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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

はじめての選挙。なにをもって候補者や政党を選べばよいのか?というひとに読んで欲しい本。

政治 政治-民主主義

参照点を提示してくれる本

 今参議院議員選挙より18歳の方々も選挙権を得て投票できるようになりました。

 はじめての選挙ということで学校等の教育機関で投票所の場所、候補者や支持政党の投票用紙への記述の仕方、投票することの意義などについて教わったことでしょう。

 ただしかし、もっとも肝心な誰に、どの政党に、どのような判断基準をもって選んだらよいのか、ということについては期日の迫る今日に至ってもまだ判然としないのではないでしょうか?

 

有権者教育におけるもどかしさ

 教育機関のジレンマとして、公共性が高くまた影響力もつよいために、ある程度の公平中立性も保たなければならず、個人の見解を強く主張することは憚られ、候補者を選択するにあたりどのような情報をもとに判断したらよいのかわかりやすく例示したいところですが、さりとて特定の候補者や政党の主張をとりあげるのはいかがなものか…たとえ架空の候補者や政党を設定してその主張について考えてもらうにしても、その空想は現実のある特定の候補者や政党を想起させてしまうということを完全には避けることはできないでしょうから、これまた支障を来し、いったいどうしたらいいの?というところがあって、指導者の方々は難渋されているところではないかとおもいます。

 

 学校では答えの見つけられなかった方の中でもあまりにも生真面目な方は、清濁入り交じった膨大な情報をみずから収拾して、自分の解答をなんとか絞り出そうとするあまり今となってはもう何味なのか皆目見当もつかないものとなってしまったミックスジュースを無理に飲みこんで、吐き気を催し、もって心神耗弱に陥り、体調不良で今回は棄権、見送ろうと考える方もあるでしょう。

 そしてその今回だけのつもりが次回も、次々回も…、生涯政治に関わらないともなりかねません。

 

 わたしにはこうこうこういう理由でこの候補者・政党に一票をいれた方が若者の将来のためには最善ですよ。と、説得する気はありません。ですが判断に困っているみなさんに読んでいただきたい本があるのです。

 

政治的判断ではなく経済的判断

 「政治とはなにか?」を一から考えますと概観するだけでも時間が足りません。そしてまた、それには正答がありませんからますます混乱を招くことでしょう。

 そこで正面から政治に向かうのではなく、やや、ほんのちょっとだけ斜から攻めてみませんか?ということで、経済から考えてみてはいかがでしょうか。

 

 現代の政治は経済と蜜月関係にあります。とくに現代に近づくほどに経済の、政治に及ぼす力はつよくなり、今では「哲学は神学の婢」ならぬ「政治は経済の婢」かのようです。

 経済も政治同様正答はありませんが、政治よりいくぶんか目に見え、実社会に即応的です。

 

経済学をもって候補者を選ぶという一提案

 前置き、能書きがながくなってしまいましたが、みなさんにおすすめしたいのはこちらの『経済学』です。

経済学

経済学 (ヒューマニティーズ)

  • 作者: 諸富徹
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/09/29
  • メディア: 単行本
 

 

 数ある書籍のなかでなぜこれだけを推すのか?それはわずか160ページほどの短い紙数で、小難しい計算式や表現をつかわず経済思想史の厚生的な系譜の要点がわかりやすく説明されているからです。

 

 ふだん本を読むのが苦痛な方にはページ数の少なさが要件だったりするでしょ?

 それでも200ページ足らずでも「長い」と感じられる方もあるでしょう。

 そこでギュッギュッと絞りまして、p.62~63とp.100~p.101とp.116~p.117だけでも読んでみて下さい。

 ここだけでも政治が経済に冷徹な性格を与え、どのような政治であれば経済を温かいものにできるのか、現在の政府の政策はだれのための政治、どんな経済を目指しているのか、といった判断基準というのか参照点を示してくれていますから。

 政治が経済にどのように関わるべきか、どこに介入し、なにに干渉し、どれを放任すべきか、なにをなすべきでないか、これらの大まかな指標が示してあり、現在の政治がこれらの項目とどれほど合致しているか、どの候補者・政党の主張がこれらの目安に適っているかを付きあわせていけば、今回の選挙に限らず、これからの選挙でも候補者・政党を選ぶ際に、あなたの正答をおのずと浮き彫りとすることもあるでしょう。

 

 期日の迫りつつあるなやみを解消するヒントがわずか6ページにおさめられているとしたら、読んでみようとおもってはくれませんか?

 

 もちろん本を読むのが苦痛ではなく、お時間がある方にはぜんぶ読んでいただきたい本です。ここだけが注目に値するというわけではありませんから。

 

妥当な政策か照合してみる

 未来は誰にもわからないものです。自分が年長者であるからといってわかっている気になり、たとえそれがその人のためを思ってのことであっても、ネガティブな未来展望をとくとくと説き、なにかをつよく禁止したり促したりしてみずからも、そして相手をも悲観的にするような姿勢はあまり好まれるものではありません。

 ですからどちらかといえば楽観的である方が、急に招かざる客が来られたときなどは、いつしか自分が招かれざる客となってしまうようなことも避けられ、悲観的であるよりは望ましい姿勢だとおもいます。単純にその方が生きやすく楽しいでしょ?

 ただあまりに楽観的にすぎるのも困りものですけれどもね。

招かれざる客

招かれざる客

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • 発売日: 2013/06/26
  • メディア: Blu-ray
 

 

 政治が語られるとき、それは往々にして悲観的に語られます。

 「今、問題はなにもありません。そしてまたこれからも問題なく順調にゆくでしょう。うまくいっているところではありますが、次の選挙ではわたしに清き一票を」と説得されてもなびく人はいないでしょう。

 これが「今、こんな問題があります。そしてまたこのような法が定められようとしています。この法案が可決されればこんな問題が起きます。それを阻止し、みなさんの生活を守るために、どうか次の選挙ではわたしに清き一票を」と説得されたら話は変わってきますでしょ。

 

 未来を見通すことができず、悲観的なことばかりが説かれる政治。そんななか候補者・政党を選ぶことはむずかしいものです。

 

 未来のことはわかりませんが、過去において未来のことを公約し行われた政策のうちで、その未来に現在が追いついたために、その"成果"があらわれたものがなかにはあります。

 そしてその"成果"はたいてい数値でみることのできる、政治的というよりは経済的なものです。

 

 そこで、以下に『経済学』から少し引用しまして、今日の"成果"と照らし合わせてみたいとおもいます。

規制がなければ、労働時間は二四時間の絶対的な上限の範囲内で際限なく増加する可能性があり、他方で賃金は必要労働ぎりぎりか、場合によってはそれを下回って下落していく可能性がある。…(略)…規制は短期的には剰余価値を引き下げるよう作用するかもしれないが、長期的には労働生産性を高め、資本蓄積をむしろ促進する効果すら持つであろう。

 とはいえ、熾烈な競争の中である企業が単独で他企業よりも労働者の賃金を引き上げたり労働時間を短くしたりすれば、その企業は市場で敗北を喫するだろう。ここに国家の役割がある。つまり、国家が市場参加者すべてに適用される共通の競争ルールとして、労働規制を課す必要があるのだ。(p.62~p.63) 

古典派が描く世界は「物々交換」の世界であり、貨幣がなんら生産や雇用に影響を与えないと想定している点で非現実的だと非難する。 (p.84)

資本が不足し、蓄積に次ぐ蓄積を図らなければ人々の需要に応えて彼らを豊かにすることはできない時代とは大きく異なっている。むしろ、現代は資本蓄積が十分に進み、生産能力は人々の需要を十分に満たせる水準に達している。しかし、その潜在的な生産能力を使いこなすに十分なほど「有効需要」(総消費+総投資)が存在しないことが問題なのである。この有効需要が小さいために、完全雇用水準よりもはるかに低い水準で雇用が停止してしまい、大量失業が発生する (p.85)

ケインズが重視するのはあくまでも実物経済の安定であって、為替などの「名目的なもの」の安定は、実物経済に関わるより優先されるべき目標の前では副次的な重要性しか持ちえない。…(略)…起業家階級と労働者階級は利害が一致するのに対して、投資家階級は、彼らとは利害が異なってくることである。…(略)…前者は生産活動に実際に携わり、国富を豊かにし、雇用を拡大することに貢献する活動に従事している。これに対して後者は、実際に生産活動に携わらず、活動階級の生産によって蓄積された富を運用することによって所得を得ている階級である。したがって、彼らは実際には国富の増進に寄与していない。…(略)…インフレとデフレのどちらが害悪が大きいかといえば、それは間違いなくデフレだと断じ、どちらかを選ばなければならないならインフレを選択すべきだと主張する。これは、「活動階級」の利害を採り、「非活動階級」のそれを犠牲にする立場である。国富の源泉が「活動階級」に依存する限り、前者が尊重されるのは当然だといえよう。 (p.100~p.101)

 『経済学』にはこのようにあります。

 次にこの採点項目とこちらのさまざまなところでつぶやかれている意見やデータとを照らしあわせてみてください。

 いかがでしょうか?及第点に達していたでしょうか?

 

 内実を蔑ろにして法整備も規制もままならぬままに痛みと勤労をおしつけ、規制緩和を推し進めて富裕層厚遇の貧困層冷遇政策をとり、社会保障の名目で重税を課し、個人の投機による損失は自己責任と突っぱねながらも省庁や銀行の投機による損失には公的資金をあてながら無尽蔵に溶かしてゆく。

 

 生産力が上がれば景気も自然と回復するかのように生産性の向上ばかりを訴えていることには、「セー法則に支配された経済」を現代の現実の経済にあてがっているようで、時代錯誤を感じます。

 

 経済的"成果"を見せられないから政治的"成果"で煙に巻いて幻像を見せているにすぎない、やはり○○○○○○ではないかと…。

 

汚れの落とせないセンタク期

 採点基準も判断基準も他にもあるでしょう。これでも説得する気はないのですが、私見がすぎました。

 

 それより悩ましいのは、仮に現政権による政策が落第点だったとして、それでは誰を・どこを選べばいいのか?それが見当たらないこと。そんななか「さあ、お選びなさい」というところ。

 インフレよりもデフレの方が望ましくないというように、選択肢が多すぎるよりも選択肢がないことの方が望ましくないかのよう。

 日本ではインフレを恐れるあまりか長らくデフレが放置されているように、選択肢がないことも長らく放置されております。

 いったいどの口が「人材育成」や「人材は宝」とのたまっているのでしょうね?

 

 みずからの欲に規制をかけられない職業政治屋ばかりでは、やはり人間の自浄作用のはたらきによる政治の正常化よりも、人工知能による妥当な案が提案されるようになることの方が先に到来しそうですね。

 

推しメン経済学者

 経済学という小難しく退屈そうなイメージのある学問ですから、すぐに飽きてしまいそうでしょ?著書もそうですが著者の諸富さんの語り口は流暢で聞きやすく、説明も端的明解。

 口調にはあまり抑揚がなく単調ですと冷徹かつ怠屈な印象をもちやすいものですが、諸富さんにはなにか熱いものを感じます。筆致にしても口ぶりにしても、冷静に燃える青い炎が奥の方で小さくゆらめいて、ときおり見え隠れするという怜悧な印象をもっております。

 

 著書全般の特徴として、後半にそれまでの話の内容をまとめた項が設けられており、全体を振り返りつつ見渡せるようになっていて、これがまた読みやすさや理解に寄与しています。

 

私たちはなぜ税金を納めるのか: 租税の経済思想史

私たちはなぜ税金を納めるのか: 租税の経済思想史

  • 作者: 諸富徹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/05/24
  • メディア: 単行本
 

 こちらの『私たちはなぜ税金を納めるのか:租税の経済思想史』は「私たちが税金を納める理由」についての解答や「経済思想史」全般を求めて読むと、やや肩すかしを食らいます。それでもおもしろいですけどね。

 それよりもタイトルにはありませんが「アメリカにおける所得税導入の経緯」を求めて読まれると、より希望に適います。

 

 これは記憶違いかもしれませんが、アメリカにおける所得税導入の経緯について説明された章のあとの本書後半から、ややくどく復習というのか振り返りというのか、ちょこちょこ重複があり、飽きかけた記憶があります。それでも総じておもしろかったという記憶がありますけどね。

 

 こちらの本を読むまでは、長年アメリカにおいてフランクリン・ルーズベルトさんの評価が本国において高い理由がわかりませんでした。とくに日本人だとねぇ。

 ニューディール政策は経済を好転させず、成果を上げたように見えるのはただ時宜に恵まれただけだったという話も聞いたことがあり、戦争に勝ったからというだけで評価が高いんでしょ?とばかりおもっていたものですから。

 実際には「戦争に勝った大統領」だからというのが高評価の主な理由なのかもしれませんが、こちらの本を読みますと、そうとばかりは言えない、国内でも闘って評価されるようなこともしていたのですねぇと、見直しを迫られました。でもほんのちょっとだけね。やはり日本人ですから。

 

 ちなみにわたしの気になる推しメン、アメリカ大統領はジェファーソンさんです。