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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

「口げんかに強い女と口ごもる男」:男が女に口論で負けてしまうワケ【女の武器は感情】


 男女間の諍い。なかでも言い争いとなると女性に分があるとの見方に反対される方はすくないのではないかとおもいます。特に男性からしたらね。

 

 なぜ口論は女性に有利なのでしょう?

 気が強いから?

 口が達者だから?

 女の方が本質的に男よりも強いから?

 

 このような答えが、これまた特に男性陣の方から聞こえてきますが、もう一段問いを掘り下げて、ではなぜ強いのでしょう?どうして達者なのでしょう?

 

 今回はこの問いにひとつの仮説を提示したいとおもいます。

 と、その前に一言。

 ここでは「女」と「男」とを対置していますが、女はこういうものだとか男はこうでなければならないというようなことを言っているのでも言いたいのでもありません。

 世間一般に女はこういうもので男ならこうだと言われていると思うわたしの偏見のうえでの「女」と「男」を表しています。

 

 こうしておいて一応ジェンダー予防線はっておきまして本題です。

 

感情は口達者

 結論を先に言ってしまうと「女性は男性よりも口が達者なのではなく、感情が達者」。

 なのではないでしょうか。

 

 「涙は女の武器」だと言われますが、涙なしでも女はじゅうぶん強い。

 それではなぜ武器もないのに女は強いのでしょう?

 それとも涙よりも強力な武器をもっているのかな?

 女の持つほんとうの武器とはなんなのでしょう?

 

 それが「感情」なのではないでしょうか。

 「女の武器は涙」なのではなく「女の武器は感情」なのではないでしょうか。

 

男女の構図

 男女間の言い争いは「事実」と「真実」、「実際にあったこと」と「実際にあったと信じられていること」との応酬。

 

 女性の感情論に男性は理屈で応戦するから分が悪い。

 なぜなら感情は後から後からこんこんと湧き上がり、ふつふつと沸き起こることもあって汲めども尽きないものだから延々言い立てることができます。

 一方で事実は増えも減りもしないからすぐに言い尽くしてしまいます。

 

 よって、女性よりも男性の方が先に口をつぐんだり言い淀んだりしてしまうのですが、だからといってそれは言い負かされたのでも反論できないのでもなく、またその証なのでもないのです。

 単にすでに言い尽くしてしまって言い尽きてしまったからもう言うことがない、他につけ加えることがない。といったように、事実の弾を撃ち尽くしてすぐに弾切れ状態になってしまうから言葉がない、言葉が出ない、言葉が見つからなくなってしまうのです。

 

 こうして「口げんかに強い女」と「口ごもる男」の構図ができあがります。

 

肩入れ梃入れ

 このように、感情と論理の衝突では無尽蔵の弾をもつ感情論にその物量・兵站差からいって有利な戦場となっており、そのためにこの戦域において女性は男性よりも強く達者でアドバンテージがあるのです。

 

 ただしかし、戦況は不利でも勝敗を決するのは兵站差だけではありませんよね?

 でなければ男性陣には一分の勝機も残されておらず不憫でなりません。

 

 そこで今回は珍しく、そんな悲しい生き物、男性陣に肩入れするとして、勝てないまでも対等に渡り合えるように対応策を考えてみたいとおもいます。

 

 なぜ男性の側に立って話をすすめるのかというと、先述のようにこの戦場では男性が不利で不憫であるという憐憫の情というのもありますが、それ以上に感情の高まっている方、感情の高まりやすい女性では、まさに感情が高まっているがゆえに感情を制御して事を運ぶのは難しく、口論合戦場で多少なりとも女性よりは感情的にならず論理的に考えられるであろう男性が調整役にまわる方が適しているのではないかと考えるからです。

 

 とはいっても先に言ってしまいますが、もしも対戦相手の女性が沸騰する感情と冷静な計算とを同時に並列処理できる能力を実装している場合は、男性の側に打つ手も勝ち目もありませんから諦めてください。

 パートナーが無敗の女王であるのなら、対立して口論となったとき、それを鎮める薬はありません。不治の病のように治療薬は現在のところ見つかっておりません。ですから日頃から地雷を踏まないように注意して、諍いの芽は小さいうちに摘むように予防薬での対症療法にて対処するように姑息にうまく立ち回りましょう。

 

 女性は男性よりもマルチタスクに長けているといわれますから、男性が諦めなければならない戦場があまりにも多そう…。

 

 ただし、だからといってみすみす白旗降って尾を振ってやすやす投降するというのでは戦後に影響しますから、すこしは気概を見せて侮られることなく、男性の側の要求もすこしは受け入れてもらえるように致命傷を負わない程度に抵抗した方がよいという戦いがあるでしょう。

 

感情に対峙する:男女の和解をさぐる

 男性陣に残された戦略にはどのようなものがあるのでしょう?

 

 男性がこの戦場で生き残るには、戦略は限られてきますがなにかしらの術があるはずです。いやそう信じたいはずです。

 

 日本の近代戦史を紐解けば、資源に乏しく物量に劣るものはなんとしても開戦を避けるということが上策ではありますが、いざ開戦してしまったとあってては短期決戦、早期講和の他に取り得る策はないということがわかります。

 泥沼の長期戦はもっとも避けなければならない事態です。

 

 しかし理屈が相手ならまだしも、感情が相手とあっては、それが感情であるために長期戦となること必至です。一度沸騰した感情はそうやすやすとは鎮まりません。

 

 それではといって感情論に感情論をぶつけてみても修復不可能なまでに関係悪化する可能性が大で、なおかつ感情達者に感情で真正面からぶつかるというのは得策とはいえません。

 他に帰る場所、愛人などがあり仕向けて女性の側から離れる、男性の側から離れさせたいという意思があるのなら意図的に感情論で応戦するという手もありかもしれませんが…ほぼ勝算のない危険な賭けですね。

 

 それではといってまた一から丁寧に順を追って同じ説明をくり返しますか?

 これは言っている本人、男性の側が疲弊してやっきりして「もういいや」と諦めることになるでしょうから、ただ疲れるだけでなんにもなりません。

 女性からの「めんどくさいやつ」「くどい男」との(口には出されないかもしれませんが)裁定が下されるだけでしょう。

 

 それではといってさらに理屈で畳みかけてみますか?

 「そういうことを言っているんじゃあないの」「じゃあなんであのときあんなこと言ったの?」「難しい言葉を使ってはぐらかさないで!」「それはもうさっき聞いた」「気持ちの問題よ」などなどの言葉をバシャバシャ浴びせかけられ怒涛のように捲し立てられ、それにこちらも応戦しようものなら延々繰り返される無限ループの水掛け論となるのが関の山です。

 

 感情戦では不利ですし短期戦に持ち込みたい。だからここはなんとか女性の感情を早期に鎮める方法がないかと考えた結果、謝ったり無視をしたりその場から退くといった策を講じるということも考えられますが…

  • 安易に謝れば侮られたり、「なんであなたっていつもそうなの」「そういうところがあなたのイヤなところ」「その態度が気に入らない」「悪いとも思ってないのにすぐそうやって謝る」「謝ることでわたしを悪者にしようとしているでしょ?」と罵られたりもうなにをしたらいいのかわからないという状況に追い込まれ
  • 無視をして話を聞かないのでは「話も聞いてくれない」「わかってくれない」「気持ちのすれ違い」との謗りを受け
  • 退散したのでは「逃げた」「話し合いに応じない」と一方的に非を押しつけられその後ずっと侮られる

 

 こうして短期決戦構想は脆くも崩れ去りました。

 

 ここまで見てきただけでも男性にとって開戦がどれだけ不利益なことであるか、改めて認識されたことでしょう。

 こんな状況に追い込まれないように日頃の外交交渉がいかに大切なことであることか、戦々恐々として再認識されたのではないでしょうか。

 

 ただもう開戦してしまったのでは泣き言を言っていてもはじまりません。

 これから修羅場に突入するのであっても穏便に終息に向かうのだとしても、いずれにせよ"忍耐"が求められることには間違いはなさそうです。

 

感情を退治する:感情論との対決

 感情論と対峙する仕方・作法にはどのようなものがあるのか?

 まずは非現実的な余談から。

 

 感情(論)を鎮めるには…「歩み寄り」。

 

 歩み寄りといってもお互いになにに近づけばいいのかわからないですよね?

 

 怒って感情的になっているときに相手の立場に立って考えるというのはなかなかできるものではありませんし、感情的になっているときに無理に相手の立場に立ってみるとますます嫌悪感を覚えてしまってよけいにいらいらしてしまうという火に油なことにもなりかねず、事態がますます悪化して感情はさらに燃え上がり、全焼するまで、あるいはいずれかが(往々にして女性の側が)全勝するまで収拾つかなくなってしまうでしょう。

 

 それでも和解を探るにはどうやらなにかには歩み寄った方がよさそうです。

 ですから容易にできることではないでしょうが、そんなときには、男性は感情に、女性は論理に歩み寄ってみてはいかがでしょうか?

 これは先ほどの「相手の立場に立つ」ということではなく、相手の感情や論理ではなく、感情一般や論理一般、誰かの感情や論理ではなく「感情というもの」や「論理というもの」に近づいてみてはいかがでしょうか?

 すると論点がすこしスライドされて、震源地からほんのすこし距離がとれて、すこしは冷静になれるのではないでしょうか。

 

 といって、それができている時点でもうすでに客観的に考えられるほど冷静であるので、ことさらそれをする必要はなさそうなんですけれどね。

 

 ということで余談を終わります。

 

感情を退所して感情論に対処する

 より有効で現実的な策を考えてみましょう。

 

 なんとか男性に有利なフィールドへと持ち込めたらいいですよね?

 なおかつ男性に不利な面を補うようなものであるとなおいいですよね?

 

 感情論は無限。際限がありません。

 対して論理は有限。限界があります。

 口達者、感情達者に口撃では敵いません。

 ですから第一に「勝ちにこだわらない」ことを心がけましょう。

 開戦のときから「これは防戦なのだ」ということを肝に銘じ覚悟してください。

 勝ちを捨て、勝ち気を捨てたところに勝機の光明が差してきて勝ちを拾う(といってもまず「勝つ」ということはなく、せいぜいイーブン・対等に持ち込めたらいいところだとおもう)。

 

 意を決しましたら、まずは、なにはなくとも女性の話しを聞きましょう。

 相手方の出方を見守り見極めてください。

 

 このとき「聞いているフリ」は禁物。厳禁です。

 早々に「ちょっとあんた聞いてるのっ!」の大筒大砲の弾が飛んできますから。

 

 また、話を聞いていて「それは違う!」とおもっても、まだ仕掛けてはなりませぬ。

 もうお忘れになってしまわれたのですか?男性にはこれは防戦です。今はそのときではありません。

 援軍の望みのない籠城戦なのですからこの窮地をひとりで脱しなければならないのです。十分に引きつけて小さく見落としやすい好機がやってくるまで耐え忍びましょう。

 篭城を破るには3倍の兵が必要だと言われます。女性の兵站・口数が男性の3倍以下であることを願いつつ、焦らずそのときがくるのを待ちましょう。

 

不和仲島の戦い

 女性の失言、高まる感情で勢い余った過言をつかまえて、これを「攻勢に出る好機」「今こそ出陣のとき」ととらえて自ら篭城をとくのは早計。まだはやい。

 

 魚鱗の陣で一点突破をはかったところで鶴翼の陣で待ち構えていて、本陣だとおもわれたその一点は餌。「反撃のチャンス」とおもわれた発言は、「反撃のチャンス」と思わされた謀。まんまと喰いついてしまっただけ。

 

 一生懸命その1つのトピックに応戦しても、左からはこの日のために貯めこまれていた過去の出来事が、右からは喧嘩の発端となったこととはまったく関係のないエピソードの弾が雨あられと飛んできます。

 反撃の、槍でのその一突きは10倍にもなって返ってくることでしょう。

 その一突きはさらに感情を燃え上がらせ話題を供給するための薪にされてしまうのです。まさに術中に嵌り丸腰で渦中に身を投じるようなもの。

 

 魚鱗ではめまぐるしく変わる話題の転換、どこまでも広がり展開される戦況の変化には対応できません。

 この劣勢をはねのけられる方法があるとしたら、もっともらしく聞こえてその実たいしたことは言っていないというような霧を見方につけた煙にまく屁理屈と、それを捨て身で間断なく次々と繰り出し捲し立てるあの幻の陣「車懸りの陣」との組み合わせがあってはじめてなせることです。

 

 対戦相手の女性との関係が破綻したとしても他所に帰る場所「愛人」がいるというのなら、その身を削り、場合によってはあなたの買ったテレビや家屋敷、そればかりか慰謝料や養育費までも削がれるほど多大な犠牲を払うことになる「捨て奸」で応じることもできますが、それはあまりにも、あまりにも無謀。

 

 いずれにせよ勝算は薄氷の如し。

 より現実的な戦略を考えてみましょう。

 

 ということで、実は余談はここまで続いていたのでした。

 

リフレクション戦法

 「まずは女性の話を聞く」というところから仕切り直しです。

 

 話を聞いていて、途中、言いたいことがあってもあまり口は挟まず、適度に「話を聞いているよ」アピールのためにうなずいたり合いの手入れたりして、一通り出しきったかな?というところまで待ちましょう。

 

 早い段階で「あなたはどうおもってるの?」の跳弾が飛んできても冷静に「まずはきみの言い分を聞かせて。今ぼくがおもっていることを言っても言い争いにしかならず後でしこりが残ると思うから、はじめにきみから思っていることをぜんぶ吐き出して」などと促しましょう。

 こうすることで先にできるだけ手の内を開かせるのです。

 なおかつできるだけ口撃の銃弾を撃たせて弾数を減らすことに努めるのです。

 耐えている間に感情の供給路がどこを通っているのか見極められることがあります。

 この兵站の補給路が見つかればそれを断つことができ、講和のときを近づけることができます。

 

 また、うまくいけば感情的な自分に対して相手が冷静であるとその姿をミラーリングして熱冷却がはやまったり、リフレーミングに誘導できるかもしれません。

 あるいは話を聞くだけで、ただ口撃を耐え凌ぐだけ、不満をすべて吐き出させるだけで終戦を迎えるということもあります。

 

 解決案が見出されたわけでもなく、状況はなにひとつ変わらなくとも、女性の場合、ひとに話す、外に吐き出すというだけで気が晴れて満足するということがありますから。

 男性からすると「お礼を言われたけれどただ話を聞いただけでなにもしてないんだけど、これでよかったのか?別におれでなくても誰でもよかったんじゃあないか?」とおもわれるようなことってけっこう多いんだから。そんな経験が一度や二度あるんじゃない?

 

 または女性同士の口論、つまりは感情のぶつかりあいを目の当たりにしたことのある男性のなかには「あれだけ激しい罵り合いを演じたというのに今ではすっかり親友のよう。あの惨状はなんだったのだろう?あれは夢だったのか?」と、男性同士の間であのようなことがあったらその後、仲良くなんてできない、生涯絶縁すること間違いないであろうことが女性同士では成立している不可思議を見聞きしたことのある方がいらっしゃるのではないでしょうか?

 その"仲の良さ"は二大女優によるうわべだけの名演技ということもありますが、口論の激戦を経て築かれたものであるということもわずかながらにあるんですよ。

 そういうものです。女って。

 論理では計れないでしょぉ?

 

覚悟の後の先

 残念ながら十分に補給路を断つことができず、まだまだ感情に薪がくべられて熱を帯びているようでしたら少しずつ反撃も試みます。

 言い分を聞く一方、言われっぱなしの防戦一方では男性のフラストレーションもたまる一方でたまらないでしょう。

 

 と、ここで先ほどの戦略が効いてくるのです。

 なぜ先にすべて吐き出させたのか。

 それは「全貌の把握」または「争点のあぶり出し」のためだったのです。

 女性は感情的に攻め立ててくるのでほんとうはなにに怒っているのか?どうしたいのか?が、言っている女性自身わかっていないということがありますので、そこのところを見極めないとお互いにただの消耗戦となってしまいます。

 また全貌が把握できた方が戦略を練りやすいでしょ?

 展開を論理的に構想できて男性に有利なフィールドにちょっとだけ近づけるでしょ?

 

 女性の側が話している間に口をはさまないというのは、女性に「ちゃんと話し聞いてるよ」姿勢を見せることでもあり、刺激しないということもあるのですが、その後の展開を見晴かすという意図もあったのです。

 

 それに男性は「先にきみからぜんぶ吐き出して」といっていますから、女性は「ぜんぶ」出したはずですし、その「ぜんぶ」を男は聞いたことになっています。この言質(のようなもの)をとるためでもあったのです。

 ただしこの点をあまり強く主張して突きすぎると逆効果となりますので、さらっと「ぜんぶ言った(はず)」ということを1・2度チラつかせる程度にとどめて、女性の無意識に後ろめたさのような澱を残すことで勢いを削ぎましょう。そうして女性自身に自然と感情を沈静化するように仕向けます。

 

 またあるていど「ぜんぶ」表出しているはずですので、この時点で男性の側が論理の弾を撃ち尽くしてしまっていたとしても、「ぜんぶ」について対処していけばよいので話が尽きることがありません。さらに女性が発砲してきても狭間から反撃すればよいのです。

 宮本武蔵著『五輪書』いわく「待の先(後の先)」(もどき)の如きものです。

 「論拠は言い尽きても感情は言い尽きることがない」としても、女性のその感情を聞いて、それを受けてそれについて説くというようにすれば感情下手でも感情達者な女性の口が閉じるまでは言い尽きることがありません…よね?それでも気圧されて閉口してしまうかな?

 

 ちなみに、人が(特にそれは女性なんですけれども)過去の話を持ち出したとき、それは意識的なのかもしれないし無意識なのかもしれませんが、論点をズラそうとしたり論理の飛躍が起きやすいところなので、相手の語気が一層たかまって耳を塞ぎたくなるかもしれませんが、起死回生の言行、蟻の一穴を見聞きできるかもしれないところですから、辛抱して耳を傾けてみるとよいかもしれませんよ。

 

 端から「籠城戦だぁーっ!」と覚悟すれば、長期戦に持ち込まれても耐えられ、対等な条件での講和へと持ち込める公算が少しはあがることでしょう。おそらくたぶんなんとなくそんな気がしないこともなくはないような気がしないではないこともないような…。

 

 男性はプロレス好きな方が多いでしょう?

 「プロレスでは相手の技は必ず受けなければならない。ほんとうはよけることもできるのだけれどよけてはならない。それがプロレスだぁーっ!」というようなことを聞きました。

 だとしたら、男女の口論はプロレスなのだとおもったら、すこしは楽しめるといったら変ですが、闘志が湧いてきて(でも冷静にね)試合に挑めるのではないでしょうか?

 さすがにそれはないかぁ~…?

 

さいごにようやく要約

 事実には際限があっても感情には際限がない。

 だから論拠と感情の衝突では感情に利がある。

 感情達者な口達者に感情で迎え撃っても返り討ちにあうだけ。

 論理が感情に対抗しうる手があるとすれば感情の言い分を受けて論理で返すこと。

…ぐらいではないかな?

 

 と、要約すればわずか5行ほど。

 たったこれだけのことを言うのに紙幅が「あっ!」という間に数倍、数十倍にも膨れあがってしまう。げに恐ろしきは感情かな。

 

 政治が合理を上回り、往々にして宗教が科学を圧倒しているのも、それは論理ではなく感情だから、感情を動力源・武器としているために空想的かつ創造的だから多弁で、論理よりも生産量も供給力もともに富み勝っているからなのかもしれませんね。

 

 貧乏性で感情的な性格している人ってほんとタチが悪い。

 思いついた言葉を「もったいない」からといって削って編集しようとはしないから、とかく話しが富んで飛んで飛躍して丁々長文駄文悪文になりがちだからねぇ~こんな感じで。

 

 ところで、これでもあなたは感情と真正面に向かい合ってやり合うおつもりですか?