あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

民主主義の名を冠した暴力

 直接的物理的暴力に対して(民主主義への否定と)批判することは当然で正当でそうあるべきものです。

 ただ、あまりにそのことがショッキングでセンセーショナルで顕在的であるばかりに潜在的な暴力に霞がかかり、その影響力が過小評価されてしまうことには強い違和感をもちます。

 

 潜在的な暴力はその性質上、顕在的な暴力に比べて長期に渡ることが多いものです。

 個人においては懸命かつ長期に渡り活動を続けてきた人々がいます。一方で、政党や政府、議会においてはどうでしょう。その問題点や危険性は認知されていましたし、提言や注意喚起の声もあがっていました。にも関わらずそれを放置してきたのです。少なからず当事者や(潜在的)被害者にとっては無視されてきたも同然と思っていたことでしょう。これはもはや政治の国民に対する虐待、ネグレクトに等しいものではないでしょうか。

 

大規模ネグレクト

 ネグレクトは近年に至ってやっと発達や精神に与えるその小さくない影響について解明・啓蒙されるようになってきました。対して政治・立法・行政のネグレクトについては個人が漠然と孤立感や孤独感、疎外感を感じるにとどまり、それを社会的で大規模なネグレクトであるとは認知されていません。

 ネグレクトの特徴に被害者も加害者も双方にその自覚が薄い、それが暴力の一種であるという認識がなかったというものがあると思いますが、現代はまさにそのような現状にあります。

 

 中世期において政治のネグレクトが起こったのは主に身分・階級からくるものが多かったかと思われます。領主や役人が領民の生活や農業知識について無知であったり顧慮しようともせず政策決定されたり私欲がはたらいたりしたために起きていたことでしょう。

 

 現代における政治のネグレクトは概して経済政策(と政策批判、加えてスキャンダル)についての議論が優先されるからです。たしかに景気がよくなったり収入が増えれば、要は金さえあれば解消される問題は多いので経済政策を優先的に考えるということはあながち間違いであるとは言えません。

 

有効打ネグレクト

 ただ、振り返ってみて、これまでに有効的で効果的な経済政策がどれほどあったでしょうか。そのほとんどがギャンブル性が強かったり胸算用的なもの、そのほとんどが”為替”基準・対策のもの、そのほとんどが短期の利益、目先の結果、虚を得て実を捨てるようなものばかりではなかったでしょうか。

 世界経済の変動や突発的な大災害など、そうせざるをえなかったという政策も少なからずあり、それを否定するつもりはありません。ありませんが、平時に確実に効果をあげる政策や施策を施さず、問題を放置・先送りすることで深刻化して暴力の顕現を召喚するようなまねをいつまで続けるつもりなのでしょうか。

 

確実な儲け話

 確実に効果をあげる政策とはなんでしょうか。それこそまさしく政治のネグレクトの解消にあります。

 たとえばこの問題もあの問題も多額の資金が長期に渡り外国へと流れていきました。また、あの問題でもこの問題でも多数の納税者の命が奪われました。それらの資金、そのひとたちの資産が国の内外でまわっていれば原資以上の利益を生んだのです。資金を要しつつも不確定で下手な政策より、資金を要さず最低でも損益0のノーリスク政策の方が比べるまでもなく確実で堅実な優れた政策です。「経済効果」や「将来世代」などのあやふやな煽動的自己正当化流言を用いる要もない健全な施策です。

 

 なにか目新しい政策に目を奪われて既存の問題を放置することは、穴があいて漏水し水量が減ってきているダムに穴を塞ぐことを考えずに上流で雨を降らすことにばかり専心してしまっているようなものです。上流に山を築いたり塵や埃を増やして雲を発生しやすくして雨を誘致しようという如何わしい工事を行っている間にもダムの穴はじわじわと大きくなり、加えて上流での工事による環境変化がさらなる問題を誘引して、終いには災害となって自然の暴力が顕在化するのです。

 

 資金を得るための政策を行うためには資金が必要という海老で鯛を釣るような提言ばかりされます。そんなうまい手があるのならとっくに誰かが、どこかが実行しているはずでしょう。それに1尾や2尾は釣れても端から数百を目標にしているところが荒唐無稽な無理筋なはなしです。

 

民主主義のせいにする暴力

 政策や立法の提言から実現までには時間がかかります。その原因を資金難に求めることもありますが、それを民主主義に求めることもあります。

 民主主義のデメリットの1つに、その仕組上どうしても決定プロセスに時間がかかるというものがあります。

 しかし、政治のネグレクトにおいては「民主主義は時間がかかる」という性質を自家薬籠中とした贖宥状を乱発しています。これでは民主主義を口実としたネグレクト、民主主義を笠に着た暴力です。

 

 冤罪事件の解決どころか、その手前の再審、再審に行き着くまでの再審請求の段階で異常に時間がかかっています。これは「慎重な審理・裁判」をお題目に堕し、それを楯とした暴力です。(元)被告人や受刑者が亡くなるのを待っているかのような卑劣で非道な暴力です。

 司法の誤りが確実視されているにも関わらず再審を認めないのは、司法の誤り認めることで威信が揺らぐことを恐れてのことなのかもしれませんが、長引けば長引くほどより威信は傷つくのです。誤りを認めずネグレクトを続けることは不信を招いてより威信を毀損します。むしろもはやすでにそのような状況にあります。

 

 投票率の低さや18歳意識調査における「自分で国や社会を変えられると思う」や「自分の国の将来」といった数々のアンケートにおいて他国と比べて圧倒的にポイントが低いのは、日本人の国民性といったようなものでは到底説明しきれない、その表れの一端ではないでしょうか。

考える間隙を簒奪

 とはいえ民主主義社会、そのような法や秩序、政治や政治家を選んだのは民衆だというわけです。「貧乏暇なし」の状態に貶めて言動の自由を奪っておきながら。

 

 賃金は上がらず長時間労働は長らく放置し、サービス残業といって残業代の不払い、経営側だからと名目だけのその実タダで働かせ放題の役職・昇進、法の外に置かれて人権を無視される地方公務員…いかに賃金が上がらず睡眠時間が短いかは今やデータで示され、日本人の抑圧具合をよく表しています。

 

 お金も時間も奪われて、その上で各政党、各候補者について調べて考えて投票しろと言われても無理なはなし。生活の改善を願って託して投票したところで、当選した候補者が政権を得た後「民意を得た」と言って他の政策を推し進める背信行為。これで責任を投票者・国民に押し付けるのでは転嫁天下で政治不信は自明の理。

モヤ✕2

 潜在的な暴力が過小評価されていることに対する違和感はここにあります。

 これまで散々裏切り続けて時間もお金も機会も声も命も奪い、ことどとく手段を奪っておきながら止むに止まれぬ直接的な暴力を一方的に糾弾することはできません。潜在的な暴力の被害者でもある犯人に対して多少なりとも同情や共感を寄せるひとがいるのもうなずけてしまうはなしです。

 

 そのすべてではありませんが世間を騒がせた凶行は失策のフラグではないでしょうか。残念ながら顕現してしまった暴力は確実に効果をあげる政策のための暗示です。顕在化してしまった暴力をただ忌避するのではなく、せめて後にその教訓を活かし昇華するためにも、そこから学ばなければなりません。

現代アートの潮流は”塗り込められて黒”

Black, Board, Traces Of Chalk, School

 

 現代アート、特にペインティングは基本的に黒の世界、塗り込める、塗り重ねる黒の時代にあると思う。その欲を、内なる様々な色をもった色彩豊かなその情動を塗り重ねてゆくために必然的に暗い色調、黒基調となってゆく。

(黒より鼠色や錆色の方が多い気がするけれど…)

 

 欲動、欲望の表れのように見えるので本能的で野性的な滋味がある。美しさを追求した古典的な芸術は抑揚が効いていてとても知性的かつ理性的な精緻さを極めている。前者は足し算的で後者は引き算的な手法である。

 

 パッティングやバラマキ、流し込みや垂れ流し、振りまきに引き裂き、作為を極力廃して偶然に任せることも多く、というか場合や作品によってはそれが主体、メインテーマ、それこそが意図であることがあり、そのためにゴテゴテ、ドロドロしたものとなりやすい。したがって作品の一部にはあっても全体としては爽快感やキレイさの感じられるものはごくごく稀。

 

 欲や生死の塊を見せられているようで爽快感やキレイさは感じられなくとも威圧感や存在感は多分に感じられるものとなっている。

 その点が不快感を受けても目を引き目を離せなくなることがあるのだとおもう。

 およそ癒やされるという類のものではないのでリビングに飾りたいとはおもえない。疲れちゃうとおもう。

 

 これが色ではなく光であったなら、白、というより白飛び、白い闇、ホワイトアウト、白昼夢となるだろう。

 黒に疲れたひとたちによって、いつかは、またあるいは次代は(光の)白の時代がやってくるのかもしれないね。

腐敗した組織に共通する1つの定め

 標題のごとく、腐敗した組織は共通してある1つの特徴を有しています。

 それは…組織の長の任期を延長ないし撤廃していること。

 

 任期に定めを設けている理由にはさまざまありますが、その最たるものが腐敗の防止および新陳代謝の促進。

 そうであるにも関わらず、それを忌避・拒絶し、任期の延伸または破毀することは腐敗の促進および新陳代謝の防止に他なりません。新陳代謝が起こらないから陳陳堆積するばかりで新新伸展しないのは当然の理。

 

腐敗の狼煙

 任期の延長を提起することは腐敗の狼煙であり、それが実現された暁には、既に組織がそれを強行できるほどの権力を掌握してしまっているという権限不在の顕現。

 それほどまでに権勢に偏りがあり、組織・仕組み・構造としては硬直してしまっているという証。腐敗した組織あるいは独善的独裁者であるからこそ通せた無理。だから道理が引っ込んでしまう。

 

 長く続いた組織には、任期が定められるまでに血みどろの争いが繰り広げられた歴史があります。

 またそれゆえに、あわせて任期に定めがあることが権力集中による横暴や暴走を防ぐ(とまではいかないけれど延長・時間稼ぎぐらいは…)安全装置としてはたらいたヒストリーも持っています。

 

※ただし、特に古代においては、王位・帝位継承時に後顧の憂いを断つために親類縁者が処刑されることがあり、また、王や帝が崩御した際に為政者から直接下賜されるものではない(半)強制的な殉死・殉葬圧力をかけられることがあったので、これらの状況にともなう骨肉の争いを防いだり親族を守るための方策として在任期間を引き伸ばしたり永代君主となった場合もあるので、一概に悪癖・悪習は言い難いところもあります。

 

 振り返って周りを見てみますと、ここ数年、国内的にも世界的にも、任期の延長や撤廃を実行する組織が目立ちます。あの企業にこの組合、その政党にどこぞの団体。あんな法人やこんな国などなど。

 

腐敗速度を緩めるための先人の戒め

 民主政の1つのデメリットは決定・実行プロセスの遅さ。

 専制の1つのメリットは決定・実行プロセスの速さ。

 国内状況・国際情勢に対して即応が求められる時代なのだから専制だ…というのは早計かもしれません。

 任期に定めのある極めて有能有徳な君主が間違いなく徳政を敷くというのであれば専制も悪くないですが。

 

「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」ジョン・アクトン - Wikipedia

 

「実際のところ、民主制は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主制以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」ウィンストン・チャーチル - Wikiquote

 

下限に就き、上限で尽き

 任期に関連して、組織や団体に限らず個人においても上限の定めは重要事項でしょう。たとえば免許や権利。より具体的には自動車運転免許や被選挙権などなど。

 ことによっては下限よりも上限を設定することの方がより重要であることもあります。

 経験や能力の問題ではなく腐敗や停滞を防止するためにも上限を設けた方がよいように思われるものが多々あります。

 たとえ優秀であっても長年君臨し、そのまま亡くなった場合、次代の者が優れているとは限らず、また先代とも比較され、知識や経験が育っていなく、大抵の場合は低迷期を迎えることとなります。腐敗を防ぎ次代を育てるためにも任期は定め、定まっていた方がよいでしょう。