目的に向かって走っていますか?
ダイエットを目的として走るという感覚がよくわかりません。
痩せるためだけなら食べなければいいのに。
健康的に痩せるためならまずはよく噛むようにすればいいのに。
ふとっちょ一念発起
わたしは幼少期ふとっちょさんでした。
ある日一念発起。よく噛んで食事をしようと決めました。
初日は口の中がネチャネチャするようなちょっと嫌な感じと「まだ飲み込んじゃぁダメ!」と自分に言い聞かせるのがわずらわしかったのですが、三日もすると慣れました。
三日坊主のわたしにはギリギリ間に合う期間だったのでうまくいきました。
噛むcomeメリット
慣れてくると勝手に腹八分目になります。
というのは満腹感より先に噛むのがめんどうになるのでこれ以上噛むのならもういいやっとなります。
体もすぐに慣れて唾液の分泌量が違和感なくほどよい感じになり、より味を知覚することができるようになります。
よく噛むことが身につくと、今度は早食い大食いができなくなります。
食物をよくかみ砕いて小片としないと飲み込むことに強い抵抗があり、実際飲み込めなくなるからです。
鼻の開眼
咀嚼によって鼻の通りがよくなるせいか、嗅覚と味覚がちょっと鋭くなったような気がします。
臭いで料理を推測することはほとんどの方ができることだとは思いますが、目隠ししていても誰がそこにいるのか簡単に認識でき、ひとによっては前日(あるいは2日前ぐらいなら)その部屋に誰がいたのかでさえはっきりとわかり、周囲の人を驚かせるとともに引かせるぐらい嗅覚開眼(←鼻なのに)します。
味覚は嗅覚によるところが大きいので料理をつくってくれるひとに嫌がられるぐらいには敏感になります。
お味噌汁の味噌が同じ白味噌でもメーカーや分量が変わればすぐわかるのはもちろんのこと、カレールーのブレンドや天ぷら油の変化なんかもわかります。
ただそれを口にすると不快感を与えてしまうので、言うときはひとを選ぶようにしています。
そこそこ長い付き合いであれば長い時間をかけて「味が云々ではなくて答え合わせをしたいの」と素直に告白しておきます。そうするとときどき問題を用意していただけることもあり楽しめます。
食べる才能
こうしてわたしは体重と食料を削減し太れない体質になってしまいました。
なってしまったと言うのは頬がこけてガリガリだと言われ、それをちょっと気にして肉をつけようとしてもつかないからです。
「100kg以上太るのは才能だ」と言われますが、まさにそうだと痛感できます。
フードファイターと言われる方々もそうですが、食べることは才能の一つですね。
わたしはほんのちょっとだけ訓練しましたが、もし訓練しなかったとしても100kg越えや、あれほどまでの早食い大食いの才能を花開かせることはできなかったとおもいます。
BOY MEETS METs
健康的に痩せたいけれど食事内容や食事量を変えたくないとう方もおられるでしょう。
「だから走る!」といわれましても、やはりその感覚がわからないのです。
走らなくとも早歩きでも効果があるようですし、METs(メッツ)という考えから設計して、ゴミ拾いや草むしりやお掃除などでもいいのではないかとおもうのです。
走ることは個別事象・閉じた目的ですが、ゴミ拾いやなんかなら世のため人のためにもなって公に開いた目的となっているとおもうのです。
清掃活動やボランティア活動は集団でみんなで仲良くやらなきゃいけないというわけではないでしょ?
一人ノミで岩を削りはじめてもそれに続くひとたちも出てくるでしょうし、いつかトンネルが通るような大を成すかもしれませんでしょう。禅海 - Wikipedia
ついでに痩せる
お家に庭がなくても公園や学校やどこか公共施設に問い合わせればお掃除や草むしりさせてくれるところがあるでしょうし、そんな場所がなかったおしても、それをさせてくれる施設を方々探しまわることがすでにダイエットになっているでしょ?
別にボランティアをしなさいといいたいわけではありません。
お家のお掃除でもいいです、「ついで」がくっついている方がよくないかなぁとおもっているだけです。
とくにお部屋が汚いのに痩せるために走っているひとがいたとしたら「お片付けしながらついでに痩せる」「痩せるついでにお片付け」すればいいのになんで?と思ってしまうものですから。
走る目的が痩せることだけであるのなら方法は他にもあると思います。
苦しまなければ成果は得られないというのでは苦役讃歌な気がします。
あなたはなぜ走っているのですか?
走る目的が痩せるためではあるけれど、ついでに健康増進や風を感じて移り変わる季節を愛でるためというようなことであるのなら目的に適っているとおもいます。