歌舞伎とは漫画だ
歌舞伎におけるストップモーション。見得[みえ]。
この見得により感情の高まり、つまりは”見せ場”を強調します。
マンガでは1コマ1コマすべてストップモーションではありますが、読み手の頭のなかでは動いていることでしょう。
しかしながら、その動きですら"止まる"ときがあります。
それは必殺技を繰り出すときや感極まったときなど、効果線や見開きなど、マンガ特有の技法を駆使してそのシーンを強調表現しているとき。
見得を切るとき、場面は止まり。
"キメる"ときには、シーンを止める。
つまり
"見せ場"は止まる!
マンガとはカブキだ
赤は正義、青は悪、黒(茶)は妖怪であることを、そして模様により喜怒哀楽を視覚的にわかりやすく見せるカブキの隈取。
カブキは大衆のもの、おそらく今以上に大衆演劇・娯楽であったカブキ。
対象が大衆であるからうんちくがんちくほどほどに、知識があればより楽しめるけれど、知識がなくても楽しめるストーリー。
ストーリー・筋書きさえわからなくとも、着物の柄や着崩し方、裏地や根付など、当時の流行カタログやファッション誌的な楽しみ方もあれば、よりパッションなイケメン役者、アイドルの追っかけという熱中の仕方、楽しみ方もあります。(ただ、なかには熱中が没頭になり命を落としてしまうひともいましたが…)
マンガはモノクロなことが多いですが、巻頭カラーやアニメ化など、その色を見ることができることがあります。
その色がそれまで個人的にイメージしていた色と違ってショックを受けたり、はたまた一致していて一喜してみたりしますが、そのことはおいておいて、これはマンガよりもアニメや特撮でより顕著にみられることですが、大抵の場合、主人公・リーダーは赤、主人公のライバルや相棒、敵役は青、悪役は黒、悪魔も黒で白は天使、女性はピンクでゴリゴリイエローはカレー好き。
主人公は男前であることが多く、2次元萌えで、近年では2次元にどっぷり沈めてしまうキャラクターもいます。
今や「レイヤー」と言えば画像処理ソフトよりも先にコスプレイヤーを思い浮かべるひとも現れるぐらいに浸透してきたコスチューム文化。
とはいえ市中や日常に現れればまだその姿には違和感をもたれ、まだまだそのスタイルは奇抜で斬新で華美なものと映る先端のファッション。
役割は色に出て。
感情は色に出す。
つまり
性格は色になる!
そしてひとはその色に溺れる。
かぶいたまんが
ワンピース、ナルト、風の谷のナウシカ。
マンガがカブキになりました。
果たしてその逆は?
マンガが歌舞伎になるまでに、こんな過程を経てきたのではないかとおもいます。
マンガを(ノベライズしたり脚本に起こして)アニメ化し、キャラクターショーとなり(実写の)舞台に掛けられて、歌舞伎にまでなる。といったところでしょうか。
これら新作歌舞伎は成功しているようです。
すくなくとも一昔前の実写化ハリウッド映画に比べれば大成功なのではないでしょうか。
ここでちょっとおもうのが、いつからでしょう?実写版のヒット率が上がったのは?近頃では「これはひどい…」というものが相当減ってきたようにおもわれるのですが、いかがお感じでしょうか?
それはさておき…
カブキはマンガにしやすいのではなかろうか?
先にみたように、共通点(と思しきところ)が多くみられるのだから。
ただ現代ではカブキに造形の深い漫画家がいらっしゃらないのか、その試みはなされていないのか、あるいはあまり成功していないだけなのか…。
その他のしょ(っ)かん
このようなことをふとおもったのは、BS日テレ『日本博 特別番組 能・文楽・歌舞伎の魅力!』をみたことに端を発します。
他にもこのようなことを考えていました。
文楽は人形を人のように滑らかに、あたかも人のように動かすことで驚きを与えます。
最初はそんな自慢心というのか人を驚かせてやろうとの意図から発展してきたのではなかろうか?
特に能はセリフまわしなど長いこと長いこと…。
当時の人達もそんな話し方はしなかっただろうに。
特に能の生まれた戦国乱世、そんな悠長なこと…。
ではなぜ受け入れられたのか?
勝者・覇者の余裕を示したかったのか、はたまた1日、特に夜長、あまりに長い夜、することもなく暇を弄びヒマ、このヒマをできるだけ埋められるよう長い節回しにしたのか、もっと単純に節という音、呼吸を味わっていたのか…。
能や文楽、歌舞伎に興味はあれど、果たして貧乏性のいらちに楽しめるものなのか?そこが足踏みさせる要因のひとつ。
これも読んでみたい…
マンガと歌舞伎をつなぐ架け橋
はじめに「カブキとはマンガだっ!」と言い放ちつつも、マンガよりもアニメと親和性の高いことばかり言ってましたね。
まあそれもこれも、マンガもアニメも特撮も、年代順ということからいっても歌舞伎という文化・芸能を通ってその系譜に連なるものでありますから、相性のよいところも多分にあっておかしくはないでしょう。
マンガを歌舞伎で演じることは、マンガから歌舞伎へ、また歌舞伎からマンガへとひとの興味関心を動かす佳境であり、興行のことを考えるとおそろしく勇気のいることでもあったことでしょうが、とてもチャレンジングでよい取り組みだとおもいます。
「歌舞伎とはマンガです」というキャッチーな言葉は歌舞伎への間口を広げるよいうたい文句だとおもいます。
京劇三国志もあることですし、そのうちキングダムも歌舞伎となり、そののち時代物ともみなされるようになるほどに両者は近接していくかもね。