歌うように紡がれる
読書感想文といえば夏休みに小・中・高校生に課され苦しめられる課題の定番ではないかとおもいます。作文が苦手なひとには憂鬱の種となっていることでしょう。
作文が苦手なのでなかなか書き出せない
→書き出してもすぐに話が尽き指定枚数まで届かない
→かといって既に締めの言葉をつづっているので書き足す気力も尽きている
→書けないままに放置して気づけば明日は始業式…
こんな経過をたどる学生さんは全国で百や千ではすまないことでしょう。
感想文に求められているもの
読書感想文の多くには共通の間違いが見出されます。
それは読書感想文であるのに「図書紹介文」やその本の「要約」になっているということです。
課題を課した先生はおそらく各自が「感想」の字の通り感じ想ったことを書いてほしいと願っているのだとおもいます。
しかしその思惑とは裏腹に、ほとんどの学生が読んだ本に書かれていることを一生懸命なぞって、「わたしはほんとうにこの本を読みましたよ!」と、本を読んだことを証立てる「証文」を書いてしまっています。
とくに「はじめに」のところしか読んでいなかったり、あるいはまったく読んでいない学生は、そのことを取り繕い隠蔽したいという意識が強くはたらくのでしょう、終始その本の抜粋や読めばわかることを書き連ねています。
課題を出した先生はおそらくその本をすでに読んでいることでしょう。ですから本の内容を書かれたところですこしもおもしろくはないわけです。
サスペンスな作文
小説や映画など物語を作るとき、冒頭・初っぱなに物語り全体の中でも最も印象的なシーン、最大の分岐点・集約点、最大の山場、最も謎めいたところからはじめられる手法が使われることが多くあります。
その最たるものは主婦の友、サスペンスです。
2時間もののサスペンスドラマでは冒頭15分以内にたいてい事件が起きます。
撮影地が温泉地などでは、まず地元の情報が紹介されることがあったりして例外もありますが、サスペンスのほとんどがこの法則に則っています。
定番の型。それでもおもしろい。
ちなみに年季の入った視聴者の中には、新聞の番組表やコマーシャルなどで出演者の顔ぶれをみただけで、事件がおきる前に犯人を言い当ててしまうという名探偵がおります。
犯人がわかってしまうとその手口なども結構早い段階でわかってしまうのですが、それでも見てしまう。
水戸黄門や遠山の金さんなどの時代劇でもラスト15分は定番のシーンでかわりばえしないのですが、逆にその定番、お約束が事件をスパッと終わらせるものなので爽快感があり、何十年も続く人気番組となるようです。
先手必勝!
話を元に戻しましょう。
ほとんどの物語文、ここに至り本に限らず物語全般に及ぶことなのですが、話の最初の方というのは終わりの方に負けず劣らず重要だということです。
はじまらなければおわらないのですから当然と言えば当然なのですが。
読書感想文にしてもドラマにしても年季の入っていない人に多い傾向が、結末を重要視するということです。
それが物語の冒頭を軽視する傾向に繋がり、読書感想文では結末の装飾にばかり気を取られています。
「わたしは締めの言葉・決め台詞・まとめの言葉はいいこと書くんだけどなぁ~」とか言っている学生の作文冒頭は、結末どころかどの箇所にも増して冒頭にはテコの入っていない「さし当たりとりあえず」文。
作文の禁じ手
読書の習慣がある人でも書くことを苦手としている人はたくさんおられます。読書の習慣がない人ならなおさら。自分で文を作ってそれを読まなければならないのですから。
なかには読むのは嫌だけど書くのは好きという人もいますが、そういう人にとっては読書感想文も苦ではないでしょうけれどね。
最新の禁じ手
読書感想文で使われる最近の禁じ手・裏技の定番は、ネット上に公開されているものをそのまま頂く、あるいはそのままではバレそうだし少し罪悪感があるのでちょっとだけかえてみるというものなのではないかとおもいます。
しかしこの手が定番となっていることは課題を出す側も周知のことでしょう。
ネットで本のタイトルを打って検索すればすぐに見つかるこのお手軽さは書き手も読み手もおなじこと。とてもリスキーです。
定番の裏技:代筆
古くからの定番の禁じ手・裏技は人に書いてもらうというものでしょう。
しかし「類は友を呼ぶ」。
そのような人のまわりの友達も感想文に苦しんでいることが予想されます。
ですからなかには代筆させるために脅しや買収という強攻策にでる輩もあらわれるのでしょう。
この方法は読書感想文の未提出というリスクは退けられますが、友達・人間関係の破綻というリスクを負います。
そこでほとんどの人は友達に頼むということは諦めて親に泣きつきます。
普通の親なら拒否するのですが最近はそうでもないようです。
このパターンで注意しなければならないのは、その作文が入選してしまうことがよくあるということです。
こうなると気の弱い人は課題をやらなかったということ以上の罪悪感を感じてしまうことでしょう。だからといって気が強くて親がちょっとかわっているという人は親に頼みましょうということではありませんよぉ。やはり課題は自分でやりましょうねぇ。
こんなことがありました。
書き初めの課題で手本として配られた見本を下に、半紙をその見本の上に敷いてうっすら透ける見本の字をなぞって提出した知人がおりました。
課題の文字と名前の字の汚さとを比べられて不正が発覚するのではないかとひやひやしながらも提出したところ、みごと校内選抜で入選。
ただ課題を終わらせたかったというだけの出来心が想定外の道をひらき、コンクールに出すからもう一度清書しなさいと先生の目の前で書かされるはめにあうというおまけつき。
なんとかその場は切り抜けコンクールでも無事落選しました。以来、この手は封印しましたとさ。
作文の好手
文を書くことが苦手な人のなかには意識的にしろ無意識的にしろ、自分をさらけだすことが苦手な人が多いようです。感想文であっても自分が考えたことを正直に話すことが恥ずかしいようです。
よくある解決策
「文を書くときには客観的な視点をもって書きましょう」ということはよく言われることです。自分のことを書くと恥ずかしいと感じてしまうのなら、自分を他人のことだと思って書けばいいのです。
文を書いている間も「これは自分が思っていることではなく自分ではない誰かが思っていることだ」とか「自分の中のもう一つの人格が勝手に思っていることだ」と思いこむのです。
しかし、このように言われて文が書ければ苦労はないと思っているでしょう?
その通り。
そう言われて文が書ける人などほとんどいないのです。
ではどうするか。
客観化するということは同じですが、擬似的に客観化するのではなく本当に客観化してしまえばいいのです。
交換作文
読書感想文で苦しんでいる同級生は周りにたくさんいると思うので、お互いがお互いの作文を書く、つまり交換日記ならぬ交換作文です。
書き終わった後に交換してもいいですし、交換しなくてもいいです。とにかく自分で書くということが目的なのですから。
感想文に書いてほしいこと
感想文は感じ想ったことを書けばいいので本に書かれている内容などほとんど書かなくても良いのです。
では何を書けばいいのか?
それは自分の経験。それを書きたくなければ自分の経験を偽造すればいいのです。
実際そのような経験をしたかどうかなど読み手にはわからないのですから。
あることもないこともそれで作文が書けるなら書いてしまえばいいのです。
特に実際にあったことを書こうとすると「あれも書きたいこれも書きたい」「あれも思い出したこれも思い出した」とたくさん書けることがあるのですが、その反面まとまりがなく着地点を見失った作文になってしまい自分の文才のなさにショックを受ける罠に陥ります。
誰しも当初は兎に角作文が書ければいいと思うのですが、書き始めると、多少はできのいいものにしたい、納得できるものにしたいという欲が出てくるものです。
読書感想文では自分がこの本を本当に読破したんだよ、と、特に小・中学生は課題を課した人に思わせたくなるのは当然のことと思います。
入選した作文を読むと、その本の内容には少しだけ触れて、後は自分のことが書かれている文がほとんどです。
作文克服法
文を書くことが苦手な人の多くは、まず何を書けばいいかが分からない。
次いで書き始めたのはいいものの、規定枚数、規定字数に遙かに及ばないというように文が続かない。
そして、いろいろなことを書きつないでなんとか終盤までこぎ着きはしたものの、あまりにあれもこれも混ぜ込みすぎて収拾がつかず、まとめるにまとめられず書き終われないといった体の文の出来上がりぃ。
また、まとめはいつもうまく書けるのに、その前の部分が雑多で、時にはまとめとは関係のない文であることがあるという人も多いでしょう。
- なにを書けばいいかわからない
- 指定された文字数に達しない
- はなしが紆余曲折してまとまりがない
大きくこの三つのパターンの対処法について考えていきましょう。
「なにを書けばいいのかわからない」の克服法
まずは何を書けばいいかわからない人は、読書感想文で苦しんでいる友達とお喋りすることや誰でもいいので取材してみるという方法です。
取材するのであれば、それはもちろんその本を読んだことのある人の方がいいのですが、そんな人はそうそう見つからないので、タイトルや目次、適当に開いたページを読んでもらってなにを思ったかを聞くというだけでもいいです。
そしてはなし終わったらその内容を書けばいいのです。
書き始めは一番最初に思い浮かべたことでも、最も印象に残っていることでも、最後のまとめの部分でもどこからでもいいです。とりあえず書き出してしまいましょう。
作文を失敗するひとの心づもりでよくあるのが、振り返らないこと。この一回こっきりで完成させようとすること。さすがにそれは難易度が高いですから、まずは下書きのつもりではじめましょうね。
人の話や人と話したことを思い返して書くだけなので案外書き進められると思いますよ。
もちろん一人遊びや独り言、饒舌家や妄想好きなら一人二役とか一人三役演じてみてもいいですよね。
これで書き始めても文が続かないという悩みも共に解消されるのではないでしょうか。
「文字数が足りない」の克服法
というのは、まだまだ指定された文字数に及ばないなあとなったら、もうすこし取材してみたり、他の人に話を聞いてみたりすればいいのです。
先に書いた文と話の流れ上つながらないと思えば段落かえちゃいましょう。
ただこうなると、最後のまとめで都合がわるくなりやすいので、取材やお話し合い・打合せを十分におこないメモ書きなどを残しておいた方がいいですね。
「まとまりのない文」の克服法
まとまりのない文になってしまう人は、ここはおもいきって話題を一つか二つに絞ってしまいましょう。
ただしそうすると書き始められないという問題が再浮上してしまうので、その場合にはまとめとなるような部分から、つまり最後から書き始めて最後に向かっていくように書いてみてはどうでしょうか?
これは前回、提案させてもらった結論から書くということね。
「作文のコツは結論から書くことっ!」とかぬかしておきながら当の本人はそれを無視しているといういいかげんさ。
こんなでも「なんかちょっと書けそうな気がしてきたぁ」と読書感想文は毒書感想文だぁと滅入っている学生さんにおもってもらえたらうれしいです。