なんじな不眠症
床について30分や1時間ほど経っても眠れないことがあるからといって不眠症だとはいってほしくないなぁ。
30分や1時間ほどで眠れるのなら割と早い方で「ラッキー」。
朝?お昼?起床したとき「昨日(あるいは今日)はいい日だった」とおもえるからね。
ふとんにはいって1時間ほどで眠れたら割とラッキーな方。
布団にはいってひどいときは3時間や5時間まんじりともせずなんてこともあります。
さすがに毎日そんな状態がつづくということはなく、すぐに、そうね~3分ほどかな?それで眠れる日もあります。
1年を通して入眠までの時間を平均するとだいたい1時間ぐらい?といったかんじです。
なんじ不眠の刑に処す
不眠症のつらさは不眠症ではないひとにはなかなか伝わらないから理解されづらい。
「なんで?寝ればいいじゃん」なんて平気で言われたりしてね。
「だからぁ~眠れねーんだよ!」ってなる。
不眠症ではないひとに不眠症のつらさを疑似体験してもらう方法を考えてみました。
それはふとんに入って目をつぶってもらい、そのまま小一時間Stay up。
つまりそのままじっとしたまま起きていてもらう。
フトンにはいり目を閉じたまま「目を覚ましていなさい」、と。
ふだん寝つきのよいひとにはなかなかできないことで、眠らずにいることが自分ではどうにもできず、目をつぶってじっとして起きているというそんな些細なことにおもわれることがとても苦痛に感じられることでしょう。
どうだっ!思い知ったか。
なんじにやってくる?
この「眠ってしまう」ということのちょうど反対のことが不眠症のひとたちの「眠れない」ということ。
眠れるかどうかは自分の意思とは関係なく、神の気まぐれのごとき不確定要素であり、自分のことでありながら自分本位にならない・なってくれない他力現象。
あまりに眠れず、そんな日がつづくと気が滅入り、弱ってきて、「これは前世の禍根か今世の業か?あずかり知らぬところで犯した罪に対するなにかの罰か?はたまた「眠れず・眠らせず」の刑か?」なんて考えが展開されてゆきます。
神仏は信じていないけれど5時間も眠れないでいると神仏にさえ見放され、暗い部屋にひとりだから誰からも見放されたのだと強い孤独感を覚え、眠れるのなら悪魔だって構わない、誰かわたしをこの状況から救って、と助けを求めているのにやってこないのが当の睡魔。
「時間よ止まれ!おまえはあまりに美しい」
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メフィストフェレス!出てこいやぁ~っ!