梵鐘はどこへ消えた
まあるいぼんさん
あなたは生まれようと意思して生まれてきたのですか?自力で生まれたわけではないのだから自身の身体でさえ所有してはいないのです。他力による預かりものなのです。
と、したり顔で説くぼんさんがおられますが、そう説きながら所有についてあまり考えておられないようにみうけられます。
布施行を説き寄進なぞもしていただいていることでしょうから、もうちょこっとお金の仕組みについて考えるぼんさんがいらっしゃってもよろしいのではないかと思うのですが、これ如何に?
むかしのぼんさんは読み書きができ大陸の教典を読み解き、文物に精通し厳しい修行を経た知的エリートだったこととおもいます。
太原雪斎さんに安国寺恵瓊さん、快川紹喜さんに白隠慧鶴さん、南光坊天海さんに以心崇伝さんなどなど政教べったり癒着だったところもあるでしょう。それでもときに為政者を諫め問いただし弾圧されて心頭滅却したりするぼんさんなんかもいたりして、いまのぼんさんより断然魅力的。
諸行無常の響きもなし
仏教が時代の先端を走らなくなってから次から次へと新たに誕生する新興宗教におされてませんか?若者向けにとか視覚的にというわけではありませんよ。
革新的でも芯を外さない思考というのかな?そういったもののこと。
被災地で諸行無常説くぼんさんいたかなぁ?
昔は托鉢・乞食行にはげむぼんさんのお鈴や金剛杖の音がもうすこし身近なものでしたが、めっきり聞かれなくなりましたねぇ。
毎日聞こえた時を知らせる鐘の音も、いまでは年に一日、それも最近では花火にその座を奪われだして、そのうち鐘の音も潰えてしまうのかな…。