現代人がダンテさんの「神曲」を読もうとおもったら生涯を要するとおもう。
登場人物の背景を知らないとメタファー読み解けないから読めない。
字面を追うだけのスキャナー読書が関の山ではないかと…。
思想・哲学書もそうですが、研究者の存在はほんとにありがたい!
神様、仏様、研究者様!
読み解くのに一生涯かかるかもしれないものを生涯かけて読み解いて解説してくれるのですから。
読み解きの正誤はおいといても、思考の幅、解釈の可能性を広げてくれるのですから。
芸術には創作者とおなじくらいその価値を認める承認者の存在が重要です。
承認者がいなければ作品が省みられることはなく遺棄されてしまいますから。
同様に研究者がいなければ埋もれたままで陽の目をみないままに消え去ってしまう思考がたくさんあったでしょう。
アガサさんはだいぶひとを殺してパンくずで散らかってますが、ミスリードに誘い込みヒントを巧みに紛れ込ませ…さいごに一点に集束させる手腕ったらもう!
テレビのサスペンスもひと死にすぎ、ミスおかしすぎ、流れやキャストが定番すぎ。
最近の傾向は「過去の警察の失態を謝ります。でも殺してはいけない!」パターン。
「でも」じゃない。「でも」がなければ事件起きてないから!
原因の一端を担いどいてよく説教たれられるねぇ?
「警察の威信にかけても!」も、威信を信じてるのじぶんたちだけでしょ?
おそろしくガッチガチの縦社会で自浄作用もちあわせてないじゃない?
こちらもいかが?