個人が故人となり埋葬されるとき、故人に縁のあるものが共に納められます。
これは古代においても行われていました。
有力者ともなると副葬品はとても豪華で、故人に縁のあるものから故人とは縁のない新たに貴金属を用いて設えられたものまで、またその他にも貴重な資源など惜しげもなく投入され、ふんだんに死者とともに埋められもしました。
埋めてしまえば当然それを使うことはできなくなります。
副葬品はなぜ埋められてしまうのでしょう?
古代縄文人は死者の再生を願ってか、副葬品をわざと壊して埋葬するということがあるようです。
北海道の千歳市で出土した土製仮面が添えられていた古代縄文人の有力者の墓には200km離れた遠軽町白滝の貴重で上質な黒曜石がたくさん納められていたのですが、黒曜石は鋭い刃物になり肉や蔦を切ったり矢尻などに使える有益な資源です。
であるにも関わらず。それを埋めて使えなくしてしまいます。
なぜ?
このような疑問が『超古代からの挑戦状!2「行き倒れ"縄文・仮面男"の謎』を見ていたら地底から這い上がってきました。
そのまま埋めるにしても壊して埋めるにしてもどちらにせよ、なぜまだ使えるものを埋めてしまうのでしょう?
死者はもう動きませんから埋めてしまってもそれ以上は死傷を負うこともなく、支障がないばかりか、腐敗して獣を招き寄せたり病原菌の温床ともなりかねませんから埋めて仕舞った方が望ましいことでしょう。
でもなぜ貴重なものを継承者なりが受け継ぐでもなく、副葬品として埋めてみすみす使えなくしてしまうのでしょう?
利益の埋葬
有力者の墳墓であれば権力を示すためとなるのでしょうが、そのために埋める?
墳墓の大きさは権力を衆人に見せつけることができて抑止力ともなりましょうが、埋まっているものは目には見えませんから、墳墓造成に関わり副葬品を納める作業に従事した一部の人にしかその権勢を見せつけられないでしょう。
墳墓の大きさであれば周辺部族に力を誇示することで牽制するという政治・国防として機能しますが、埋めるってどうなの?
単純に考えても継承者が前任者の貴金属や資源を活用した方が国力があがると思うのですがそれはしない。
副葬品が納められてずいぶんと時代を隔てた後世の人であっても、その文化を生きている人はその文化を生きている以上、いかに財政困難に陥ろうとも墓を暴いて貴金属や資源を取り出そうとはしません(賊でもなければ)。
貴金属ならまだしも有用な資源であってもそれをしないというのはなぜなのでしょう?
逡巡先刻次第の一子一家
権力を示すためだとか再生への祈りのためだとかいう現在一般的な解釈として定着している見解は、実は後に付加されたそれらしい理由なのではないかと思うのです。
でも、だとするとなんのためだというのでしょう?
- 一度でも所有されてしまったものを継承するのは忌避される行為だったから?
- 手垢のついたものを自然に還して浄化・循環させるため?
- 富を蓄積させないように蕩尽して争いの火種を消尽する機能のため?
- ポトラッチのように気前の良さを示さなければ示しがつかないという実利よりも心情的・儀礼的なことのため?
この疑問はすこし寝かせておいたらそれらしい考えが浮かんでくるかなぁ〜と思ったのですが、このように、たいした案が浮かびませんでした。
ということは、わたしの直感とは裏腹に、従前どおりそれだけ儀礼・儀式・宗教といったものが力をもっていたということのようですね。
あるいは使い切れないほどの資源があって無尽蔵に採れるものだから、永遠に尽きることはない、そもそも尽きるという概念がなかったからできたことなのかもしれませんね。と、だいたいこんなようなところに落ち着きそうです。
逡巡して元通り。