声の行方
わたしの考えなぞなんのお役にも立たないでしょう。
あるひとには餓鬼の罵詈雑言。
あるいは、あるひとには「閑かさや岩にしみ入る蟬の声」。数ある意見のなかに溶け込んで閑かだと無視されるようなもの。
または、あるひとには意識しなければ聞こえない、聞こえてもすぐに消えてしまう1滴の雨音。
よくて、あるひとには「古池や蛙飛び込む水の音」。
静かさを強調する1音。
それでも、あるひとには肯定的にみられるにしても懐疑的にみられるにしても、問題提起の一助かなにかのヒントになれれば幸いです。
そうでなくても、あるひとには世の中にはこんな下らないことばかりを考えている奇特なひともいるのだというお慰みにでもなれれば幸いでございます。
あまりにカッチリとまとまった余白のない文では想像の余地を脅かしますので、まとまりのない文に仕上げておりますという方便。
寓話の発想の泉
澄んだ清廉な泉であったなら、たいしたことのない出来事を落としてみても、女神さまが金や銀の発想を携えて泉の底から立ち現れるのでしょうが、わたしの淀んで濁った着想の泉では女神さまも住みかねて、ヘルメスさまも駆けつけてはくれませんので、落としてしまった考えでさえみずから取りに潜らなければならないのです。
わたしのひぐらし
なんだかんだで結局「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句が一番スキです。
この蝉はニイニイゼミとみるのが妥当で主流なようですが、わたしにきこえるのはヒグラシ。
セミ=ヒグラシなものですから。
でも7月上旬の山形ときくと途端にヒグラシの声はパタリとやんで、ニイニイゼミだね!となってしまうんですけれどね。
こちらもいかが?