あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

ルールを守る必要のないひとがつくるルール

「部外者」のルール

 企業や学校など、その組織内の規則を決めるのは常にその規則の「外に」いるひと。

 

 自分はその規則の適用範囲外の安全圏にあるものだから平気で不合理な規則をつくったり、それが非合理的な規則であることに気づかないし気づけない。

 

 そのことに気づいていたり、もうとっくに時代遅れの時代錯誤な代物になっていることを認識しつつもその規則を変えようとはしないルールブックメーカーがおりますが、それは多少の効率化や生産性といったものを犠牲にしようとも固持したい支配体制、ルールの外という安住の地を手放したくはないという欲求がはたらいているから。

 

 誰が自ら好んで自らを縛り付けようとおもうでしょうか。誰が自らすすんで窮屈な場に身を置くことを望む者がいるでしょうか。

 

 こうして常に現場との間に溝が築かれます。

 

アブナイ制服

 規則の外、規則の上にいる、いわば特権階級が規則をつくるというこれまたいわば非民主的なものであっては、その規則のもつ効果・性質は抑圧や制圧、制限や拘束力、枷や支配の道具といった域を出ないでしょう。

 

 最終的な決定権を持たないお飾りの形骸化した生徒会、理にかなった適切な現場判断を現場経験のない無知な役員が否定し判断を下す会社、このような組織でよくみられるのが動きを制限する制服、シュレッダーに巻き込まれるのではないかとひやひやする首から下げるタイプの身分証(←胸ポケットにクリップや安全ピン(安全ピンってぜんぜん安全じゃないよね)でとめるものもありますが、デスクワークならまだしも工場かなんかの物を抱えたり全身を使うような職場ではそれでも危なっかしいでしょう。なぜ胸や肩口前面とかにクリアケースみたいなのを縫い付けて(それはまるで定期入れのように)ラミネートした身分証を差し込むようなデザインにしないのでしょう?私服では難しいけれど制服ならそういうデザインにした方がいいんじゃない?柔らかい透明なプラスチックケースなら縫い付けられるし洗濯もできるでしょう?なのになんで?できないの?それとも思いつかないの?)などなど。

 

 どの制服を採用しどんな風に名札を付けるかなどを決める裁量権も(同じ制服は着ているのかもしれないけれどそれでも)現場仕事はしないからわかっちゃぁいない経営者が握っているからなのではないでしょうか。

 

「規則の民主化率」という試験

 その規則が合理的で世の流れに合うものであるかどうか、どれほど整合性がとれているかの指標として、その規則をつくったひと、規則の追加・改廃の権限を有するひとがどの程度その規則の「内」にあるか、守らなければならない規則がいくつあるか、関係する規則・拘束される規則がどれぐらいあるのか、といったもので測ってみるというのはどうでしょうか。

 

 これを「規則の民主化率」とでも名付けてはったりかましてしまいましょうか。

 

 あなたの所属する組織、それは学校であるかもしれないし会社であるかもしれない、そこで定められている規則、その校則や社則のなかに先生や経営者が守らなければならないルールがどれくらいあるでしょうか?

 先生は制服を着ていますか?前髪が長かったり結んでいなかったりしませんか?終業後の余暇にまで口を出していませんか?

機能・形態・デザイン

生活感のない設計

 加湿器のタンクってなぜにどれもこれも縦長なんでしょう?

 

 縦に長いものだからシンクで給水しづらいったらありゃしない。

 

 いったんヤカンかなにかに水をくんで、それを介して給水すればいいのでしょうけれども、1アクション多くてめんどうだわ。

 

 加湿器を設計しているひとは自分で給水しているのかな?と疑いたくなる。

 掃除機同様加湿器も男が設計しているのではないかと疑っています。

(女の設計した掃除機もあるでしょうけど…)

 

発想はこのように

 空気清浄機能つき加湿器なんかだと大きなファンを設けつつ、とはいえ場所は取らないように極力小型でスリムな設計にしたいから、給水タンクは縦長でサイド面にってことなんでしょうけれど…にしたって給水口と注水口を別にして横長タンクにするだとか(←給水口と排水口が別だと運転中に加湿器を稼働させながら給水が可能となるんじゃない?そもそもヤカンやなにかを介して給水しなければならないとしたら、給水タンクっている?なくていいんじゃない?)、洗濯機だってななめドラムなんてのも珍しくはなくなってきたことですし、加湿器のタンクだってななめのものがあってもいいでしょうに…。

 

斜め上いくデザイン

 横ならまだしもななめて…て思うでしょうが、タンクをななめに着脱できることにはなにかしらのメリットがあるでしょうよ~なければむりやりなんかしらメリットこじつけてしまえばいいじゃないの。

 たとえば「給水タンクの着脱がカンタン!」…だとかね。

 

 "ななめ給水タンク"はサイドから差し込むタイプでもいいし、もっと大胆にフロントのど真ん中において、そのまわりをリング式のファンがまわるなんてのも近未来的な感じのするデザインになっていいんじゃない?

 リングの内側に色とりどりのLEDライトでもつけてタンクに向かって光を照射させれば、あら幻想的なむだな電飾だこと。

 

 とにかく、縦長給水タンクっていうぶさいくデザインやめれっ!

 発想の貧困さに辟易するわっ!!

 

定着するモノのカタチ

 あるモノが普及すると、はじめは「形態は(常に)機能に宿る」という発想でつくられたようなものも「機能は形態に宿る」というような逆転現象が、つまり「こんな機能だから必然的にこんな形だよね」という発想が形式化してしまうのではないかとおもう。

 たとえば「加湿器といえばこんな形をしてて、こんな機能をもっているよね」というようにね。

 

 そしてそのデザインが"定着"という名の固着に行きつき、次から次へと発表され、続々と開発・発売される"商品"は「えっと~…どこが新しいのかな?」というようなものばかり。

 

 こんなふうに思っているのはわたしだけではないのではないかとおもうのですが、いかがかしら?

 

デザイナーはどこいった?

 とかく「おしゃれな見た目」ということに目を奪われているデザイナーが多すぎるのではないかしら。

 

 見た目でなく利便性をつきつめて形態を"つくる"…のではなくて"見つける・発見する"デザイナーが増えてほしい。

 大理石の中に眠る形を掘り出す彫刻家ロダンのような(といってしまうとハードルが高く高くそびえ立って萎縮させてしまうかもしれないけれど、単に言葉の綾として)デザイナーが。

 

 利便性を追求した先には単に機能的であるということだけでなく、そこにはきっと美があるとおもう。茶の湯のような。

カントの雑な道徳伝言ゲーム

羊, 悲しそうな声, 通信, 話, 話し合う, 協議, 主張する, おかしい

「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

 ↓異訳

「あなたの道徳がいついかなるときも絶対的な道徳に適うように生きなさい」

 ↓異訳

「あなたにとっての正しさがどんなときでも万人の正しさと合致するように行動しなければならない」

 ↓異訳

「あなたの正義が状況や環境や時代に関わらず全人類にとっての正義と違わない言動をせよ」

 ↓異訳

「あなたが正しいと疑わないことがだれにとっても正しいことと同一であるようなふるまいをしなさい」

 ↓異訳

「正しいことをしなさい」

 ↓異訳

「(倫理的に世間に)恥ずかしいことをすなっ!」

 

 最後の方は伝言ゲームのように飛躍して原形からだいぶ変質した俗っぽい言葉に出来ました。

 これを反対に、「恥ずかしいことをすなっ!」から遡っていったところにカントの道徳法則・定言命法がひかえていようとはだれもおもいはしますまい。