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あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

恩師がいない。

物語 物語-昔日

今週のお題「思い出の先生」

 

 この習い事をはじめてもう数年たつ。

 はじめたきっかけは引っ越してきたばかりのころ、そこではじめて知り合いになった同い年の子になんども誘われたから。

 ずっと断っていたのに、そのうちウチの両親まで説得工作に加わり、わたしに孤独な行軍を強いる。

 こんな奮戦を維持しつづけられるわけもなく、まもなく堕ちた。

 

華麗なステップで振り返っている少女 動機不純でいやいや始めた。

 それでもそんな態度を見せれば大人は怒るから、怒られないように熱心に取り組む姿勢を演じて。

 

 ほどなくして。それもほんとに始めてすぐ、一緒にやろうとさそってきた知人はあっさりとやめてしまった。

 わたしのつづけようよという言葉も聞こえていないかのような、それはもうあざやかなステップ、華麗な踵返だった。

 

 呆然としながらも、これで習い事をやめるための正当な動機ができたと嬉々として色めきだった。

 今、手にしたのは天下御免の罷免状。

 急ぐ必要もないのにうれしさ隠しきれず、意気揚々と小走りで帰途につく。

 

 帰るとさっそく両親につきつける、直訴状。

 「申し上げます。わたくし習い事をやめさせていただきます。理由は以下の通り。いやがるわたしを無理に勧誘した者はそうそうに退き、わたくし一人、つづける理由がございませぬ。」という勢いで勧進帳を朗々と謳いあげる。

 

 はたして結果は、「一度始めたものはやめるんじゃない。」と一刀両断。

 

ピッチに頭を抱えて寝込んでアピールしているサッカー選手の横でそれを気にしていない審判 再審請求を提出するも取り付く島もない。

 こうして訴えはにべもなく棄却された。

 わたしが嫌がっていたことも、じぶんたちも勧誘に加担したことも事実無根であるかのように、検察と裁判官が癒着しているのでは、あっけなく敗訴。

 過失も執行猶予も反対弁論さえも認められない完膚なきまでの敗訴。

 わたしには弁護士がいなかった。

 目撃者も証言してくれるひとも、ただのひとりもいなかったのだ。

 

 気分を逆なでしないように時期を見計らっては、年に数度ボールを投げてみる。

 「そろそろやめたいな。」

 

 何年かすると後輩もでき、望んでもいないのに上達もして、気づけばお局様。うれしさも感慨もない。

 楽しいとおもうときもあるけれど、おおくはない。

 いつも大人にきづかれないように時計ばかりを盗み見る。あれからまだ5分しかたっていない。あと何時間?

 

 先生はすべて知っていた。だれも話していないから知らないはずなのに。見抜いてた。でもそれを一度も口にはしなかった。咎めることも諭すこともなかった。

群衆の中の白髪の老人の後頭部

 先生は白髪で、昔はとてもとても厳しいひとだったらしい。

 白い悪魔の異名をもっていた。

 わたしの入った頃にはそんな様子は感じらず、先生が声を荒げたり手をあげるのをみたことがない。

 それでも先生はこわいひとだった。

 長身で威厳があった。

 集会なんかで脇にひかえているときはきまって、右手首を左手でがっしりつかみ、胸を張っているわけでもないのに、幅広の肩はまるまらず、根を張った樹木のように徐かに凛と立っていた。

 先生の3分の1ほどの年齢で血気盛んな男子学生も、先生に逆らうようなことはなかった。できなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。

 

 先生がわたしの相手をするとき、はじめのうちは打ち負かして、わたしの対抗心を焚きつけると、さいごはいつもきれいに負けてくれた。先生の腕なら負けることはないのに、だれも気づかないほど自然に。

 

 なにがきっかけだったのか、何十年もすぎたある日、それに気がついた。

 先生、なにも言わなかったけれど、わたしが気づかなかったらどうしたの?生涯気づかれなかったとしても構わなかったとでもいうの?そんな清淑なメッセージってある?

 

 夏も冬も入院される前も、朝は学校の植栽の選定や側溝のドブさらいをしていた。

 だれに言われるわけでもなく、だれにやらせるわけでもなく。

 みんな好きでやってるものだとみていた。

 あんな重労働すきでやるひとなんているはずないのに、みんなして見誤ってた。

 それでも先生はなにも言わない。

 

 うそかほんとか。先生はプロに誘われたことがあるという。なぞのおおいひと。

 手取り足取り教えるということはしないけれど、先生をみていれば勝手にうまくなった。

 

 地区の代表に選ばれたのも先生が推挙してくれたからだということも、あとから知った。なのにわたしははじめそれを辞退しようとしていた。めんどうだし休みを削られたくなかったから。

 わたしが辞退したら先生どうするつもりだったの?わたしのなにをそんなに信じていたの?

 

 わたしは補欠で試合に出られるかどうかなんてわからなかったのに、先生は遠くまで見に来てくれた。試合が終わったあとに話しかけるでもなく、後日それについてなにかいうでもなく。

 血がつながっているわけでもないのに、これほどつよくしずかにわたしのなにかを信じてくれたひとはいない。

 

 先生はたいしてほめもしなければ助言も忠告もしなかった。それなのに何年もたってからわかるようなメッセージを何通も何通も送りつづけてくれた。

 このひとでなければわたしはさいごまでつづけられなかった自信がある。

 みんなずっと先生の手の上で転がっていた。なかでもわたしほど、それとは知らずに憎たらしくも無邪気に転げまわった者はないだろう。

木製デスクの上に置かれた2・3通の古い手紙

 

 前日の雨ですこしぬかるんだ田舎のあぜ道。

 

 ほのかな月明かりと玄関灯の橙色で照らされた、先生よりも年下でわたしよりも年上のたくさんのひとが厳かに列をなしている。

 

 あれほどうつくしい人の波を見たのは、後にも先にも先生のお通夜のときだけだった。

 

 あるときから先生は休みがちになり、そのうちぱたりとこられなくなった。ひとづてに「はっけつびょうでめんかいしゃぜつ」だと耳にした。当時はそれがなにを意味するのかわからず、盲腸みたいなものでそのうち帰ってくるだろうと思い込んでいた。入院するずっと前から苦しかっただろうに、そんなそぶりだれにもひとつもみせなかったのですから。

 

 先生が入院中にわたしは学校を卒業し、習い事も卒業した。

 

 それから二年ほどして先生は亡くなった。骨髄移植や臍帯血なんて技術も言葉もない、白血病が不治の病のころのこと、三年近くに及ぶ闘病生活は想像を絶するものだったとおもう。

 

 わたしの恩師はいなくなった。

 

 わたしが先生のさいごの教え子となってしまった。それも心根の悪い。

 国語の先生なのに恩師以上を表す言葉も教えずに死ぬなんて、ずるい。これからも恩師っていうしかないじゃない。

 

 先生のメッセージはいつもきまって遅れてやってくる。

 

 今のわたしではまだ受け取れない手紙があるのかもしれない。

 

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