over 90そうそう
ひいおばあさん(いちごじゃない方のわたしのいちご。 - 雨はいつもわたしのみかた。)が80を超えて亡くなったとき、同居していた嫁(ひいおばあさんの息子はだいぶ前に亡くなっていましたので)もまわりのひとたちも「大往生だったぁ」と口々に終始明るくと申しましょうか朗らかでした(全員ではないですけれどね)。
長寿社会に突入し80を超える方が多いですから、現代では80代の臨終・葬儀でもやや悲しみが漂ってしまうのは無理からぬ事でしょう。
しかしどうでしょう?90超えたらねぇ。もういいというかなんというか…。
忽忽葬送
一昔前は長寿というだけでなにか神通力やご利益、仙人か神や仏のようにみなしていたようにおもいます。
それでわけもなく子どもの健康祈願のためにご長寿の方に触れて頂いたりしたものでした。
そんな子のなかには怖がって泣き出しご長寿の方があやそうと近づくとさらに泣きわめくなんてことも。
国内にも一部の地域ではまだみられるとおもいますし、海外にまで目をやれば少数民族ではあるかもしれませんが、故人を偲んでお祭りのように華やかで大騒ぎな葬儀をおこなっているところがあります。
そろそろ然う然う90
90超えても厳粛で悲哀に満ちた葬儀では死≒わるいもの、なにがなんでも避けたいものといったような構図がいつまでも払拭できないのではないでしょうか?
死は誰にでもやって来るこの世で唯一と言っていいかもしれない平等なもの。自然の摂理です。そんなに目の敵にしなくたっていいのに。
と、水木しげるさんの訃報を伝えるニュース番組をみていて思いました。
そろそろ90過ぎの場合はそんなに神妙な面持ちで伝えなくてもいいんじゃないのかなぁ?
ご本人も明るく見送ってもらいたいと思っているのではないかなぁ?
もしちがっていてあの世でお会いしましたら謝罪致します。
早々草々
あるお薬の成分ではありませんが、わたしの半分は嘘で出来ていますので、もしあの世があって閻魔大王さんもいらっしゃって、その面前で悪行の数々、神様仏様を信じてこなかった不敬などなどについて叱られましたら、そのときは「嘘八百を並べ立ててすみません」「神様仏様いらっしゃったんですねっ!これはこれはすみません。」「母はこんにゃく好きでしたけれど、わたしはぁ…ごめんなさい。」と、死ぬほど謝ってやろうと思っております。
もう死んでますけど。墓場に骨しかないですけど。