神秘論理論
論理を突き詰めると神秘に行きあたり、神秘を突き詰めると論理に行きつく。
神秘を突き詰めると、その先、あるいはその過程でなにかしらの理法を見出す。
つまり論理を見出す。こうなると論理を無視できなくなる。
人も歩けば神秘に当たる
論理を突き詰めるとその先でいつしか論理が尽きる地点に行きつく。
そこまでの過程をさらに精査して、何度も何度も熟考しても、その度に論理の破綻をまのあたりにする。
いくら問題や論理を細分化しても、問い直しても、視点を変えても同じこと。
論理の破綻するところでは言葉も用をなさないので何とも言いようがありませんが、その先に、論理が尽きて神秘に至ったところに、何かがある予感、それも疑いようもないほどの確信をともなった直観というかたちであります。
真理は二面性をあわせもちます。論理と神秘。
神秘的な論理。論理的な神秘。
神秘思想・主義は1つの論理。
その正しさはすべてではないにしても1つの論理を表します。
論理的なのは神秘の手前で足踏みした結果・結論。
結論は結果ではなく論理を論理に、論理を神秘に繋ぐ論理・過程。
論理と神秘のロンド・輪廻・回転木馬・回教。
クルクルッ!