正順はどちらも清純
彼は夜、目を覚ますと泣いていました。
理由はわからない。それは彼自身にもわからないことです。
でもその涙は近い将来――わたしたちにとっては過去に――必ずつらい出来事がおこる必然の予兆。この不吉な予兆から逃れることはできず、それは必ず訪れるのです。
なんとか泣きやむと彼は何事もなかったかのように、いつもの就寝前の儀式にとりかかりました。
つまり寝支度。
手を洗いトイレで便器から尿を体に戻し、歯を磨いた後に牛乳を吐きだし、手早くそれを牛乳はパックに戻すのです。
生々しい神秘
そう、この世界はわたしたちの世界とは逆回りなのです。
この世界では感情と行動、たとえば悲しいから泣くといったような因果の真実がわたしたちの認識にかなうのです。
逆回りでもわたしたちは必ず死を迎え、食物を体内に取り入れて排出します。
ただ異なるのは死ぬときにひとりではないこと。必ず人・母がいること。
そして上下、口と肛門、自然の恵みを得るのではなく自然に恵みを与える、破壊者でなく創造者であるといったように順路が逆であること。
便器から大便を摂取する。しかも肛門から。こんなことは考えるだけでグロテスクで気分が悪くなるかもしれません。
でも生物の最も原始的な臓器は腸であり、生物の祖先である原始生物は今のわたしたちの身体における肛門と口がおなじでした。
そして旧口(先口)動物と新口(後口)動物にわかれたそうです。
新口動物をおもうと、肛門と口との順路を逆にして逆再生世界を体現しているようにみてしまいます。
するとグロテスクな中に神秘といいうる一種の崇高さをほんの少しは感じないでしょうか。
ドチラカラミルカ
逆再生世界では泣くことは不幸の確実な訪れの予兆を意味し、そのとき何度も何度も繰り返し浮かび上がるイメージは、後に必ず起こる予知夢のような現実。
見て知って体験していながらまったく同じこと、まったく同じ失敗を犯さなければならない、わたしたちからみたら不幸な逆再生世界。
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