鳶の社会
札付きにする手札を切るタイミング
もうすでに恒例行事となっている感のあります、あらたに大臣が就任する度ごとの不祥事発覚騒動。
不正を行っているから糾弾されるのではなく、ポストを得た途端、待ってましたとばかりに札を切られているのではないかとおもわれるほどあまりにも都合のよいタイミング。
出る杭は打たれるではなく、出る杭を待ち受けるモグラ叩きゲーム。
就任前からわかってたことなんじゃぁないの?
他にも切りどき見計らってる時期有力馬の有力情報にぎってるんじゃぁないの?
マイナンバー導入前に5年ほど公職者のあいだで実験的に取り入れてみたらよかったのに。
高望みする高齢鳶
大人が法もルールも守れず、その弁解の弁も拙い社会で、どんな顔して子どもに教え諭せばいいのでしょう?
「(大人はこんなんだけれども)きみたちちゃんとしなさいっ!」と言ってよりよい社会づくりを目指す姿勢は「鳶が鷹を生む」ならぬ「鳶の鷹望み」。
鳶から鳶が生まれて「なんだ鳶かっ!」「なんで鷹じゃないんだよぉ!」って、あまりにも理不尽。
鷹の誕生を待っているだけでなく、たとえそれが不可能だとしても、まずは鳶が鷹になること、鷹に近づくことを志向しなければ、後に誕生する鷹も、その背中を見て育ち、鷹が鳶になっちゃって、いつまでも鷹のいない鳶だけの社会になってしまいますよ。
年季の入った空洞化
いま日本の抱えているたくさんの問題のうちの一つに「産業の空洞化」があります。
この問題に比肩する問題が「大人の空洞化」、つまり大人の不在というのもあるのではないかとおもいます。
昔から身体と権勢ばかりが大きくなって、ただただ年を重ねて年長であるというだけで威張る幼い大人ばかりです。
なので「大人の空洞化」は「産業の空洞化」よりも古くからある問題なのですが、問題意識がなく問題視もされていないので対策もなにもされていない、長年密かに保留され続けてきた根深い問題だとおもいます。
わたしも幼いままにとうとうここまできてしまいましたので、懺悔と悔恨と自戒の念とが渦巻いて、若者には平謝りするしかないという悔悟の念で溢れて、申し訳ないとおもっております。
理不尽な願望
申し訳ないついでに恐縮ですが、若者には鷹になっていただきたいです。
わたしもほかの大人とかわらず鷹の誕生を待ち望んでしまっております。
「どうか鷹が現れますように。」
これがわたしの高望み。
こちらもいかが?