あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

Wikipediaがあるのに…敢えてヘラクレイトス

誕生!ヘラクレイトス

 紀元前540年頃。

 ヘラクレイトスは現在のトルコに位置するイオニア植民地のエフェソスで生まれました(出生地不明とする書籍もあります)。

 

 エフェソスでは最も高貴な貴族、王家の家柄の長子でした。

 

 エフェソスは当時、ペルシアの支配下にあり、その状況に満足しなかったのか、それとも思索のためなのか、早々に家督を弟に譲って隠遁生活に入りました。

 

 ヘラクレイトスはミレトス学派の考えを継承しましたが、生涯、誰の弟子になることもありませんでした。そして百数十の箴言(アフォリズム)を残しています。

 

ヘラクレイトスの最期

 紀元前480年頃。

 ヘルミッポスやキュジコスの人、ネアンテスによると、ヘラクレイトスは水腫症に罹って亡くなったのだそうです。

 しかしペリパトス派のアリストンによると、ヘラクレイトスは水腫症から回復した後、また別の病気に罹って亡くなったのだといいます。

 変わったところでは、体中に糞を塗りたくって犬に食われて死んだという説もあり、なにせ紀元前の著名な賢人の話とはいえ個人のお話しですから判然としないところがあります。

 

ヘラクレイトスの明暗

 ヘラクレイトスは隠遁生活を送っていたためか「暗い人」や「泣く哲学者」と呼ばれました。

 しかしただ"暗い"だけではなく、「明暗の人」とも呼ばれ、"明るい"ところも認められていたようです。その明るい部分について残された逸話があります。

 紀元前3世紀頃の作家と推定されるディオゲネス・ラエルティオスの著書『著名な哲学者の生涯と学説』(邦訳では『ギリシア哲学者列伝』)の「ソクラテス」の項に、このように記述されています。

 エウリピデスが彼にヘラクレイトスの書物(『自然について』)を手渡して、「これをどう思うかね」と訊ねたとき、彼はこれに答えて、「私に理解できたところはすばらしい、理解できなかったところもそうだろうと思う。ただし、この書物は誰かデロス島の潜水夫を必要とするね」と言ったと伝えられている。

 「ギリシア中にソクラテス以上の知者はいない」とデルポイ神殿の神託を受けたソクラテスでさえこのように語っていて(あるいはそのようにソクラテスに語らせており)、このことからただ外見が暗かったというのではなく、その"暗さ"の出所は思想の水深の深さに由来するもので、深淵のイメージと、またそれがもつ知識への明るさを表現した呼称が「明暗の人」だったのではないでしょうか。

 

存在と生成のアルケー

 哲学は紀元前6世紀頃の古代ギリシアの地より興りました。

 最初の哲学者はタレス(紀元前640~546年頃)です。

 

 これはタレス自身が「最初の哲学者である」と宣言したのではなく、後に生まれたアリストテレスによってそう位置づけられたのでした。

 

 タレスは世界を構成する原理(アルケー)は「水」であると考えました。

 哲学は最初、アルケーを探るものでした。

 

 またこの頃、アルケーは"存在"なのか"生成"なのかについての議論も盛んに行われていました。

 

ヘラクレイトスの名案

 タレスが誕生しておよそ1世紀後、ヘラクレイトスは生まれました。

 ヘラクレイトスはアルケーを「火」であると考えました。

 「火」が濃くなったり薄くなったりすることで「火」が「水」になり、「水」が「土」になり、また反対に「土」が「水」になり、「水」が「火」になる循環の関係にあると考え、アルケーは"生成"の性質を持っているのだと考えたのでした。

 

 そしてヘラクレイトスは「万物は流転する」と言い、史上ではここから生成思想が始まったとされます。

 ヘラクレイトスは「君は、同じ川に二度入ることはできない。なぜなら私が二度目に川の流れに浸ったときには、川の流れも私自身も既に変わっているから」と言います。

 

 こうしてヘラクレイトスは「私」の外の世界だけではなく「私」を含めた世界、世界の全てが生成なのだと説きましたとさ。

 

 おしまい。

 

ヘラクレイトス - Wikipedia