インディアンの言葉
言語が使用されるようになったのが原人の頃、およそ50万年前のことです。
農耕・牧畜が紀元前8,000年頃に起こり、続いて古代文明が成立したのが紀元前5,000年頃であるため、アメリカ先住民の文明もこの頃開花したものと仮定し、ここを始点として話しをはじめます。
彼らの純粋に独自な文化が奪われることとなった動きは1492年のコロンブスの北アメリカ大陸到達からはじまりました。"はじまり"は"おわり"の予兆となってしまいましたので、彼らの純粋に独自な文化の終点を1492年とすると、およそ6,500年間におよぶアメリカ先住民史が続いていたということになります。
彼らは長い歴史を有し言葉をもってはいましたが文字を開発はしませんでした。あるインディアンは「文字に書かれるから消えることがある。心に刻まれるから消えることがない」といいます。ですからひょっとすると彼らは文字を意図的に開発しようとはしなかったのかもしれないとも思ってもみたくなります。本当に大切なことは文字ではなく継承されていくものであるからだという信念を持っていたために敢えてそうしていたのだというように。
鷲の視野は協調の徴
彼らはさまざまな動物を慕っています。
鷲については特にその傾向が強いように見受けられます。これは鷲を他の動物より優れているとみなしているというよりは、その視野の広さを慕ってのことだろうと思うのです。驚くほど高く飛べるものは他にはなく、よって鷲ほど広く世界を見渡せるものはないという考えからなのではないかと思っています。
協調を保つためには広い視野、先見が必要です。
動物については存在するというだけで協調を保っているとみなしているようで、反面、人間は欲や思考があるために存在するというだけでは協調を保っているとはみなしがたいと思っているようなのです。ゆえに鷲を見習えという一種、教訓じみた意味が込められているのではないかと思います。インディアンの血が4分の1でも流れているわけでもなんでもないので実際のところはどうなのかわかりませんけれどもね。
インディアンのカタチ
インディアンはヴィジョン、夢を重視します。夢はグレートスピリットの声であるとみなしているためです。このグレートスピリットについては、いわゆる西洋的思考では理解し難いものがあるでしょう。というのは西洋の神の多くは人格化されているからです。しかしインディアンの神(々)、グレートスピリットは人格化されず、そればかりか姿かたちをもちません。
インディアンの思想はアジアの国々の思想体系と多くの共通点があります。
また、インディアンの頭蓋骨は西洋よりアジア民族のそれに近いものです。これは彼らが3~4万年前にベーリング海峡を渡って行ったアジア系民族だからです。
頭蓋骨の形が似ているアジア系の民族であったという理由からインディアンの思想を東洋的だというつもりはありません。インディアンは集団ごとに違った生活、思想、価値観を持っていますから。
インディアン各部族間の違いは、今日の国と国との間に見られるほど大きなものではなく、東と西、北と南といったような一国内の地方と地方との間に見られる違いほどのものです。
例えていうなら、日本の葬儀のように、その根本の思想、源流は同じでも儀式の執り行い方は地方によって大きな隔たりがあるといったようなところでしょうか。
インディアン同士でも根本の思想は同じではあっても、見た目、儀式の形態、生活様式など形はまちまちです。同じ大陸内に住んでいながらバイソンを追って生活する狩猟を旨とする民族もいれば、トウモロコシなどを栽培して生活する農耕を旨とする民族など、対極の生活を送っている民族もあります。ありました…。
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