形なきものの行方
言葉や精神、言霊や悪口、音や臭いなど実体のないものでもある種、特有の波長やパターンといった複雑さ・情報があるのではないでしょうか。
同様に、転生・来世・前世といったものはある特定の複雑さ、その大小・多少に関わらずその特異で私的なアイデンティティのようなものの継承によるものではないでしょうか。
記憶が複雑さだとすると、記憶にはさほど大きな場所・空間・容積は必要ないのではないでしょうか。
ある特定の音、特徴的な曲の導入部・イントロなどによる想起もその特徴的な複雑さを保持した個体と共振・符合するために可能なことなのではないでしょうか。
現実のカタチ
並列化によって共有できるのは情報(という現実感)。
共有できないのは思想(という現実)。
身体性の問題があるから。
異世界同士のデータのやりとりはできても世界は異なるから。
これは須原一秀さんのソフトウェア主義に似ているかな。
ソフトを共有できてもハードは個々異なるってこと。
形なき姿を追って…
思い出せない状態というのは自分の内からその記録が失われたのではなく、そこへ行き着かないこと。
これって記憶が自分を成していながら自分の「外」にあって知覚される対象だってこと?
メロディーは継続として保持されているのでしょうか?
それとも記号として保持されているのでしょうか?
記憶は変化を記憶・蓄えているのでしょうか?
それとも時間を記憶・蓄えているのでしょうか?
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