酒飲まずのおじいさん。
おじいさんは肺を患うまで煙草を手放しませんでした。
親族共通のおじいさんの喫煙風景の記憶は、煙草を吸うたびにウォッホン、ウェッホン…ヴェッッッフォンと今度こそは死んでしまうんだなと思わせるほど、後にも先にも他では聞いたことのないそれはもうひどいしどい咳をしていた姿です。
何十年とやまなかったそのしどい咳が、禁煙でうそのようにやみました。
やめられるんだったらもっとはやくにやめればよかったのに…。そこいらじゅう煙草の火で穴ぼこだらけにして…よく火事をおこさなかったものよ。
お酒はあまり得意ではなく晩酌はせず、親族が集まるお盆や正月、あとはお仕事上のお付き合いですこし口をつけていた程度だったとおもいます。
いつも家のなかの定位置で、いつのまにか大いびき、ガ~ッガッ………グガァーと、ところどころ呼吸がとまりながらねむる姿は見られましたが、酔っぱらっている姿は一度として見たことはありませんでした。
おじいさんはとてもこわいひとだったらしいのですが、うまく立ち回れたせいか、わたしは一度として怒られたことはありませんでした。
余命半年の宣告を受けて遺書は残しませんでしたが、自分の生い立ちを書き始めました。
体調のすぐれない日がおおく、筆は進まず、そんな折の震災、被災したわけではないのですが、それがあまりにショックで半年以上筆をもつことができなくなってしまいました。
まるくなった後年、親族一同から「バカだねぇ」とおちょくられることになるのですが、戦時中その村で唯一の志願して兵隊さんになったようなひとですから(工場の配置換えのときの健診で肺の病気が見つかって(よ~くそれで煙草を吸い続けたものよ。)、新たな工場ではなく療養所に入院となったので生き延びられたのかもしれません。
それもあってか、60・70になっても町おこしや文化保存など精力的に奔走する忙しいひとでした。)、親族でさえ推し量れない愛国心を胸のうちに秘めていたからなのではないかとおもいます。
これは自伝が書きあがる前に余命がつきるかとおもわれましたが、一年近くの休筆の後、校正まではできませんでしたがなんとか書き上げて製本できました。
余命宣告から一年以上たち、目立って悪化しているようには見えなかったので、このまま走り切れるかと思われましたが、体調がわるいとみずから病院に出向いたその日に入院した次の日の夜のことでした。
看板の文字を書いたりするほど、こどもには字が達者すぎて読めないような味のあるきれいないい字を書くひとで、いつどうやって勉強していたのかわかりませんが、歴史に精通していました。毎年お寺さんのお祭りのときにかける提灯に政治風刺のイラストを書いていたことをはじめて知ってたまたま見ることができたのですが、これがなかなかうまいものでした。
酒飲みのおじいさん。
おじいさんは今でいう小学6年のころから働きづめの苦労人。
トンネルを掘ったり家を建てたりと土木・建築・産業とおおくの仕事をしてきました。
昔のことですからケアが行き届いておらず、指を切断してしまったり手術もできないほどの塵肺をかかえたり(それでも病名がつくまではタバコを吸い続けていましたけれど…(死ぬほどひどい)咳はしませんでしたけどね)と、いろいろなものをかかえた人生でした。
晩酌はかかさなかったようで、ろれつがまわらなくなるほど飲んで酔っ払っていました。
わたしの知らない若いころにはたびたびお酒がすぎて、家族がお寺さんに避難しなければならないほど苛烈なものだったそうです。
濃い鉛筆を引いたかのようなきれいでくっきりとした眉毛をもち、無口というほどではないですが、多弁ではなく感情が読み取りづらく、近寄りがたいものがありました。
小さいころに一度一言だけ怒鳴られたことがありましたが、それはわたしがきょうだいをからかっていて、いきすぎていたものですから…。
農業雑誌を取り寄せて勉強するような勤勉なところがありました。
手術後をしてから、おそらく痛かったのでしょう、顔をしかめることがありましたが、「痛い」とか「苦しい」といったことは口にせず、ひとり黙って耐えていました。
肺をやられて体力も落ち苦しかったとおもうのですが、それでもグチもこぼさず畑を耕したりして働き続けました。
たばこ飲みのおじいさん。
わたしのふたりのおじいさんは、ふたりとも肺に疾患をもった健康な人でした。
わたしはお酒もたばこも飲みませんので大丈夫かとはおもうのですが、どうやら肺に問題をかかえやすい家系のようです。
どちらのおじいさんもわたしのおもっている以上にひとのいいひとだったらしいです。
このふたつの流れがひとつに流れ込むわたしは、肺浸潤とおひとよしの世襲隔世遺伝エリートなのではないかとおもってしまうことがあります。
何十年も前のことで忘れていたのですが、そういえばわたし幼い頃に肺炎になりかけて運動を制限されてた時期があったんだった。これはもうその線で濃厚でしょうね。
それにしてもむかしのひとはつよい。
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