あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

ポールダンス


ダンスフロアに横たわる問題

 

問題の読み違い

 オートメーション化や外国人労働者や難民受け入れなどによって「仕事が奪われる」から反対というのに違和感を感じます。

 だってぇ~これって「わたしは働きたいのだ!」というより「収入が減ってしまうから」ということでしょ?

技術的特異点 - Wikipedia ラッダイト運動 - Wikipedia

 

 機械が人間を補助していたのが今や人間が機械を補助しています。

 「持続可能な開発・発展」というのはエコや省エネなど物の消費や利用に関する技術開発によって乗り越えるべきものではないとおもいます。

 「持続可能な社会」というのはテクノロジーの問題より意識の問題でしょ?

「技術的失業」について ー テクノロジー崇拝が資本主義を不安定化する? | ASREAD

機械が人間の知性を超える日をどのように迎えるべきか? | SYNODOS

 

逆転喜劇?悲劇?

 サプリメントは栄養補助食品や健康補助食品のことですが、昨今ではどうも「補助」の粋を超えて「主食」のように摂取していて偏ったアンバランスな状態にあるとおもわれるような方がいらっしゃいます。

 「マルチビタミンでマルチに補っているから大丈夫」と安心しているのでしょうか?まだ未知で必須の栄養素があるかもしれないのに。

 ただカロリーをとっていればいいというわけではないことは昔の船乗りや江戸期の白米偏重による壊血病からも明らかです。

 

 「長年続けてきたから大丈夫」という発想は「これまでタバコのポイ捨てで失火をおこしたことはない」というのと似ていませんか?これまでは大丈夫でもこれからはわからないというのに。ここが経験則の落とし穴。

 

明日は知れないポンペイ。忘れられるアトランティス。

 人や都市はそのままに、電子機器のみを破壊するようなEMP(電磁パルス)爆弾のようなものが開発されて使用されたとしたら…そしてその影響が全世界に及んだら…。

 

 現代社会においてあらゆる産業を支えているのがコンピューターです。

 現在最も付加価値を生んでいる第3次産業はその最たるもの。

 EMPで電子機器が使えなくなったとき人類の危機と叫ばれるでしょう。

 でもなぜ?機械が使えないというだけなのに。

 

 EMPなんて人為的なものでなくても(もう爆発しているかもしれませんが)ベテルギウスの超新星爆発前後になにかしらの事由で20度傾いて、地球がガンマ線バーストの射程圏内に入ってしまったり、磁極反転(ポールシフト)が思わぬ結果を招いたりして自然現象によって機械が使えなくなるかもしれないということも考えられます。

 考えられるというばかりではなく、つねにそのような状況におかれ続けて、幸運にも今日まであり続けています。

 わたしたちはいつ崩壊してもおかしくない激しく揺れる生死の最差運動のなかにあり、時代と時代のはざまに生きています。

 

 景気も犯罪も防災も政治もなにもかも、なにかが起きるまではおろそかにされがちです。

 ポールシフトかなにかのきっかけで電子機器が壊滅する日が来るかもしれません。

 そしてそのとき強制的にバリューシフト(価値反転)もされるでしょう。なんの備えもないままに…。

 

自立と孤立

 原始的な生活では自ら一人で採集をおこなって生きていくこともできたでしょう。

 しかし、社会をなし産業化や分業化によって直接生存に関わらない仕事についても生きていけるようになりました。

 

自立出家

 「家を出る」ことが「自立」だとしたら世界には自立していないひとが多いわけですけれども、そういうことではないですよね?

 モロッコでは結婚した成人であっても親と同居するのが一般的であったとおもうのですが、そうしたモロッコのひとたちを「自立していない」とは言いませんものね。

 国内でも世襲家元というようなことで同居されている方もおられるわけですし。文化の違いや家業の継承などなどございますから。

図録▽親との同居比率の国際比較

 ですから「自立」というのは、一般的には親と同居しているかどうかではなく、自らの食い扶持、あるいは家族を養える収入があるかどうかというところに三角点がおかれているわけです。……でもこれってやっぱりお金なんですよね。

 

 遺産を相続しました。先代の残した土地家屋で家賃収入を得ています。宝くじ当たりました。窃盗や詐欺を生業としております。…収入を得る方法は不問。

 どうやって収入を得ているかは端からはわかりづらいですから、たいていは収入があれば自立していると見なしているでしょ?

 

自立還俗

 ひとから生まれひとに育てられ人間社会を生きたバックボーンあってのことではありましょうが、ほぼ一人で長年生きられた横井庄一さんのような方々のこと、あるいは原始的な生活に思いをはせますと、生きるということに直接関わらない仕事に精を出し、生きるということから疎外されているような、疎外しているような現状では(すべてではないですよ。依存や寄生なぞせず自立した方がいいですが)、「自立」という言葉はともすると「孤立」の異称として使われているだけなのではないかとおもわれます。

 

 「人は一人では生きてはいけない」とはよく言われることですが、その度合いが高まる一方で「自立」の声も高まる潮目に、なにか渦潮を見ているような感覚をもちます。

 

 資本の移動で数字を増やすことばかり。「自立していない」のは一体誰なのでしょう?だれか自立している人がいるのでしょうか?なんだか目が回ってきます。

 

 機械に依存し寄生して利益享受の機会に浴している「自立」した方が、たとえばポールシフトでバリューシフトが起きたとき、「自立」を保てるでしょうかねぇ?(これは自立というより自活に近いのかもしれませんけれども)掌返したように「困ったときはお互い様」と言い出しそうですけれどもねぇ。

 

お金持ちに告ぐ

 まだ生産のすべてを機械にはまかせることはできず、またBIのようなものもない現状、生活のために「夢ばかりみてないで働きなさい」と言われてしまうのは無理からぬところがありましょう。

 

有閑階級のお仕事

 しかし生涯生活に困ることがないほどの富を得た方は「いつまでも働いてるんじゃない!働く前に考えることがあるでしょ?」と言いたいのです。

 お金を稼ぐこととは縁遠い倫理や法といった普遍的な問題について存分に考えていられるのは余裕のあるひとでなければ難しいでしょう。生活に追われてるんだから。

 それをいつまでも数字ばかり追って経済の上辺だけなぞって老後は趣味に没頭するとか、あまりに利己的。あさましい。

 

無知の失言

 現代では投資が勧められていますが、極端にすぎる想像ですが、全員が投資だけに傾注して仕事をしなくなったら投資どころではありません。

 

 また今はまだ誰かが食べ物を生産しなければ人類は生きてはいけません。「(お金がなければ)投資で増やせばいいじゃない」というのは「(パンがなければ)ブリオッシュを食べればいいじゃない」と通じるところがあるように感じます。

 

 育ってきた環境からくる無知の言なのか、他者の悪意の偶像の言なのか。いずれにしても思慮が足りないのではないかとおもいます。

ケーキを食べればいいじゃない - Wikipedia

 

 わたしのまわりには共済年金等で30万円の方がいる一方で国民年金のみで3万円の方もおられます。

 3万円しかもらえないからといって怠けてきたわけではありません。朝から晩まで懸命に働き続けても一向に生活は豊かにならず、老後も豊かさとは無縁。学がないから?頑張り方を違えたから?自己責任?

 

 「亀の甲より年の功」とは申しますが、「ただの幸」あるいは「うけた貢」を実力と信じて疑わず、高圧的な態度で「憎まれっ子世に憚る」結果「憎まれっ子いつまでも世に蔓延る」。

 

 ひとに「うるさいっ!」って恫喝してるけれどその言葉の方がよっぽどうるさいわ!

 咳も足音も話し声もなんもかんもでかい。耳が遠いくせにひとのたてる物音だけはよく聞こえて自分の音はなにひとつ聞こえてない。なんて都合のよすぎる耳だこと。

 このジジイより先に逝くのだけは悔しいわ。だからはやくいね。

 

仕事にかかって

 戦争経験者はもうほぼ倒れ、2世・3世の代となり、分数の足し算引き算もできないような大学生がいることにも驚きですが、日本がアメリカと戦ったことも知らない若者がいるほど風化が進んでいますから、戦争を語り継ぐということも大切ですが、妥当性が高く実効性のある世界永遠平和の思想や仕組みの構築にすみやかにとりかかっていただきたいものです。

 とくにお金持ちの高齢者で時間を持てあましている方たち。

アドルフに告ぐ

アドルフに告ぐ 1

  • 作者: 手塚治虫
  • 出版社/メーカー: 手塚プロダクション
  • 発売日: 2014/04/25
  • メディア: Kindle版
 

 

過剰と軽量化

 「あらゆる無駄をなくしましょう!効率こそが善だぁ!」ということではありません。余剰が余情を生み文化を産みますから。

 しかしいきすれば過剰が下情、つまり上下や貴賤といった感情を生み軽視を産みます。

 

 古来より人類は犬や猫と暮らしてきました。

 狩りのパートナーとして、穀物や美術品といった財産の番人として、心を癒す介添として。

 しかし数が増えていくとともに愛玩としの意味合いばかりが膨らんできたようにおもわれます。

 

ペット・コレクション

 珍獣をペットにされる方が増えているそうですが、こちらはさらに愛玩の意が強く、生命を物化視して売買されているようにみえます。

 わたしは動物が苦手なのでわからないのですが、ほんとうに好きなら繋いだり狭い所に押し込めたりしないのではないかとおもうのです。

 保護活動などを行っているというような方は別として1匹、2匹ならまだわかります。心の支えになってくれる大切なパートナー、家族の一員なのでしょう。

 ですがそれ以上ですと…それはコレクションなのではないかと…。

 

 かわいいものを集めたい。手元に置いておきたい。自分の効用をあげるためなら、許されているのだからいいのか?

 それをまた煽る悪質な交配業者…。

 買う増やす飼う増える買う増やす飼う増える…過剰スパイラル。

 

 人口が増えれば問題も増えますが、個の尊重の目方は減ってしまうような気がします。

 そしてまた人口が増えているのに孤立化が進む不自然。

 

まとめ……ない。

 今回も恒例の言いたい放題の言いっぱなしでなにを言いたいのかよくわからないものになっていますが、これも恒例、前の章の話題を引き受けたり、前の章と重なるところがありながらも話が変わっていく。

 まったく関係なさそうなことを言っているのに、なにかつながりがあるような気もしてくる。

 そんな空気感を感じて頂けたら幸いです。わたしのなかではすべてつながっていますので。

 ただ結び方が蝶結びなのか固結びなのかもやい結びなのかが異なるといった感じです。おわり。