持続可能な永い視野
広島・長崎への原爆投下により数十万人の命が奪われました。そしてその後も放射能を残し健康を害しながく影響を与え続けています。
オッペンハイマーさんをはじめとして、この出来事は科学者に重い十字架を背負わせ、科学者の罪と責任を知らしめる契機ともなりました。
バブル崩壊やリーマン・ショックにより急増した生活苦による自殺者。その影響はすぐには収束せず長年ひとを蝕み、多大な影響を与え続けています。
日本の生活苦による自殺者数は年に2.5万人ほどいるようですが、もうすでに原爆被害者数に匹敵するかそれ以上に及んではいないでしょうか?それでいて経済学者は科学者ほどにはその罪と責任を意識していないのではないかと感じます。
製造者と提唱者とでは痛みの感覚が異なるのでしょうね。
科学も経済学も悪者にして断罪したいわけではありません。おおくの恩恵をもたらしてきましたし、なによりもそれが人に牙を向けるのは当の人の使い方によるものですから。
国益のためには仕方がないなどといって誤魔化さない道徳。これは必要悪なんだなどといって諦めない倫理。「今それが必要です」と言われ続けて今日までずっと「今」に留め置かれたまま。なかなか「今」がやってこないというのに「明日」はやってくるの?こうしてまた「今」のない「明日」を迎えるのでした。
数年前から「持続可能」ということが強調されるようになってきましたが、その持続可能というのは空間的な指標というより時間的な指標です。
これまでは広い視野ばかりが重視されてきましたけれども、これからは永い視野への配慮を怠ることがないようにという転換期なのでしょうね。