セリフを覚えて相手の役者さんと息を合わせてほんとうにありそうな場面をうまく演じることが演技ではないし役者ではないんでしょうね。
本を読んでセリフは覚えるのでしょうが、そのセリフを覚えたことは忘れてしまって、偶然居合わせた今そのときに思い浮かんで発する言葉が、たまたま覚えたセリフと同じであっただけで、あるほんとうの場面に際して意識せずにうごかした身体のうごきが、実は稽古していたものと同じであったというだけのことだったというだけで、そうして役になりきって演じることが演技なんですね。
役者どうしタイミングを合わせて稽古通りに身体を動かすのではなくて、各々の役者がその時々をかんじてうごくのが芝居なんでしょうね。
過去に覚えた言葉ではあるけれど未来ではじめて発する言葉。
未来ではじめてかんじて動かす身体のうごきは忘却の過去に置き忘れてきた稽古の軌跡。
過去と未来が逆転した場を現在に表出させるのが芝居。
…と、ダンスのいろはも、演劇理論も、ニジンスキーさんも蜷川幸雄さんにも疎い素人が、田中泯さんと挾土秀平さんの対談をみておもったことを、それっぽく言ってみる…。
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