あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

言葉からギリシア神話、そして文字へ

言葉から文字へ

 言語が使用され始めたのは原人の頃、およそ50万年前のことです。

 農耕や牧畜が紀元前8,000年頃より始められ、古代文明が成立したのが紀元前7,000年頃。

 資料や文献が存在しない時代を先史時代といい、紀元前5,000年頃までとされています。

 これより後の文字が発明され資料や文献が残されている時代を歴史時代といいます。

 

 文字が開発されたということは、それまでには言語がほぼ完成されていなければなりません。すると人類が言語を完成させるまでに多くの時間を要したことがうかがい知れます。

 

温暖化から文明へ

 紀元前1万年頃、4度目の氷河期が過ぎて地球が暖かくなりました。

 そして先史時代の後期、紀元前8,000年頃、西アジア周辺の高地や丘陵地帯で農耕や牧畜が始まりました。

 農耕や牧畜が進むと貧富の差が生じるようになり、やがて支配者と被支配者の社会構図が形成されていきました。

 

 紀元前4,000年から紀元前2,300年頃の間に黄河文明、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明といった、いわゆる古代の四大文明が成立しました。

 

ホメロスの言葉からヘシオドスの文字へ

 現存するヨーロッパ最古の文学作品でありギリシア神話の原典ともいえる叙事詩『イリアス』とその後を記した『オデュッセイア』をうたったのがホメロスです。

 ホメロスが生まれたのは紀元前9~8世紀頃、キオス島あるいは小アジアのスミュルナ出身といわれていますが、実際は不詳で実在の人物なのかどうかも定かではありません。

 

 ホメロスの存在も不詳ですが、ギリシア神話というのも不詳な存在です。

 

 ギリシア神話の成立背景には、古代ギリシア人と当時バルカン半島やエーゲ海沿岸に住んでいた先住民との関係が反映されています。

 

飲み込む古代ギリシア人

 古代ギリシア人は黒海周辺に住んでいたインド・ヨーロッパ語族の一派です。

 紀元前2,000年頃からバルカン半島やエーゲ海沿岸に何度も侵入して先住民を征服していきました。

 

 クレタ島を中心に高い文化を築いていた先住民族と侵入者である古代ギリシア人との抗争の中で、その抗争の様子や、先住民族の神々や神話が形を変えて古代ギリシア人の文化に吸収され、数百年かけて神話や伝説として形成されていきました。

 

 こうして形成されていった"ギリシア神話"には、他にも地中海世界に広まっていた民話や昔話などの要素も入り込んでいます。また、当時の先進文明であったオリエントやエジプトの神話・伝説の影響などもみられます。

 

 古代ギリシアでは神話は口頭伝承であり、ギリシア人が文字を使うようになったのが紀元前9世紀頃なので定本というものがまだ作られていませんでした。ゆえにこのように多くの異伝や矛盾を孕む不詳のものとなったのです。

 

甦るギリシア神話

 時代が進みキリスト教の勢力が増してくると多神教の思想が否定される時流が起こり、ギリシア神話はただの物語・作り話というカテゴリーに押しやられてしまい、徐々にその影を潜めていきました。

 

 しかし19世紀になると事情が変わります。

 というのも幼いころよりトロイア戦争を史実だと信じ、トロイアの発掘に情熱を傾けていたシュリーマン(1822~1890)によってホメロスの叙事詩『イリアス』をはじめとするギリシア神話のいくつかで語られていることが事実である可能性を帯びはじめたからです。

 これが可能性にとどまっているのは、今なお発掘されたかの地(ヒサルルック)がトロイアであることを示す確証が発見されてはいないからです。

 

ギリシア神話の胎動

 ホメロスよりやや遅れて誕生したヘシオドス(紀元前8~9世紀頃)もホメロスと並び、ギリシア神話の原典ともいえる『神統記』と『仕事と日』をうたった叙事詩人として有名です。

 ヘシオドスはこれまで口頭伝承であった物語・神話を分類・整理して体系化し、それを文字に残した人でした。

 

 『神統紀』のはじめに、世界の始まりについて「最初、世界は混沌(カオス)であった」とあります。"カオス"のもともとの意味は「大口を開けた」「空っぽの空間」「空虚」です。

 各地のさまざまな物語を飲み込み、歴史を飲み込んできたギリシア神話世界のはじまりには相応しいはじまりだと思いませんか。

 

ギリシア神話 - Wikipedia