ひとに必要なもの?
仕事の方法的懐疑をしてみる。
最後になにが残るかな?
それで、最後に残ったものからおしなべて、どんな世界を素描できるかな?
仕事の方法的懐疑で最後とはいえないでしょうが、最後の方まで残るのは衣食住でしょう。それも防寒のための衣服。生命維持のための食事。防寒や安全確保のための住居。
これらからは花や文化や無駄や余白といった装飾が剥ぎ取られて、非常に無味乾燥な人間味のないものになっていることとおもいます。
この砂漠のような衣食住を広げても潤いはえられないでしょう。パンツをはき続けてきたサルには砂漠サバイバルはあまりにも苛酷なので耐えきれず、森林を捨て去ることなどできないとおもいます。
自分の持ち物には名前を書きましょう。
著作権や特許など、知的財産権を各国で管理監督するのではなく、世界機関で一括して統括すればいいのに。
(今年から日米欧中韓で特許出願・審査情報が一括提供(PCT)されていますが、付与は一括(EPC)ではありません。(米国 欧州 PCT特許出願 -【藤川特許事務所】)あしからず。)
商標法改正により、新たに動きや色彩や音や位置やホログラムが商標登録できるようになりました。
コピー商品廃絶のためだったり、ブランディングのためだったり、目的はさまざまでしょうが、この流れはどこまでの広がりをみせるのでしょうか?いつか止むのでせうか?
記名合戦
だれかがはじめたら自衛のためにはそうせざるをえないのですが、こんなことをいつまでも続けていたら、わかりあうなんてできないでしょぉ。
一度発明されたり発見されたりつくられたりしたものはなかったことにはできないんだから、次から次へと権利を創造して所有権を新設してたんじゃぁ窮屈になる一方。
いつか止むのかなぁ?さもしい信用創造、あやしい権利創造、せわしい所有創造。
これじゃぁいつまでたっても「支配か抵抗か」の二択に迫られる軛からは逃れられないんじゃぁないのかなぁ?
あれもこれもうちのものっ!と主張しなければならないような社会では、パロディー減退して笑えないよぉ。
西部開拓時代と銘打たれたころの、必殺《権利(証)乱れだまし討ち》の様相が頭から離れないです。
所有の攻防戦
権利の盾
独自性(と先取権)の主張という所有権争い。
権利は元来、防御に徹した盾だったとおもいます。
それが、盾を武器にするグラディエイターや武器兼盾のランタン・シールドなんかが開発されて、徐々に専守防衛の色あいをつよめていって、権利が利益を生むことが発見されてからは、ペルセウスの盾(アテネがアイギス(イージス)にメデューサの首をはめ込んだやつね)や映画なんかにときどき登場する丸い片手盾の縁から刃が出てきて回転する(なかには飛び道具になったりもするものまである。あの盾の武器を持ち出す敵役はたいていその武器でやられてる気がする…)な~んていうっ極悪武器、攻撃に主軸が移ってより攻勢の色をつよめました。
権利が利益(ブランディング含)を生むようになってから、争いはさらに複雑激化して、なかなか収拾つかなくなって、捻れて捩れて拗れてる。
いたるところで(とくに中国で)権利料・利権をみこした商標登録の申請・付与がふえています。
- 県内34の地名が中国で商標登録 | ちばとぴ 千葉日報ウェブ
- 中国「千葉」商標問題の講評 日本の商標法の方がよほどおかしい | 中国ビジネスヘッドライン
- 日本の商品名や地名が海外で商標登録を先取りされてめちゃ痛い事例のまとめ - 特許一年生
- 中国に商標登録
権利の矛
権利を差額・利益・ブランド力・剰余価値をうむことを目的としたトゲトゲしい武器にしてなぁい?
権利が利益を生むことを知ってから、目新しい権利探し、新たな権利創造に苦心してるみたい。
世界中のモノというモノに値札を付けて、いよいよ値札の付いていないモノがなくなったとみると、目に見えない概念にまで値札を付け始めちゃってさっ。
権利を主張したいなら申請しなさいっ!というのはどうでしょう?
しかもそれにはすくなくない時間と費用がかかります。
審査には専門知識が必要だというのはわかりますが、本来はまわりがそれをみつけて認めるのが筋じゃぁない?
といっても、数が多すぎて現実的ではないでしょうから、それならせめて(すべてではないですが)数学の証明のようにネットにあげて、専門家が自由に検証して認めてコンセンサスとれて、先取権についてはネットにあげられた日付かなんかをもとに決めたらどぉ?
知的財産を世界機関が一括管理して、著作権・特許料なんかをそこが払うようにすれば、著作権・特許権侵害はなくなって、著作権・特許権利用申請の申告漏れ程度のものにならない?
名前の影に隠れた金脈
知的財産は、その創造者にだけでなく、それを認めたり管理制限・規制する側にも、そしてまた、それを保守保安、運営するといったような新たな仕事をつくり新たな産業をおこします。
ん~っ、結局お金なのかなぁ。
権利の枷
知的財産から得られる権利ではなくて、その権利から得られる利益がちゃんと担保・確保されるとしたら「どうぞどうぞ。もっとこの新技術を使って広めて改良して人類の役に立ててください。」って、なるとおもうんですよねぇ。
このあたりの資本主義というか市場主義というか、そういった旧来、発展を促すとみられていたものは、ここにきて反転、発展を阻害していることの方がおおくなってしまっているようにみえちゃうんです。
なんだんかちょっとかわった情報公開みたい。
特許は申請中のものも含めて調べれば知ることができます。でも、知ることはできても、知っているのにその技術は経済的な面やなんかで使うことはできない。
こうすれば改良できて大量生産もできるだろうけれど、「待てっ!おすわりっ!」もうすこしおあずけ~。で使えない。
発展の足枷になってるところが現にあります。
コピーライトレフト?
知的財産のボーダーレス化。
あるいはCopyleft(化)
画期的な新薬や技術や企画を開発しても特許やなにかの関係で、それを利用することができず、なかなか価格も下がらないため、それを必要としているひとの手にわたるまでに長い年月を要します。開発研究費に莫大な資金を注ぎ込まなければならず、その回収のためにも特許料などは考慮しなければなりませんが、それは世界機関で一元管理して、そこが拠出するようにすればいいのでは?
その機関の資金は予め(加盟)各国から徴収しておくなどしてさっ。
こんな空想的な世界を目にすることはないでしょうけれどねっ。
愛の著作権侵害は…?
ところで、AIが著作権侵害をした場合、その責任はどこにあるのでしょうか?
AIにあるとすると、AIに人格を認めていることになる?
そうなるとAIの人格権を守らなければならない場面もでてくるでしょぅ。
AIの作成者に責任を帰属させますか?
でも、どこまで遡りますか?
そのAIをつくったひと?
それともAIの技術を構想したひと?
AIにビックデータやなんかを与えて教育したひと?
あんがいAIに関する法整備や倫理規定などは、AIが不気味の谷を越えて見た目に人間とまったくかわらなくなったり、感情をもったり、ひとの知性を超えたあたりになされるのではなくて、AIが利益に関わる所有概念に進行してきたころに、とうに手遅れながら、やっとこさっとこ検討しようということになるのかもしれませんねっ。
こちらもいかが?