あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

じゃ~ん。電気も定義もたいせつにね!


あっちもこっちも民主主義

 あまり好みの映画ではなかったのでタイトルは伏せますが、映画をみていてひっかかったセリフ…「正義の裁き」…正義は裁くかなぁ?

 裁くのは法や正義の名をかりたひとでしょ。

 ましてや神が裁くとは思いたくな~い。そんな狭量な神さま嫌です。

 

 最近、つとに耳にするセリフでひっかかるのが→

「民主主義って何だ」ー「これだ」ー「憲法守れ」

 民主主義の定義を「これだ」と言われましても…

 

あっちの民主主義。こっちの民主主義。

 反対多数なのだから廃案!

ということであれば民主主義は多数決ってことでしょー。

 

 多数決は決の取り方や質問の仕方、選挙方法などによって「多数派」が変わってしまうし、同様に世論調査も各紙異なりあてになんない。

 それでも選挙によって選出された代表、議会制民主主義なのだからと言われちゃうとアッチも民主主義、コッチも民主主義ってことで民主主義で散らかっちゃう。

 

 (今回のは少数派か多数派かわかりませんが、)少数意見を尊重しろー!と言っても、尊重=決定だったらなにも決められないしなにも決まらず民主主義なのか個人主義なのかよくわからない混沌としたものになっちゃうから、尊重=考慮がせいぜいで、結局最後は多数決。

 

問題文の添削

 あっちもこっちも民主主義なら、「民主主義って何だ」と問うのではなくって「民主主義下の行政って何だ」と問わないといけないのではないかと…問いが雑なんじゃないのかとおもうのです。

 出題者に雑な問いをされると回答者は困惑しますよ~。

 

 ネット化がよりすすんで暗号化技術なんかも高度になって、政策毎に国民投票で決められるようになれば「民主化がすすんだ」と言われるのかもしれませんが、そうだとしても、それは民主主義への言及ではではなくて民主主義下での運営・行政へのものではないでしょうか?

 

 選挙権が18歳以上と引き下げられるのですが、年長者がいつまでもブサイクな問い方をして若年者に選挙で自分の意志・決定・回答を示しなさいと言われましてもー…それで投票に行かない・行けないでいると若者の政治離れがー…。

 おとなの問い離れがひどいのだから致し方無い部分もありますよー。

 

ご高齢貴族社会

 少数者による政治を寡頭制(少数支配)、その対極にあるのが多頭制(多数支配)ですが、語感とは裏腹に、民主的な寡頭制なるものもございまして、その境界線はあいまいです。

 

 現在の日本は多数支配になるのでしょうが、一種の貴族制のようなものだともおもうのです。

 ただし昔の貴族制はお金や生まれによるものですが、現代の日本は(依然お金や権力によるものも多いですが、)世代・人口比によるもの(なので「生まれ」に含めてしまってもいいのかもしれませんが)もあるのではないかと…。

 

 昔日のような経済成長はもう見込まれないことを知りつつも、福祉費が若者の負担になっていることも知りつつも、わざわざ自分の損となるようなことを選ぶわけもなく、数で押し切ってしまう。

 そうして選ばれた政治家は高齢者層を支持基盤にもつ、自身もまた高齢者の代表貴族殿。

 お金も地位も名誉も経験もない若者が圧倒的不利な不公平試合。

 

多様な民主主義

 民主主義は少数者による多数者の支配であるとおっしゃる方や、「民主主義とは、民衆による統治ではなく、政治家による統治なのである」とおっしゃるシュンペーターさんのような方もおられますし、当時もっとも民主的と言われたワイマール憲法下でファシズムにすすんだということもございまして、民主主義の延長線の先にある「憲法守れ」の声にも…なんか~ちょっと~…ねぇ~。

 民主主義にもいろいろございますでしょうに…。

 

ナウルの失敗は民主主義の失敗も含んでいる?

 ベーシックインカムの失敗例として筆頭にナウル共和国があげられます。

 

 というより実施例がほかにあまりないからナウルしかあげられないのですが、現在スウェーデンで(ベーシックインカムの修正版のようなものの)フリーイヤー制度、来年オランダのユトレヒトで実践的かつ大規模なベーシックインカムの実験がおこなわれるそうですので、数年後にはこれらの実験結果をうけて、ベーシックインカムの実施例としてあげられるようになるとおもいます。

 

 ナウルの失敗はベーシックインカムの失敗とみる見方とそうではないという見方の両方がありますが、民主主義の失敗という一面も秘めているのではないかとおもうのですが、いかがでしょう?

 政治家の甘言に流されて楽観杜撰な未来予測のもとで政策に賛成したのでしょうから。

 

言葉の乱れに一言居士

 異次元の金融緩和や抜本的改革などと銘打っても、それは既存のシステムの内でのこと。

 なにが異次元か。

 どこが抜本的か。

 異次元も抜本もただ量のことにすぎず、同次元・既存システムの延命措置でしかないんじゃなくて?

 

 わたしは古いひとなので、本人に逐一指摘はしませんが、どーーーしても「ら」抜き言葉を受け入れられません。

 ひっかかってつっかかって思考に遅延を生じさせるノイズとしてレセプターにはたらきかけます。

 言葉は変容していくものですから、これをとって日本語の乱れと言う気はさらさらございませんが、言葉は大切にしたいものです。

 

こちらもいかが?