あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

自由と欲望の相似性

不老不死でも身体・自由を拘束されては苦しみ・不自由は常人よりも大きい。

死にたくとも自由には死ねないのだから。

したがって自由は不老不死に勝る。

 

自由とは自らの意思で決めること。

ただしその意思は教育や文化、情報などによって形成されてゆくもの。

となると自由は自由か?

自由の記憶、継承される自由、遺伝する自由、…。

自由は思考から生まれる。

 

老化しない、死にたくない、死なないという自由、あるいは願望。

願望は大きな括りの上では自由の一種。

何を望みその思考・選択肢・想像からなにを選ぶか、選べるかという自由。

 

思考のない生物は反応により動いているだけなので「~をしたい」という欲望がない。

つまり自由でもなければ不自由でもない。

そう感じることすらない。

そもそもその概念がないのだから。

 

また、思考をもちすべてが思い通りの自由自在であってもやがて欲は尽き、自由の概念をも失う。

というのも、思考と同時に、あるいは思考よりもはやく願望がかなってしまい、而して思考は反応となり、思考は失われるのだから。

 

思考のない生物と思考をもつ自由自在の生物とは畢竟、同じ極地へと至る。

 

自由から離れ、欲することもなく、ただただ反射や反応にのみ依った思考を失った生物となる。

欲からはなれることは自由(・不自由)からもはなれること。

 

無限が無限たりえるのはそれが可能であるからではなく、まさに可能性であるから。

無限は可能という虚偽へと誘う悪魔であり、可能性という希望を担保する天使。

自由は実現可能ではないかもしれないけれど、その可能性を失うことはない。

自由には種類がある。

どの階層、どの次元についての自由について話しているのかを捉えそこねると混乱するだけ。

極端な国に極端あれかし

LGBTQやクオータ制など「日本の未来を憂いて…」みたいな独善を振りかざして批判するひとがいますが、その結果、追い込まれて自ら命を断ってしまうひとが増えたのでは本末転倒。問題の深刻化に寄与しているだけ。人口は減り、それこそ未来の納税者も納税額も減る一方なのですから。

 

日本は賃金が上がらず睡眠時間は短く、相対的貧困率が高く自殺者が多い。投票率が低くて女性議員が少なく、男女で賃金や昇進などまだまだ不合理な差があって、家事育児はいまだ女性が担っていることが多い男社会…こんな極端な国のために死んでやることなんかない。

 

生まれてこのかたずっと日本育ちでは気づきづらいかもしれないけれど、日本は”普通”ではないよ。世界的にみても礼儀正しく治安がよくて生活しやすくて比較的いい国ではあるけれども、それでも、それを除けば割と極端なんだよ。

シーシーゲーム

企業や政府の言う「丁寧な説明」とかって、根回しも段取りも整えて、がっちり既定路線確定後に「お話しましょっ」とくる。”普通”は逆でしょ。説明してお話して計画の可否を経てから段取りつけて実行よ。

加えてその「説明」とやらのお粗末なことったらありゃしない。

その最たるものが国会答弁。「何度も申しましたように…」「先程もご説明いたしましたように…」といって何も説明していない。話が広がりも深まりもしない。同じことの繰り返し--せめて、せめて言葉や言い回しぐらいは変えて一見ちがうことを言っているかのようにはぐらかしてみなさいよ。国民の代表がコレじゃあ日本の知性が疑われるわ!恥ずかしい--で、ただただ時間を稼ぐ作戦。

公平に回す者

スポーツ、なかでも対戦競技においては一方があまりにも消極的であったり、あからさまな時間稼ぎ等の行為に対して注意や警告がなされ、度が過ぎれば減点または相手に加点されるというルールが設けられており、その履行のために平等で公正な審判がいます。意見の調停やスポンサーのためのテンポの調整、ただ試合を面白くするためだけにレフェリーがいるわけではないのです。(公正で誠実な)試合を成立させるために審判する者がいるのです。

国際大会ともなると対戦両国とは異なる国籍のひとが審判を務め、国内大会では競技者と利害関係にない第三者が審判を務めます。

極端な回し者

こんな国会なら、不公平な進行しかできないなら論理と審理に長けている(はずの)最高裁判所長官衆議院議長やれば~。違憲立法審査権だけじゃあ三権分立の内の裁判所がちょっと弱くない?違憲判決件数少ないし「高度の政治性」って言い張られたらそれだけで攻めようがなくなる権限ってどうよ?ただそれだと長官の任命権を有する政府与党がちょっと強くなっちゃって与党議員議長と大差なさそうだし政府に対する何かしらの牽制カードが必要になるから…それならいっそのこと逆張りで議長は野党から出すことにしちゃうとか。

議長は司会とは違うって言うんでしょうけれども、なんにしろ三権分立・多党制・立法府・(衆議院)議長という組み合わせは公平な審議という観点からすると相性が悪いと思う。

Iターンゲーム

男社会という極端が許されてきたのだからいっぺん女社会にしちゃえば。これまでがターンがまわってこないゲームのようなものであまりにも不公平でしょ?

近代、特に明治以降の成功や成長を家父長制によるものと錯覚しているようで、その実、成長は個人の犠牲によるところも大きかったでしょ。男女平等だったらさらに成長していたはずだったとは思わないのかねぇ?だとしたら…さすがだわ男社会、なんとご都合のよいこと。

 

格差は違いや差があること自体を否定するものではなく、ただ、極端な差を批判するものです。差があることを肯定すると途端に「格差を容認するのか!」と鼻息荒くするひとがいますが、そんな声は短絡的思考者の戯言だと心中で侮蔑してしまえばいい。

中道、折衷案、アウフヘーベン…だけでは意見が出揃うの待ちで優柔不断の決断遅延に陥りがちだし、「だけ」というのもまたひとつの極端。

極端の国のアリス

「生きてさえいればいいことある」かどうかはわからないけれど、あなたに、お金にちょっと余裕があるのなら、極端でない国に移住してみるのもいいし、他の極端な国を見に行ってみるのもいいかもしれない。あなたに、まったくお金に余裕がなかったとしても、極端な国で極端な終わり方を選んでなんかやらなくったっていい。気づいていないだけで今、なにかしらの暴力の渦中にあるのかもしれない。それは異常で極端な状況なのだからその場から離れましょう。

そうして気力が回復してきたら、そのまま安穏な生活を続けてもいいし、闘ってみてもいい。同じように苦しんでいるひとがいるだろうからノマド的移動村落とか限界集落や廃村に住み着いてさらに仲間を増やすとかして擬似的な村や国をつくってみるとかね。擬似的な村や国をつくるくらいたいした極端じゃない。

遵法あっぷあっぷ

 日本における(ひいては世界においても共通する)経済や人口や自殺といった数々の問題はルーツを一にし、その解決策は同根なのではないかとおもいます。

 つまりそれは賃金。

韓国の賃金水準、日本並みに | 地域・分析レポート - 海外ビジネス情報 - ジェトロ

 

 日本ではこれまで賃金が上がってゆかず将来への漠然とした不安も募ってゆき余裕を失い希望が縮退してゆきました。

 お金は種々の自由を広げます。

 賃金が上がらないということは個々の自由も広がりません。

 そして個々の孤立は広がっていきます。

 こうなると「最近の若いものはお金を使わない、飲みに行かない、欲がない」とはホントウでしょうか。

賃金・立法・遵法

 ではなぜ賃金は上がってゆかなかったのでしょうか。

 その原因の最も大きなものは日本の遵法意識の低さです。

 賃金が上がっていかなかった原因の主なものに日本人の特徴・性格・国民性、つまり消極的や自己犠牲、同調(圧力)や寡黙といったようなものを挙げるひともいるでしょう。

 むしろそのようなひとの方が多いこととおもいますが、そうであったとしても生活を守るために法はあるのです。

 自分や自分の家族、子々孫々日本国民が豊かな生活を送れるように先人が闘って勝ち取ってきたのが法。

 なかには誤った法もありましたが、そのときにも日本人は闘って改正してきました。

 

 それなのに、そうして打ち立てられてきた法の実行力が低いのです。

 実行力が低いのは、その実行者が法の埒外にあるということが主要因なのですが、これもどうにかしなければならない人類の問題のひとつでしょう。

 といって闇雲に第三者委員会のようなものを乱立させればよいというわけではありません。それは形骸化の進化・深化でしかないのですから。

顕在化する暴力の性根

 立法は確立してきましたが「ホンネとタテマエ」に代表されるように、成文化した法であってもタテマエ看板と化してしまっているものがあります。憲法ともなるとその具合がさらに増します。なかでも人権についてはひどいものです。

 

 憲法に則った法律の違反に罰則があるのであって憲法自体に罰則はありません。世界的にも最高法規というものはそういうものではありますが、そのせいかタテマエで奉られホンネでは放置されがちです。そうならないようにするための律令なのですがね。

 

 律、ネガティブリスト、禁制には強制力があります。それだけにそこには、それまでの“強い思い“が込められています。虐げられ抑圧されてきた人々の憤りや怒りの歴史が秘められているものです。それをタテマエに堕し形骸化するとは笑止。

(こういうことを言うと独裁政権や政情不安定な国を挙げて比較する声が挙がりますが、それはあまりに極端。あまりにはぐらかしの極地というものです。)

タテマエの前例

 「前例がない」というのもタテマエ猛々しいものです。

 既存の出来合いものに投資しても先細るばかりで利益は見込めないのです。

 だから業界トップや特定産業に傾注せず、新興や基礎研究などを育てる方が将来世代のためにもなるのです。

 そもそもトップの”流行って”いるものはある程度ほっておいても勝手に拡大して“時代”が過ぎれば勝手に廃れてゆくものなのですから。

暴力下の睡眠

 睡眠学が確立・発展し、その分野において日本人のノーベル賞受賞も視野に入ってくるほど世界的にもその認識がイニシアチブを取りつつある昨今、政府・日本はいつ日本の現状に懸念を示し、どのように応じ、どれだけの確度と速度とを持って行動するのかということに最近は注目しています。

 睡眠状態が常態で覚醒状態が異常なのかもしれないという仮説がにわかに浮上してきました。この一例がなくとも睡眠は生物にとって根源的なもので、控えめに言っても「健康で文化的な最低限度の生活」にとって最重要事項ではないでしょうか。

 

 これまで「勤勉・勤労」の陰で軽視・虐待・ネグレクトされ、あまつさえ時に「怠惰・怠慢」のレッテルさえ貼られてきた日本人の睡眠(の地位)はいつ確保・保護されるのでしょうか。

 

 睡眠に対するネガティブな印象--これまでは科学的根拠のない単なる精神論、根性論でしかなかったわけですから(それはあたかも長らくスポーツ現場において飲水を禁じていた愚行・蛮行・悪行のように)、それはまさにたんなる印象にすぎなかったのです--が、長時間労働や過労死などの温床となっています。

 

 八時間労働制のスローガン「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を(Eight hours labour, Eight hours recreation, Eight hours rest)」の中に睡眠は明記されてはいないのです。sleep(・hypnology)はrestの中に押し込められています。あるいは生活時間・家事育児living・life( time)がrestやrecreationに追いやられています。

八時間労働制 - Wikipedia

 

 日本人の睡眠時間の短さは、日本の遵法意識の低さの一つのあらわれ、その指標の一つとなっているのではないかとおもっています。

賃金あっぷあっぷなまとめ

 日本がまず行うべきことは時間やお金の搾取を規制すること、そして新手で一発逆転を狙うのではなく既存の問題解決に着手することです。

 しかしその実現・実行を阻止阻害している日本の問題が遵法精神が低いことです。

 またそのこと以上に、法に則って行動すること、順法が伴っていないことが大問題です。

 

 賃金あっぷあっぷな常態を脱するには何か新しいことを企図するのではなく、遵法アップアップしてゆくことが(費用もかからず安価安易でありながら)堅実確実現実的な方法であるとおもいます。

 順法によって賃金がアップしてゆき種々の問題が解消されてゆきます。

 するとさらに賃金がアップアップしてゆき…というサイクルが動き出すでしょう。

 この始動力こそ順法。

 異次元の新航路への指導力においてはリスクと株ばかりが尊重されるのですから。

 

 人権を尊重して遵法しますか、それとも従属しますか。