作文は出だしが勝負所
作文の書き方を知っていますか?
学校では事あるごとに作文を書かされていることとおもいます。
遠足や社会見学。運動会に修学旅行。行事自体は楽しくても、後で作文を書かされるんだろうなあと考えただけで楽しさ数割減。
そんな経験を持っている人はたくさんいるのではないかと思います。
作文が嫌われる理由は長い文を書くのがめんどうで、たくさん書かされる割に一向に上達しないからおもしろくないということではないかと思います。
いつ習ったかな?
ではなぜ「書く力」「作文力」は上達しないのか。
このことについて振り返って考えたとき、ある疑問が浮かびました。
それは、そもそも私は作文の書き方を教わったのだろうか?ということです。
学校で一度は作文指導という名目で授業が行われているとは思いますが、その授業で作文の書き方を教えてくれましたか?
それは作文の書き方ではなく原稿用紙の使い方ではなかったですか?
あなたも振り返って思い出してみてください。
あなたが習ったのは作文の書き方ですか?
それとも原稿用紙の使い方ですか?
これからお話しすることは提案であって「絶対に作文がうまく書けるようになる!」というものではありません。
人によっては役立つかもしれませんし、人によっては混乱させてしまうだけかもしれません。
書くコツ
作文のコツはたったひとつ。
それは「最初に結論を書く」ことです。
つまり、文全体を結論と結論で挟んでしまうのです(この方法は作文が嫌いだという人のために提案するひとつの方法論です。今一度確認のため…)。
この方法は作文に限らず大学受験で実施されることもある小論文、大学在学中に書くことになる卒業論文(通称「卒論」)や修士論文、社会に出て書くことになるであろうビジネス文書などにもいえることです(この方法は論文やビジネス文書の書き方から考えたものなので、学校の作文よりもむしろ歳を重ねるごとに役立つようになるのではないかと思います)。
日本では結論を最後に書くものだと思われがちですが、最初に書くことで読み手の興味を引き込むことができます。
また、言いたいことが終始一貫しやすく、話がズレにくいという利点もあります。
諸外国では段落の頭かお尻に要点を書くようにと「作文の書き方」を指導されるというのをテレビでみたことがあります。
これは余談ですが、日本で最も優れた書き出しとして夏目漱石さんの『我が輩は猫である』の冒頭「我が輩は猫である。名前はまだない。」を挙げられる方がおられます。私は文学部出ではないのでその真のすばらしさはわかりませんが、それでも引きつけられるものがありますよね?
日記と作文
本題に戻って、作文の苦手な人の多くは作文を書けといわれて日記を書いてしまっています(作文というのは「文を作る」と書くので本来は日記も論文も作文に含まれると思うのですが、一般的には、あるいは感覚的には別物だとされていますよね?以下で使う“作文”と“日記”もそれにならって別物だとして述べます)。
例えば日記は初めに日付や曜日、天気などを書きますよね?
日付や曜日を自分で記入することのはい手帳のような日記帳だとしても、その適する日付の欄やページにその日の出来事を書きますよね?
日記は“物語”というより“記録”という要素の強いものです。ですから物語よりも話に起伏のない単調な読みものとなりやすく、自分以外に読者がいたとしたら、飽きさせてしまいやすいものではないかとおもわれます。
記録を旨とする日記は読み手として他人を想定しておらず、自分が自分のために書くもので、そこに誰かの秘密や悪口が書いてあったり、交換日記でもなければ、あなたのことをあまり知らない人が読んでもそれほどおもしろいものではないでしょう?
このことを例文を挙げて説明してみます。
日記の書き方作例
例(日記):
2月23日、晴れ。今日ぼくは野球をしました。冬なのに暑かったけど、たくさんヒットを打てたのでよかったです。
まったくおもしろくないですよね?しかも稚拙な感じをぬぐえません。
これを結論から書くとこんな感じになります。
作文の書き方作例
例(作文):
「カキーン」。
今日はなぜか調子が良い。
まだ2月だというのに異常なほど暖かい今日、それと同じくらい異常なことが起きている。
これまで何度打席に立っただろう?
今まで一度もヒットを打ったことのないこの僕が、ヒットを連発。ホームランまで打ってしまった。
昨日まで「明日こそやめてやる」と思っていたこの僕が、今日はなんて異常な日なんだろう?
明日も野球をしたいと思うだなんて。
ふんだに味つけした割にたいしたことない文であるということは本人が一番わかっております。私には文才がありません。なのでその点は目をつぶって頂くとして…日記とは全然違いますよね?
ここで言う結論というのは話の一番盛り上がるところ、一番言いたいことのことです。
作文の特徴
上に挙げた作文の例には、結論を先に書くということ以外に二つの特徴があります。
それは、作文では嘘をついてもいいということと、多少文がクサクなるということです。
作文は“記録”ではないので多少話を大げさにしたり、嘘をついても話がおもしろくなるのならそれでいいのです。
書き出せないならこんな手はどぉ?
本当のことを書こうとするとちょっと抵抗があってなかなか文が書けないという人は多いと思いますが(特に作文が苦手だという人にはその傾向のやや強いマジメな方が多いようにおもわれます)、私はそういう人には「嘘っこ作文」をお勧めします。
ほとんど嘘だけで文を書いてしまうのです。
ほとんど嘘なので、途中から話が脱線しそうになってしまってもそれもまた新しい嘘でなんとか繋げてしまえばいいのです。
よく「一つ嘘をつくとその嘘を隠すためにたくさんの嘘をつかなければならなくなる」なんてことを言われますが、それを逆手にとって、最初に嘘から始めれば後から後から嘘が沸き出て知らず知らずのうちに文が出来ているという寸法です。
まずはこんなことから、ゲーム感覚で文を作ることを楽しんで文を作ることを得意にしてしまえばいいのです。
作家なりきりゲーム
嘘をつくことの方が抵抗があるという人は、自分が作家になった気持ちで書いてみましょう。
江戸時代の人形浄瑠璃の大成者、近松門左衛門は「芸というものは、実と虚との皮膜の間にあるものなり」「虚実皮膜(きょじつひにく)」と、ただただ現実をのみ語るより現実の中に虚偽を混ぜた方がよりリアルになり、真実っぽい嘘と、嘘っぽい真実とが渾然一体となっている方がよりおもしろいものができるというような言葉を残しています。
くさい文に蓋
文がクサくなるということに関してですが、これは各人の感覚にもよりますが、はじめのうちは多少は仕方がないとあきらめるしかないでしょう。
むしろそれを楽しんでしまいましょう。
作文は“物語”ですからちょっとクサイぐらいの方が相手に伝わりちょうど良いとおもうのです。…という逃げ口上でしたぁ。
「はじめの結論」のお導き
結論から書くことの最大の利点は文の最初と最後で話題がずれることを防止できるということです。
作文の苦手な人が文を書くと話の内容が途中から変わってしまい、最後には書いている本人が当初考えていた結末とは全く違ったものになっています。
あるいは変節してしまった文章の最後に、はじめから大事にあたためていた「うつくしい締めの言葉」を無理につなげようとするものですから、結論だけが浮いてしまうということがたびたびあることでしょう。
これは文を書いている途中で他に書きたいことが出てきてしまったり、だんだん結末とは違う方向に話がそれてしまうことがあるからです。
その点、結論を先に書いておいてしまいますと、スタートとゴールを設置できますので話が本筋からずれることが少なくなります。
コースを外れようにもそれでは見えているゴールに向かっていないということにすぐ気づきますから。
ゴール設定の有無による心情の差
これは例えば、「今からよしと言うまで走れ」と言われるのと、「グラウンドを10周走れ」と言われる違いにちょっとだけ近いかもしれません。
前者と後者とでまったく同じ距離を走ることになっていたとしても、ゴールが見えているかいないかの心持ちの差は大きいでしょう?
ゴールが見えていれば自らペース配分ができます。
ゴールが見えないと不測と不安で大きな心労となります。
ゴールが見えていないと途中で投げ出してしまう人や道に迷ってしまい、棄権者が増すことでしょう。
このような棄権経験が1度や2度ならまだしも、これが常態化すれば“作文嫌い”の量産体制に入っているだけではないでしょうか?
作文も持久走と同じようにスタートとゴールがわかっていれば最短距離でコースを外れることなく進むことができるでしょう。
話の一本道
あるいはこんな例えはどうでしょう?綱渡りや綱引き。
両端をしっかり止めておかなければ綱を渡るどころか、綱を張ることさえできませんよね?
話が本筋から大きく外れそうになっても、一本の綱が前からも後ろからも引っ張ってもらえていたら、力の強い方にたぐり寄せられて道を外れることがないでしょう?
「はじめに結論」の次にはなにが残ってる?
ということで、作文の苦手な人は、結論から書いてしまいましょう。
「え~っはじめに結論書いて締めの言葉を使っちゃったらもう話が終わりじゃない。今までよりも書けないよぉ~」と言われてしまうかな?
作文は結論を書いたからと言っておわりということではないの。結論からその結論に至る過程を書けばいいでしょ?そうしてまた最後に結論を書くの。…と言ってもはじめの結論のまったくおなじ文を書きなさいということではないよ。言葉を変えてね。
「結論先に書けって言うからかっこいい文もう使っちゃったじゃぁん」とおもうなら、もっとかっこいい文を考えてみようね。むしろこうは考えられないかなぁ?最初はかっこいい文を1つしか考えてなくて、この作文ではかっこいい文が1つしか使われないはずだったのに、今は2つ使ってもいいことになったんだよ。かっこよさ倍増。かっこよくない?
あたためていなかった想定外の締め。それでも締まる。…というより締めちゃう。
どうでしょう?なんだか書けそうな気がしてこない?…よね。
だって作文嫌いのひとは、肝心のなにを書いたらいいのか思い浮かばないでしょうし、そもそも書きたいと思わないでしょうからねぇ。
そこで次回は作文の中でもおそらくみんな大嫌い読書感想文にふれて、作文のはじめの一歩の踏み方、書き出せそうな方法について、ここで取りあげた「嘘作文」や「作家なりきり作戦」よりもより実用的な方法をご紹介する予定です。
それでは、じゃあねぇ。