あめみか

「雨はいつもわたしのみかた。」 … 思想・哲学・世迷言からイラストまで、多岐にわたってたいへんくつに綴っています。

国を憎んで人を憎まず。

声の大きさは怒りの大きさではない

日々不穏なり:「罪を憎んで人を憎まず」考

 

怒声は厳しさではない

 「厳しい人」を想像してくださいと言われたら、どのような方を思い浮かべますか?

左手をあげて恫喝する女性

 ←これはいきすぎでしょうが、こんな感じ、つまり感情(なかでも怒り)を表に出し強い語気でまくしたてるひとを思い浮かべる方が多いのではないかとおもいます。

 しかし「厳しさ=怒り」でも「厳しさ=大声」でもないということは周知承知のことでしょう。

 にっこにこして厳しい方もおられますし、声を発せずただそこにいるだけで場を支配して緊張感をもたらす厳しい方もおられます。

 

 

 だのに…いまだ暴言が厳しさだと勘違いされている方がおおいのではないかとおもいます。

 「バカ」とか「そんなことも知らねぇのか」など、それ言わなきゃダメですか?

 人格否定に近いですから言っちゃダメだとおもうのですが。

 

なにかのためなら声量も言葉遣いもお構いなしなの?

 「指導」という言葉でみずからに贖宥状を発行して絶対王制しいてませんか?

 

 言ってもわからず理解できないほど幼い子の場合、それが命に関わるようなことであれば多少は仕方がないところもあるのかなあとおもいますが、成人が成人に対してっていうのは、いくら言葉を言い換えても違うのではないかと感じるのです。

 

 実体がどうなのかわかりませんが、仮にいわゆる在日特権というものがあったとして、それを個人にぶつけるのはいかがなものかと…。

 

 訴えるところは、それが無益で徒労だとしても政治の場に向けなければ(声の大きさ(多さ)ではなく声量(デシベルdB)にひるむ国政・統治機構にも問題がありますが)暴力的すぎるとおもうのです。

 ですからヘイトスピーチは過激だとおもいます。

 

声量によらず清涼にお願いします。

 「なにを悠長なことを!」と叱責されてしまいそうですが、国を憎んでもどうか人を憎んではいただきたくないのです。

 また、人に憎しみを向けるような潮流をうんでほしくないだけです。

 

 言われるまでもなく、そういうおもいを抱きながらも、でも今解決しておかなければいつまでも先送り先送りで負の連鎖が断ち切れない、だから…といった使命感のようなものとの板挟みのなか活動されている方が多いこととはおもいます。

 ですから活動自体を否定するわけでも(肯定するわけでも)ありませんが、ただ他の言いよう、説得の仕方、活動上の言葉があるのではないかなあとおもいます。どんなに叫んでも伝わらなかったとしても…。

 

 また、仮に相手がどれほど汚い罵声を浴びせてきたとしても、それにのっからなければならないということはないわけですし。

在日特権 - Wikipedia

在日特権の酷い実態 - Yahoo!知恵袋

在日韓国朝鮮人の生活保護が2兆3千億円という大嘘 : 脱「愛国カルト」のススメ

 

 特権があるとしたら廃止しましょう。すぐに変更では強圧的ですから時限付きでかえていきましょう。

 

 韓国経済が今以上に低迷したり、隣国との政情不安など、国家存亡の機にでも陥ったら相当な勢いで移民・難民・亡命者が日本に押し寄せてくるでしょう。

 その前にきっちりしておいた方がいいとはおもいますが、性急すぎても亀裂が大きくなるばかりでしょうし、どうしたものか…。

遠州日の丸会“日本と故郷を護る”活動日記 : 外国人生活保護受給

 

自己言及の可能性

 「国へ帰れ!」と浴びせかけていることがありますが、諸事情御座いましょう。

 それに聖徳太子さんのてこ入れで行われた四天王寺さんや法隆寺さん建設などを手がけた世界最古の企業「金剛組」は大陸の技術をもった渡来系の方々からなるものでしたし、漢字に唐物、お稲荷さんに仏教(仏像の火焔光はゾロアスター教(拝火教・祆教)の影響だそうです)、あらゆるものに大陸の影響がみてとれて、切っても切れない関係にあります。

 

 またそういった交流の中で混血もすすんだことでしょう。

 豪族の渡来人説や流浪ユダヤ人説、太子さんに蘇我氏、平家渡来人説、偉人異国人説には枚挙にいとまがありません。

 

 ちゃんと調べたわけではありませんが、わたしも3代前までしか伝え聞いていませんから、4代前が日本に住む日本人だったかどうかなんてわかりません。

 知人のなかに成人してから自分が2世・3世であることを知らされたという方がおられましたが、わたしも、そして誰もが「自分は生粋の日本人だ」とは言い切れないのではないかなあとおもいます。

 ちなみに、それを本人から聞かされてなにか変わったかと言えば、なにも。

 ただわたしが、何人ということに関係なく、すべての人から距離を置くようにしましたので、もしかしたらその方達には不信感を抱かせたままなのかもしれませんけれども。

 

その後が気になる地域

 全国で最も在日のブラジルの方が多いのが浜松市だそうですが、わたしは風の強い地域が苦手でできるだけ避ける傾向があってよくわかりませんし、今はどうなのかわかりませんが、(そうとう)以前浜松市の美術館へ連れて行っていただいたとき、その道すがらおもいましたのが、市内のわりに道路があまり舗装されていないというか、亀裂が入っていたり凸凹だったりして近年あまりみかけない感じの中心街の道路だなあとおもいました。

 

 市税の歳出に占める土木事業の割合は大きいとおもいますが、その土木分野がこのような感じでは他分野はもっと悲惨なことになっているのではないかと心配になった記憶がありますが、その後、浜松はいかがでしょうか?(最後は在日ということとは関係なくなってしまいましたが)。