ホメコトバのB面
「わたしは頭が悪いから」は謙遜して言われることがありますが、そうではなく、そう言うことで「わたしは考えません。覚えません。」と意図せず拒否の決意表明となってしまっていることが多々あります。
「あのひとは頭がいいから」はそのひとの努力をなかったことにしてしまう理不尽で失礼な暴言となっていることが多々あります。
頭のよさにもいろいろあって、記憶力がよいひとや発想力が優れているひと、センスや感覚が秀でているひとなど。
"頭がいいひと"の悲劇
テストの点数がよいという頭の良さ。
これは記憶力におうところが大きいとおもいますが、このひとたちのなかの多くは「覚えられない」と言って覚えることを拒絶しているひとたちに(たちの悪いことにそう言うひとの多くは、あたかもそれを正当で真っ当な弁明であるかのように振る舞うことがあります)、覚えるまで努力した結果頭がいいといわれるに至ったというだけなのに、それを才能という言葉でパッケージングされて、あたかも労力を払っていないとみなされていることが多々あります。
記憶力がよいひとを秀才。
発想力が優れているひとを天才。
記憶力と発想力をあわせもつひとを(知の)巨人。
記憶力と発想力ばかりでなく運さえももっているひとを神の申し子。神の子。現代的な言い方ではより直裁に神。
記憶から発想し、発想力で記憶力を補うこともありますのでこれらを明確に分けることはできませんが、誉め言葉だとおもわれている言葉のなかにも案外そうでもないものが含まれています。
蔑むのは当然よろしくありませんが安易に誉めるというのもいかがなものでしょう。
自己肯定感を養うために日ごとに1人の子のいいところをクラス全員1人ずつ発表していくという取組をなさっている学校があるようですが、その映像をみていて「わたしはこの時代に生まれなくてよかったぁ」と、嘘くさい子どもの世界に寒気がしたもので。