのかもしれないけれど、そんなことが何年、何十年、何百年ぐらいならまだしも、何千、何万年と過ぎても関心を持ち続けられるのかな?

 無関心な神は人間の夢を見るかなぁ?

 

 人格神って無理ない?(人格)神に夢や希望、期待を背負わせすぎてない、にんげん。この世に一見さんのニンゲンさんよぉ。

 

 創造されなければその秀でた知性を発揮することもできなかったのだから、その手柄は創造主に付与・献上・寄託(言葉はなんでもいいや)されてもいいとはおもう(そこはそのひと個人の考えや気持ちで)けれど、その内容までも、その知が神に劣るものだとまでは卑下しなくてもいいのではないかとおもう。自惚れないためだとか畏敬の念を込めてってことならわかるけれど。

 

 汎神論的世界、世界は一つ、すべてでひとつなんだ的な世界であれば、上も下も、貴賤も優劣も(本質的には)ないからなにもおもうことはないだろうけれど、そうではなく、ましてや人格神となるとねぇ~あなた。

 

信じるあなたの隣に人格が宿る

 それじゃあ全知全能の神ってなんなんだろうね。誰が言い出して誰がそれを信じているのだろう…って、そりゃあそれを信じたいひとたちだよね。

 神はそうあってほしい、神が神であるためには、神が神であるのならば、そうでなければならない。神がひとに劣るわけがない。至高の御方は常にわれわれの上におられるお方。自分よりなにかひとつでも劣るところがあるものを崇敬したり尊重したり信奉したり全権委譲なんかしたりしたくない。って気持ちが潜んでいるんだろうね。

 

 もし人格神を信じるのなら、なにか劣るところがあってもいいじゃない、にんげんっぽくてもいいじゃない。にんげんだもの。人格あるんだもの。それを敬えないの?かわいらしくていいじゃない。親しみあるじゃない。実際、地域とか関係なく、神話に出てくる神様ってみんな人間臭強いよ。ぷんぷんするよー。にんげんくさいよ~。

 

大黒柱を支える心礎

 組織のトップが最も優秀でなければならないってことないじゃない。

 むしろトップは思いつきで突っ走る少々やんちゃな割と手のかかるタイプだったりするけれど、宰相・副将・軍師・二番手が現実的で実直、事務処理能力高くてトップの無茶苦茶で不可能だとおもわれた難癖…もとい想像の産物をちゃんと形にするのってたいてい二番手の仕事だよね。トップよりも二番手の方が能力高いこと多いよね。でもさりとて二番手がトップになると力発揮されないよね。礎石がないと柱は沈みやすく傾きやすく腐りやすい。

 まあなんにせよ、トップは何事においても一番だとは限らないし、そうでなければならないなんて必然性やきまりなんてないよね。

 

 『オーバーロード』は圧倒的な力を持つ者とその下僕・信奉者・民との関係や心理について探るのにも示唆的でよいとおもう。

 神や全知全能についての考察かとおもいきや『オーバーロード』の読中感でした。