期間中にお買い物をして、後日、その受け取ったレシートの購入金額の合計に応じて回せるスーパーのガラガラがありました。
残念賞のポケットティッシュにまじり、ひとつだけそれよりは程度のよい2Lのペットボトルのお茶1本があたりました。
炭酸飲料はシュワシュワが口腔内でパチパチはじけて清涼感を呼びますが、その刺激が、とくに喉元を通るときノドにチリチリの余韻を残していくものですから、あれで余計にのどが渇く。
この乾きを鎮めようと炭酸を追加するとキリがない。だからイヤっ。
フルーツジュースやスポーツドリンクなどはあの甘さからか後にわずかに痰を生み残していくのでイヤっ。
缶やペットボトルのお茶のなかには「濃さ」や「にがみ」をうりにしているものがありますが、「濃さ」や「にがみ」より酸味がつよくなっているばかりでスポーツドリンクほどではありませんがやはりほんのり痰を生み残していくのでイヤっを通り越してイラっ。
そんなこんなで缶やペットボトルの飲料を買うという習慣に乏しい。
こんなですからガラガラで頂いたペットボトルのお茶にはすこしの期待も抱いておりませんでした。
それから冷蔵庫に入れてあったのも忘れていた2・3日後、うだる夏の暑さにいつものように急須でお茶を淹れるのもおっくうとなり、そもそもヤカンを火にかけたくない、火を使うことでもわっと感が増してしまうことに耐えられず、そのとき思い出したペットボトルのお茶。
「しょんない今日はこれでいいにするか」とペコポギョやたらにあちこちヘコむボディに「しょうもなっ。シャンとせぇ」とにがにがしくおもいながらもぞんざいに口に流し込みました。
さらににがにがしくおもわせるのは「どうせお前も後味もっちゃりさせるんだろう」というおもい…のはずが、それがこない。
後味にイヤミが残らない。
「シェー。今日はわたしの体調がいいのかな?まあでもまだわからない。まだ一口だけだから、この一口はたまたまたまさか現象。次が本番。化けの皮を剥いでやろうぞ」と二口目。
ちょっと待ってチョ!これはミーの体調の問題じゃぁなぁいざんす。
これはこの子の実力だ。これはやられた。なにこの後味の引きのよさ。「すっ」と引く。
これまでたくさんの缶やペットボトルのお茶を飲み比べてきたわけではありませんが、それでもこんなことははじめて。はじめまして。はじめて缶やペットボトルのお茶で許せるお茶に会いました。
わたしは苦いっ…のがイイっ!人生以外はっという者ですので好みとしてはもっと苦い方がいいのですが、このお茶に関してはそうしてはいけないのです。そうするといけ好かなくなることなのです。
というのも、このお茶にもうすこしでも「にがみ」を加えようものならたちまち「酸味」も出て丸い角がポコポコ出てくることでしょう。
このお茶はまぁるいお茶なのでにがみ(とわずかな酸味)を出して茶味の輪郭線をも少し強調しても少し茶感だすのもわるくありません。わるくはありませんがもしそうするのであれば「この味が出せた以上はわざわざなぜそれをする?」となるのです。
ちゃんとお茶の味を出しながら酸味を出さないというのは、絶妙な温度で微妙な抽出時間を見極めなければならないそうとう高度で繊細なことをなしているのだとおもいます。
このように想像しますとにがみ好きでも脱帽です。
お茶の茎特有の葉よりもやや鋭くすがすがしい緑(あお)味もあって、これがまたにがみも酸味もなくコロコロまろみのつよいお茶なのにちゃんと「お茶」に、それも上等なお茶に仕上げていることに貢献しています。
この緑味はきっと大福というか上新粉がふんだんにまぶされたお菓子にとってもあうとおもいます。
いっぺんにたくさんの量を飲むとよりわかりやすいとおもいますが、お茶をたくさん飲むと口のなかの表面の方がシャラシャラしてくるでしょう?伝わりますか?あの指の皮膚が乾燥したように荒れてシャリシャリする感じ。細~っかく粉砕されたお茶の茎が張り付いたような口の中に砂が入ってじゃりじゃりする感じをすご~っく薄めたような感じ。こんなような感じが大福ほおばって上新粉に席巻された口のなかの感じ、あのときの感触と食味に似ているなとおもったものですから大福とあいそうだと感じました。
味や食感には個人差がありますから、このようには感じられないかもしれませんことを付記しておきますね。
頂き物は「可もなく不可もなく」か「ハズレ」が大半ですが、ときに邂逅あるところがいいところ。
今回わたしの当たったお茶は『綾鷹 にごりほのか』でした。
お茶処と言われる地域の飲食店で残念なお茶が先制パンチではじめに出されるとそれだけでなんかもやっとする。それならお冷やにしとこうよ。外から来た方にこんなん出されて「これがお茶かぁ」とおもわれるのシャクじゃない?というひねくれものの『綾鷹 にごりほのか』品評の回でした。