あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

なんっ~~~の、まとまりもないはなし。

時間の正常順行と正常逆行

 ひとの体積はゾウとネズミ

 タモリさんも言ってましたが「小学生のころは一日が死ぬほどながかった」

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学

 

 

 時間の矢が逆向きだったとして、それを生きているひとには違和感はないし、整合性の乱れは一切ないはず。

 その世界では死んでから生まれるまでの間に記憶や出来事を消していくの。

 食物を生産して口から排出して生き物を生んでいく。

 わたしたちの生きる世界と時間の流れが逆の世界では、それが正順でなんの矛盾もない。

 

 逆が非論理的にみえるのは、逆を順からみてるだけでしょ?

 事態に巻き込まれているひと。事態の中にいるひとにはあたりまえ。

 事態に外はなくって、事態の外には出られないから気づけないけれど…。

 

大きく構えて

 歴史はたいせつ。ひとはせいぜい100年ぐらいしか生きられないから、おなじことを繰り返しちゃうんだろうねぇ。景気循環のように。

 ただ最近では好景気と不景気が循環しないで、不景気で停滞してるけど…。

 

 コルビュジェさんの「輝く都市」構想は壮大ですべて賛成できるわけではないですが、非現実的であるとか空想にすぎると棄却するには惜しいところもたくさんあるんじゃない?

 大きな物語が語られなくなった昨今、コルビュジェさんのように大きな物語を語るひとが一人ぐらいあらわれてもいいのに。

 それをホンキで実現しようと奔走するひとがいてもいいのに。

 世界平和を実現しようとまじめに企てるひとのように。

輝く都市

輝く都市

  • 作者: ル・コルビュジェ,坂倉準三
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1968/12/05
 

 

 無駄足に終わるかもしれないけれど、いったん輝く都市構想の再検証と現代への応用について考えてみませんか?

 もちろん部分でなく全体をだよ。

 ユニテとかはかっこいいじゃない!

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

  • 作者: W.K.ハイゼンベルク,山崎和夫
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 1999/11
 

 

日常装飾は骨折り?

 ついでに言うと~若い頃はガウディさんのサグラダファミリア~!でしたが、今はその向かいにある、モンタネールさんのサン・パウ病院の方によりひかれます。

 

 窓やスリットのおおい建築物、どうしても掃除のことを考えちゃうので、かっこいいとは思うんですよ、でもね~ちょっとねー…。

 凹凸はホコリと汚れのたまり場ですよ?

 日々掃除に追われるわずらわしさ知ってますか建築家のみなさま?

 

 美人は三日で飽きるんでしょ?

 それじゃぁ機能をともなわない装飾は三日でめいるよー、現代のくらしでは。

 

 ミースさんの「Less is more」ではすくなすぎちゃうけど、(だって収納ないんだもの)「God is in the detail」はその通りだとおもう。

 この二つの結晶が(建築物ではないけれど)バルセロナチェアに結実してるとおもう。

 シーグラムビルもそうだけど、ガソリンスタンドとか(MRダイニングチェアでなくて)バルセロナチェアにもたれかかって腕ダラ~ンの写真(があったとおもうんだけどみつかんないや。)とか、静謐でかっこよかった印象があるなぁ。

 

そんなこと言うなら書いたら?

 「ひとの話は最後まで聞きましょう!」って、言われなかった?

 あるいは、ふだん自分で言ってなぁい?話し合いの場で罵声を飛ばし合っていっこうに前へすすまないんなら、FTF(Face to Face)やめれば?

 

 お互い書面でやりあった方が建設的だし明文化できるし、言いたいこと、じぶんの主張を遮られることなく、極力誤解なくつたえられるでしょ?ニュータイプではない重力にとらえられてる地球人でも。

 

 なのになんで?

 ディベートの模範として国会答弁は教材にならないね。

 本人が調べて原稿用意するってことが少ない読み手の意志薄弱・意図無理解のただの棒読みではねぇ。

 新人議員に罵声指導するのが通例になってる政党があつまっても「先生」ばかりで先生がいないんだからどうしようもないよね。

 

こちらもいかが?