無知な人知と無茶な全知
知的生命体はその知性をもって知性の無意味さを証明するに至り知性を捨てるに至った。
もって知的生命体は無知的生命体となれり。
知性をもって知性を滅する。(仏教的?)
解脱は輪廻から外れること、生まれかわらないことですが、次善の道は知的生命体、人、として生まれかわらないことかもしれません。
知覚がたたれたとき、人で言えば死んだとき、私と世界とは渾沌という同じものだと知りますが、知覚がないために知ることができません。知ることができない知。
原罪とは命に限りがあることではなく、命に限りがあることを知覚・思考できること。業も同じ。
ひとは理由のないものに因果を付与して合理的という無意味に意味を見いだし、自我・自意識を防衛する自己防衛反応のために生に意味づけをして、自己が自然・全体に取り込まれないように抵抗します。
悟りは思考から離れて全体と一体となり、その一部となり、思考によらず反応によってはたらくようになること。
ひとは最も下等な生き物なのかもしれません。
知れば知るほど知ることで反応から離れていくのですから。
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